養護学校は僕の心の故郷なんだ。 | プールサイドの人魚姫
1970年14歳だった頃、中2のクラス全員と天竜養護学校の白い校舎の前で撮影した写真。モノクロなので分からないが、重度の心臓病だった私は常に貧血状態で蒼白い顔をしていた。授業に出る朝は決まって隣接する病棟の処置室で太い注射器に入った造血剤を打っていた。その割には結構元気で、悪戯をして教師に怒られ、職員室に立たされたこともあった。昨年の30年ぶりに開いた同窓会の時に下級生から「養護学校で神戸さんが一番恐かった」と笑いながら言われてしまった。確かにかなり苛めた記憶があるが、誰一人当時の事を恨んでいる人はいなかった。養護学校は様々な病気を抱えた子どもたちの集団生活の場でもある。病気を除けば普通の学校と何ら変わらない。なのに大人達は特別扱いをする。特殊学級の延長に養護学校があるからだ。子ども或いは保護者の中には養護学校にいた事を忌み嫌う人がいまだに多く存在する。とても悲しく寂しいと思う。確かに私も社会に出てから養護学校にいた事を必死に隠し続けていた時期があった。就職する時など履歴書に書く勇気がなかった。心臓病で障害者である事さえも隠した。分かってしまったら採用して貰えないだろうと自分で思い込んでいたのかも知れない。だが、そんな風潮が社会に蔓延っていたのも事実である。採用する側にとってみれば健常者を最優先するだろう。私は健常者を装い100時間近い残業もやった。内部障害なので見た目は健康な人と同じだが、やはり健康な心臓を持った人には適わない。腕や足があり、耳が聞こえ目が見える事、当たり前なようである事がどれだけ大切かを知るには障害者になって初めて理解するのかも知れない。

