ホーチミンシティにあります戦争証跡博物館の続きですが、
前回のブログでは戦時中に使用された小火器等がメインとなりましたが、
今回はベトナム戦争の根幹を・・・
ベトナム戦争を一言で表現するなら、
”戦争のもたらすもの全て”なのかもしれません。
以前はJALPAKを始め、各ツアー会社がホーチミンシティ市内観光の一部として、
戦争証跡博物館を組み込んでおりましたが、現在は無くなりました。
えぇ、僕タンがJALPAKで2回サイゴンに行った時には組み込まれておりました。
そりゃ、雑貨だのベトナム料理を楽しみにツアーに参加している方が、
戦争証跡博物館の見学をしてもねぇ![]()
対して、高校の修学旅行がベトナムになり、
しかも戦争証跡博物館を組み込んでいる所が増えているようです。
ただ、この戦争の意味を確実に理解できるか・・・については一抹の不安がありますが。
各国の従軍カメラマンが多くいた、ベトナム戦争。
最前線の状況が随時世界中を駆け巡り、戦争の事実、真実を報道し続けました。
それもあってか、現在、米国は報道規制などをしくようになりました。
なので、現在も中東を始めとする紛争地域で活躍している
カメラマンなどに対し、危険地域に行って報道写真を撮る事、取材をする事に対し、
報酬目当てだのと批判的な意見が向けられるのも事実です。
数年前、”自己責任”という言葉がマスコミを賑わせたという過去もあります。
しかしながら、紛争地域、戦場の現実を報道できるのは、
米国
を始めとする当事者がフィルターをかけて報道している内容よりも、
彼らのような第三者の目の方が信頼できるのではないでしょうか。
実際、ベトナム戦争において、報道カメラマンが、
その現実を報道し続けました。
報道規制の無い、まさに報道の自由の現場において・・・
ベトナム戦争って、国全体を巻き込み、
誰が敵なのか、味方なのか、住民なのか分かりませんでしたからねぇ。
そこが、国対国、正規軍対正規軍の戦争の構造を変え、
現在も世界各国、地域で、テロ、ゲリラなどによる紛争が続いております。
忘れてはいけないのは、現時点においても、世界各地で紛争が起きているということ。
そして、ベトナム戦争のような惨劇が繰り返されているということ。
そう、いつも犠牲となるのは武器を持たない一般市民。
戦場という特異な環境下では、人間としての理性をも失う事も・・・
AIの発達、無人航空機による攻撃は、人間の理性・感情が無く、
ゲーム的な戦争が進められる危険性があると言われております。
確かに、無人航空機による攻撃は人間が操作をしており、
現状と変わらないのかもしれませんが、
AIが進めば、虐殺、強姦を始めとする非人道的行為は起きづらくなるのかと。
もし可能ならば、戦争では人間の感情が排除された方が良いのではないのか![]()
と痛感するのがベトナム戦争だったりします。
次の写真ですが・・・
これ、井戸です。
戦時中、井戸の中に隠れることも多かったようですが、
米国に見付かって、殺戮され、その井戸に投げ捨てられる・・・
説明書きには3人の子どもが隠れていて、見付かって、刺されて、投げ込まれた…と。
なぜか、井戸に死体を捨てられる事が多かったベトナム戦争であります。
よく、ベトナム戦争映画でも、井戸の中は無数の死体で埋まっていたとかありますが、
それ、事実でございます。生きたまま井戸に放り込まれ、手榴弾を投げ入れられたとか。
なぜ![]()
井戸の中に放り込めば虐殺を見付けづらくするでしょ![]()
続きまして地雷
これ、よく見ますでしょ。
M18クレイモア地雷でありますねぇ。
名称なんぞ覚える必要は全くありません。
700球の鉄球が入り、有効殺傷距離50mなんてのも覚える必要性はございませぬ。
大きいのは対戦車地雷など、対車両向けの地雷
クラスター爆弾ですよねぇ
BLU-46って、BLUだからクラスター爆弾だよねぇ。
小さな鉄球が500個だの700個だの入っており、
爆発と共に飛び散ります。
こんな小さな鉄球が人の身体に入り込んだら・・・
しかも、現在においてもインドシナ半島の国々において、
クラスター爆弾の不発弾が埋もれております。
そして、その不発弾被害に遭われている住民もおります。
現在、ラオス国内の不発弾や地雷による被害が深刻化されておりますが、
日本ではほとんど報道をされていないのかと。
戦争から40年以上経つ今となっても、その被害は続き、
今後何十年先までもその被害が出るだろうと言われております。
ナパーム弾、クラスター爆弾、白リン弾・・・
身体に大きな損傷をもたらす兵器により後遺症で苦しむ住民が多数。
ベトナム戦争で有名となってしまった兵器と言えば米軍の散布をした枯葉剤でしょうか。
そのダイオキシンやら、他の毒性薬品もあいまって、
日本でも有名となったベトちゃん・ドクちゃんを始めとする奇形児が産まれ、
現在も苦しんでいる方々がおります。
枯葉剤が散布された地図
森林を始め、ゲリラが潜伏している地域の草木までを枯らす目的で散布された枯葉剤。
枯葉剤の製造過程、散布の様子が静止画、動画で展示されております。
散布する側は毒マスクを装着しており、その毒性は重々認識をしていたと
人体に後々まで影響をもたらす枯葉剤を、
なんらためらいなく散布する米国![]()
戦争証跡博物館の展示物で、
忘れてはならないのはソンミ村の大量虐殺事件。
現在も各国、地域の紛争において虐殺行為が行われております。
戦争証跡博物館の展示写真は、比較的刺激の少ないものですが、
ネット等で”ソンミ村”などで検索をしますと、脳みそや内臓が飛び散った
死体の写真等が出て来ますので、純粋にベトナム戦争ではどのようなことが
起きていたのか・・・を知りたい方以外はお勧めいたしません。
ソンミ村大虐殺の主犯、米国陸軍ウィリアム・カリー中尉の写真
ミライ地区ソンミ村の虐殺ですが、
ソンミ村だけではなく、同日近隣の村でも行われました。
事件概要:wikiってみました
1968年3月16日、アメリカ陸軍第23歩兵師団第11軽歩兵旅団・バーカー機動部隊隷下、
第20歩兵連隊第1大隊C中隊(機動部隊には他に第1歩兵連隊第3大隊所属のA中隊と
第3歩兵連隊第4大隊所属のB中隊、そして砲兵部隊があった)の、
ウィリアム・カリー中尉率いる第1小隊が、南ベトナム・クアンガイ省ソン・ティン県にある
ソンミ村のミライ集落(省都クアンガイの北東13km、人口507)を襲撃し、
無抵抗の村民504人(男149人、妊婦を含む女183人、乳幼児を含む子供173人)を
無差別射撃などで虐殺した。集落は壊滅状態となった(3人が奇跡的に難を逃れ、2008年現在も生存している。最高齢者は事件当時43歳)。
さらにC中隊が何ら抵抗を受けていなかったにもかかわらず、
B中隊が増派され、近隣の村落で虐殺を行っている。
尚、1970年に開かれた軍事法廷でこの虐殺に関与した兵士14人が
殺人罪で起訴されたものの、1971年3月29日に下った判決ではカリーに終身刑が
言い渡されただけで、残りの13人は証拠不十分で無罪となった。
また、カリー自身もその後10年の懲役刑に減刑された上、
3年後の1974年3月には仮釈放される。
陸軍のこの不可解な処置は世界中から大きな非難を浴びた。
虐殺計画は掃討作戦決行の前夜に決定された既定事項で、
C中隊指揮官のアーネスト・メディナ大尉が主張したものであるという。
ソンミの虐殺はベトナム反戦運動のシンボルとなり、
また国外でも大きな批判の声が起こってアメリカ軍が支持を失うきっかけとなった。
1968年3月16日の早朝、ソンミの村人は、いつもと同じように早く床を離れ、
一日の作業を控えての食事の支度を終えた。
多くの家では家族が食卓を囲んでいた。ある者はすでに市場に出かけたり、
くわを担いで畠へと向かった。春の朝である。小鳥がさえずり、何羽かの鶏が、
遅めのときの声を作ったりしていた。
この下の写真・・・
「この二人の子どもが撃たれたとき、年上の子どもは、
小さいほうの子を庇うかのようにその上に倒れこんだ。
だが、すぐ、米兵たちが二人にとどめをさした。」と。
ソンミ村虐殺の一部文献を引用
数日前に出産したばかりの女性、ヴォ・チ・マイ〔Vo Thi Mai〕さんは、
体が弱っていて壕に入れずにいたが、米兵たちによって裸にされ、死ぬまで強姦された。
出産間近かの妊婦、ニョン〔Ngon〕さんも、やはり強姦されたが、
そのあと米兵たちは彼女の腹に銃剣を突き刺し、両足で踏んで胎児を突き出させた。
遺された3人の子どもたちは、恐怖でその光景に目を開けることも
出来ず泣き叫んでいたが、米兵は彼らも射殺した。
ヴォ・チ・プー〔Vo Thi Phu〕さんは、赤ん坊に乳を飲ませていたところを射殺された。
米兵は、彼女たちを残酷に殺害する前に、その身体に野獣のような行為を行なった。
14歳になるパム・チ・ムイ〔Pham Thi Mui〕は、その母親の死体のすぐ脇で、
米兵によってつぎつぎと輪姦された。
彼女の母親は、その直前に、小さな赤ん坊とともに射殺されていたのだ。
強姦が終わると、米兵たちは彼女を小屋の中に放り込んで、火をつけた。
ムイが家から這い出そうとするたびに、米兵は彼女を押し戻し、
ついにムイは焼死し、炎は彼女の母親もその赤子も灰にした。
12歳の少女、ド・チ・ギェット〔Do Thi Nguyet〕は、腹部を切り裂かれた。
60歳の老女、トルオン・チ・ダウ〔Truong Thi Dau〕さんは、
二人の米兵に強姦されたあと、殺された。
まぁ、そんなこんなでご一読を・・・
1968年5月16日の朝、米軍
と韓国軍
がやってきて、
無抵抗の村民504名を殺戮した。
・妊婦17名を含む、182名の女性
・173名の子ども達
・60歳以上の男女60名
先の大戦において、沖縄地上戦も悲惨な、凄惨な、そして残酷な結末を迎えました。
しかしながら、先の大戦の後、朝鮮戦争を経てのベトナム戦争です。
沖縄地上戦とは異質の、もしかしたらそれ以上の惨禍だったのかと思います。
戦争の惨禍は時が流れても繰り返されます。
どれだけ時代が流れようとも、兵器や物資が変われども、
その本質は変わらない。
米軍による虐殺ばかりが表立って報道されておりますが、
実は、ベトナム戦争全体で見ますと、韓国軍
の方が遥かに酷かった、
余りにも凄惨過ぎました。
(以下、一例)
・ゴダイの虐殺事件:1966年2月26日ビンディン省タイソン県
タイヴィン村アンヴィン集落のゴザイ
韓国陸軍首都機械化歩兵師団(猛虎部隊)は
住民380人を集めると一時間のうちに一人残らず虐殺した。
・タイビン村虐殺事件:住民68名を1ヶ所に集めると銃撃を加えるとともに
手榴弾を投げつけて婦女子を含む65名を殺害した。生存者はわずか3名であった。
その他にも、フォンニィ・フォンニャットの虐殺事件、ハミの虐殺事件など、
ベトナム戦争における、大きな虐殺事件は韓国軍が行ったというのも
歴史上の事実であります。そして、その状況たるや凄惨なものでありました。
それは戦時下という特殊な、特異な環境下で起った事だから・・という言葉では
済まされないような気がします。
例えば、生存者の証言からは韓国軍
による民間人虐殺の方法に
いくつか共通した類型があったようだと
・大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
・子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
・女性を強姦してから殺害。強姦しながら拷問。
妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
・トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す……等々。
ライダイハンと言う言葉・・・ご存知でしょうか。
韓国人
とベトナム人の間に産まれた子どものことです。
まぁ、アメリカ人とベトナム人の間に産まれた子どもも多数おりましたが、
ライダイハンが産まれた理由はとても悲しい経緯ででした。
このライダイハンが多くなった原因として、
韓国軍兵士
による強姦、兵士や民間人が「『妻』と子供を捨てて
無責任にも韓国に帰国したこと」とする現地婚。
加えて「ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた。」とする
慰安婦(非管理売春)等が挙げられており、その数は1万人を超えるとも言われております。
ベトナム戦争中、韓国軍
は反共勢力を支援し、自分たちの慰安所設置のため
軍の部隊を送り込んだ。当初、韓国兵たち
は多くのベトナム人女性を強姦し、
その後、慰安所で働くよう強制した。多くの場合、強姦によって子供が生まれ、
その子供たちもベトナムの慰安婦という性奴隷として働くよう強制された…
ベトナムでの慰安所設置とベトナム女性への強姦に加え、韓国軍
は
非武装のベトナム民間人、主に女性と子供の虐殺という戦争犯罪も犯している。
しかし韓国側
は韓国兵による強姦で混血児が生まれたことも、
性奴隷としてのベトナム慰安婦(の存在)も無視し続けております。
先の大戦における従軍慰安婦問題を捏造し日本につきつけているようですね。
ベトナム戦争では韓国軍
によって少なくとも9,000名が虐殺されたとも、
あるいは、30万人を超すベトナム人が虐殺されたとも言われているおります。
そんな国が日本国に対し、大東亜戦争(第二次世界大戦[太平洋戦争])の戦後保証だの、
捏造された従軍慰安婦問題について言えるのでしょうか![]()
ベトナム政府は
「戦勝国である我々は、韓国
への謝罪、補償は求めない」としておりますが、
現在のベトナムは日本と並び韓国との経済連携、人的交流をしており、
両国間に溝が出来ないようにしているのは明白です。
しかしながら、うやむやのまま過去の歴史として埋没をさせて良いのでしょうか。
同じようなことが現在、未来に渡って起きないものなのでしょうか。
いや、現実として、ベトナム戦争以降、各国で同様のことが起きていますよね。
それを抑止する為にも、そして、捏造された従軍慰安婦問題を日本につきつけている
韓国政府、韓国人に対し声を高らかにして言いたい、
そして、皆様にも言っていただきたい
「私たちは、ベトナムを忘れない」と



























