あまり良い天候に恵まれなかった5月も終わりに近い。今日も朝から小雨が降り続き、秋葉原駅近くにある三井記念病院までの足取りも重かった。昨日の疲れも多少残っており、眠気を振り払いながらの循環器外来だった。これまでの人生を締めくくるには丁度よい霧雨が心の中にまで染めて行った。湿気を払拭するように青空がポッカリ白い雲と同居した5月のある日、私は見慣れた新宿の街並みを横目にしながら会社へと急いでいた。少し早歩きしただけでもかなり息が切れ、心臓の拍動が踊り狂ってビル街の街路樹にもたれかかりたがっていた。最新式のビルには警備員と監視カメラが常に個人の行動をチェックしている。ISMSって何の為?と虚しい疑問が湧いてくる。矛盾だらけの世の中で、溺れながら情報に踊らされている人たちのなんと多い事か…。休職中の私は元の部署から移動し、人事部付となっている。社内には複数の応接室があり、それぞれの部屋には座り心地のよいソファと白い壁には10号ほどの絵画が飾られている。これまで一体何回この応接室を訪れただろうか。そしてこの部屋を利用するのも今回が最後となる。人事部の担当者は常に同じK次長で、これまで私の職場復帰に関して尽力を注いでくれた上司。一通りの会話を済ませ、退職願の書類に記入をする。会社のマニュアルに沿った退職手続き。私は以外と冷静で、笑みさえ浮かべながらペンを走らせていた。鬱が酷かった時は手が震えて字もまともに書けなかったのに退職届けだけはまともに書けるとは皮肉なものである。退職理由は、休職中に病気の回復が認められない故の自主退職ではあるが、これは事実上の肩たたきであった。一度復帰に失敗し、二度目の休職、職場の椅子には2年以上座っていない。企業はそれ程お人よしではないが、これまで私をサポートしてくれた会社の恩情は充分感じていた。元いた部署に挨拶回り、社員は私がいずれ復帰するものと思っていたらしく、リタイヤを告げると唖然としていた。別れの挨拶を済ませ、私物をバッグに詰め込む。大した物はなく印鑑と筆記用具、参考書程度とあっさりしたものだ。そして再びK次長と応接室へ。私が詩集を出版した事は社内には知らされておらず、知っている人達はごく一部に限られていた。人事部のA副部長が「小椋桂」の前例があるしね。と笑顔で出版を祝ってくれた事を思い出す。最後の挨拶はやはり緊張するもので、喉がカラカラに渇いていた。実に気の利くK次長がアイスコーヒーを用意してくれた。会社で飲むコーヒーも最後、だがこの味は忘れない。最後にガッチリと握手を交わした時、K次長が涙を流しながら無念そうに一言「影ながら応援しています」この言葉で私の瞼から堰を切ったように5年9ヶ月分の涙が溢れ出した。涙の退職、拍手と笑顔よりもっと心に残る一日となったのは確かであった。