私が登校拒否に陥ったのは、小学二年の時であった。家の近くに蓮正寺という寺があり、そこは子供たちにとっては格好の遊び場であった。小学校に上がる前からよく近所の子供たちと色々な遊びをした思い出の詰まった場所でもある。私は朝学校へ行くふりをして蓮正寺の釣鐘堂に篭ってしまうのである。登校拒否のきっかけは思い出せないが、隣のみとのや自転車の和正君の家で遊んでいた時、父が呼びに来たのである。そして登校拒否が初めて明るみに出た分けである。まあばれてしまったという感じであった。担任の先生は飯塚先生といって母の実家の隣に住んでいた男の先生であった。先生と二人で蓮正寺の釣鐘堂へ行き、自分がここに隠れていた事を告げた。登校拒否という言葉はその時代にはなかったように思う。長期欠席者とでも呼んでいたか或いは問題児か。私の登校拒否は約一ヶ月間続いた記憶がある。後に祖母から聞いたのだが先生の忠告として「この子はこのままだと不良になる」と言われたらしい。そして小三、小四と登校拒否は不定期ながら続くのである。自宅に篭っている時もあれば蓮正寺であったり、学校に続く道の途中にある壊れかけた家の裏側だったりもした。朝になると頭痛がして吐き気を伴い実際に胃液を吐いてしまうのであるが昼過ぎには嘘のように治って後は遊びに夢中になり何処にでもいる普通の子供に戻るのである。身体的症状として現われる時もあればそうでない時もある。学校で苛めに合ったことも登校拒否の要因の一つとして考えられるがやはり貧しい家庭環境に主な要因があったのではないだろうか。白い集金袋にわずかなお金さえ持たせて貰えなかったり、お弁当も持たせて貰えなかったりと辛い思いをしたのは確かである。そんな子供時代の自分を未だに引きずっているのかも知れない。消せに消せない子供時代は強烈に記憶の中にこびりついてしまっているのは事実である。