昨日、お寺で開催された新盆会へ参加してきました
高速飛ばして2時間、お盆の高速渋滞を心配しましたが、余り影響もなく無事に辿り着けました😄🚙💨

新盆会へは、義父の時以来の2度目の参加となりました
会の始めに、お坊さんから講話がありました
大切な方を亡くされた方には二通りある
いつまでも故人を失くしたことを“私を置いて逝った”“私は寂しい”“私は不幸だ”と、常に“自分”が中心で故人がいなくなった事から前を向いてあるけない人
今日も私は幸せに暮らせましたよと、故人を仏として常に対話し、前に進める人
こんな話しだったのですが、、、
自己中だから、悲しみから抜け出せない訳では無いと思うんだけどなぁ、、、と思ったら涙が溢れました
やっぱり自己中なのかな

まぁ、無事に法要も終えまして、今週は自宅に仏様が帰ってこられるそうですが、、、
そもそも信心深くない(勉強不足?)なのでよく分かりませんが、じゃー普段手を合わせている時は側にいないの?
常に側に感じていたい、一緒にいると思っているのは何なの?
ある宗派では常に側にいて、ある宗派ではお盆だけ帰る?
結局形を整えたり、習わしにそってすることはするけど、、、
遺された人が心落ち着く形で(信じる形で)遺された人の心を落ち着かせる為にあるのが宗教じゃないの?
だったら私は私の思うようにしたいな、、、なんて思ってしまう
本当にあの世があって、仏様が不自由しないように、私が信心深く無ければ主人があちらでうかばれないなんて事があるのなら、ゴメンだけれど😅
そんな事を思った

次は1周忌か、、、