猫の手も借りたい年賀状作り。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


猫の手 皆さん、年賀状はもう書きましたか?私はまだこれからです。年賀状の習慣が定着したのは今からおよそ100年前の事。古来の日本では平安時代から明治初期まで各家を回る「年始回り」という形でした。自分の足で出向いて回るという大変な行事だった訳で、小さな村であればそれほどでもなかったのですが、村が大きくなり人口も増えて行くと、出掛ける人とそれを出迎える人にとっては、かなりの重労働になってしまった訳です。それが負担になりやがて月日と共に簡略化され現在の年賀状になりました。この時季一番使われるのはおそらくプリンターでしょう。断然人気があるのはエプソンのカラリオシリーズとキャノンのピクサス。私が使っているのはエプソンのPX-G920。キャノンとどちらにしようか迷ったのですが、写真の仕上がり具合を見てエプソンにしました。そしてもう一つはインクの種類。インクには染料系と顔料系があり、それぞれ特徴があります。キャノンは赤味が強く出ます。エプソンはどちらかと言えば地味でそれほど派手な色ではなくトーンを押さえより自然な表現に近いでしょう。それは顔料インクを使っているからです。その前はアルプスのMD5000を使っていましたが、これはインクリボンで、やはり顔料インクでした。水に濡れても全く滲まないのには驚きましたが、故障が多く音も大きくて使いづらいのが難点でした。パソコンが普及していなかった頃はもちろん手書きでしたが、世の中が便利になりパソコンや携帯電話など機械に頼ってしまい、すっかり手で字を書く機会が減ってしまいました。30枚程度であれば手書きで済ませる事も出来ますが、200枚近くになるともう手に負えずやはり機械に頼ってしまいます。手書きの温もりを少しでも残そうと一筆加えるようにしています。さて、私は東京に出て来た時25歳でした。理由があって3年ほど住所不定のままでした。東京で最初の正月を迎える時、大晦日の晩に家賃を払いに行った所、大家さんが暖かい煮物をくれたのです。品川区西大井の小さな木造アパート、隙間風が入りこみ暖をとるものは何もなく、テレビやラジオさえなかった凍えるような初めての東京で、一人正月を迎えた私にとって湯気が白く立ち上がるホクホクの煮物は荒んだ心にとても温かく染み渡りました。誰にも住所を教えていなかったので、年賀状は届くはずもなく、寂しい元旦だったのですが、その朝、新聞を取りにポストを開けた時、チラシの中に混ざって一通の葉書を発見したのです。それは紛れもなく年賀状でした。私は驚きを隠せず一体誰がと首をひねりながら差出人を見たのですが何も書いてなかったのです。葉書の裏には「明けましておめでとう」その一言だけが書かれてありました。私にはその筆跡にかすかな見覚えがあったのです。それは高い塀の向こうから送られて来た父からの葉書。その筆跡とよく似ていたのです。父は私が18の時死んでいるので、まさかと思いましたが、これはきっと亡くなった後も空の彼方から私を見守ってくれている両親からの年賀状ではないかと思いました。天国からの年賀状だったのです。