本年1月に
東日本大震災後の日本製紙石巻工場のノンフィクション本の
書評をブログに致しました。
「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場 佐々涼子著
そんなブログはコチラに・・
http://hama-sush-jp.pro/kamizoh/entry-12121498097.html
今回の仙台、松島、平泉徘徊行で、是非とも訪れたかった、
日本製紙石巻工場と震災直後の避難地となった日和山であります。
この日和山が生死を分けたというのは、著書にも記載の通りでございます。
東日本大震災以降、被災地へは初となります。
松島も津波被害があったのでしょうが、どうしても石巻の方が印象強いもので
松島から高速道路を通り、一般道へ
写真は石巻市内の交差点でございます。
ここから、日和山まで5分程でしたかねぇ
日和山公園の駐車場(無料)
に停めまして、
日和山からの海方面
礼
橋は日和大橋ですねぇ
同じような写真が続きますが・・・
震災後に再建された工場などでしょうか
震災当時の写真などが掲載されておりました
手前にある建物は、震災後に建てられたものなのでしょうねぇ。
ヤフーの空撮写真は震災前の写真のままです。
それを見ますと、眼下には住宅地が広がっていた事が分かります。
どうしても、津波とは縁の無い地域におりますと、
津波に対する感覚が鈍っており、いざ、海岸付近にいた時に
地震が起きたら、どう行動できるのか、分かりません
震災当時は、壁のような津波が押寄せた事なのでしょう。
先般、大川小学校訴訟判決において、”津波の予見性”が焦点にあがりました。
震災当時、職場で隣のじいちゃんのワンセグをチラミ
しておりましたが、
まさか、東北地方にこれ程までの大津波が押し寄せるとは思いもよりませんでしたもん。
自然災害が起きた後は、いくらでも言えるものです。
「タラレバ」の好きな国民ですから。
自然災害は、想定外の事がありますよ。いくらシュミレーションをしても、
いくら研究が進んでも、何が起きるか分かりません。
なので、”自然”なんですよ、”人工”とは違いますもん。
先般、御嶽山噴火時
に山小屋の主が、避難するかどうかの葛藤に苦しんでいた
というTV番組を見ましたが、「逃げるか留まるか」の2択が
結局の所、生きるか死ぬかの二択につながるのだなぁ~と痛感します。
人生、数多の選択肢を与えられる時がありますが、
究極の場面となると、二択の世界なのだと。
礼
これが、日和山より見える日本製紙石巻工場の煙突の煙です。
只今の時刻は平成28年10月24日(月)16:10です。
著書にもこの煙突の煙についての記載がありました
紙づくりのプロセスには大量の水が必要で、
石巻工場では、近くを流れる旧北上川から一日最大45万トンを取水しているようです。
ちなみに、煙突から見えた白い煙は水蒸気ですねぇ。
wikiってみますと
東日本大震災では津波により、工場設備に甚大な被害を受けた。
地震発生当時、構内にいた1306人の従業員は避難して全員無事だったものの、
工場1階が浸水、出荷前の製品も流出した。
3月26日に社長の芳賀義雄が工場を視察し、工場の復興を宣言した。
3月下旬より津波により流入した土砂および瓦礫の撤去を開始、
被害を受けなかった他工場で編成した復興支援チームの応援も受け、
半年後の操業再開を目指して工場設備の復旧作業が行われた。
8月10日に蒸気を供給する6号重油ボイラーを再稼働、
8月20日に1号バイオマスボイラーの連続運転を開始、
併設するN1タービンによる自家発電を開始した。
電力の一部(最大40,000kW)は東北電力へ供給された。
1号バイオマスボイラーは木くずを燃料としていることから、
宮城県からの要請により震災で発生した木質系瓦礫を受け入れ燃料としている。
9月16日に8号抄紙機の運転を再開、被災から半年で操業再開にこぎ着けた。
その後、順次設備を復旧し、2012年3月6日には、主力設備であるN6号が運転再開、
8月30日、N2号抄紙機および2号塗工機の運転再開により、
復興計画で予定されていた抄紙機6台、塗工機2台が全て復旧し、
従前の生産能力を取り戻した。
本やノンフィクションなどのドキュメントを見ますと、
現地に行きますと想像しやすいですね、その逆もまたそうですが
日和山を下りまして・・・日本製紙石巻工場へ
こちらが津波が押寄せた門なのでしょうか。南側にある門です。
著作などを見ますと、津波は三方向から工場へ押し寄せたとか
いつぞやに某研究者に
僕タン:「浅間山って噴火しますかねぇ
」と聞きましたら
研究者:『そぉ~いやぁ、かみぞー君って、浅間山山麓に住んでいるんだよね。
山ってのは噴火するかは問題では無いんだよ。
噴火後、もし火山弾、火砕流、溶岩流が来るとしても、
逃げられる時間や場所があるかどうか。
かみぞー君家は逃げるまでの時間を確保できる所
』と。
津波に関しても、『津波だって、震災後直ぐに来る所は少ない。奥尻島は別だけどね。
今回の東日本大震災だって、津波が来るまで少なくとも10分以上の時間があったはず。
もし、津波が起きなくて、逃げた事を笑われたり、後ろ指刺されようが、
そんな事よりも、その与えられた時間をいかに活かせるか。生死を分けるからね。
かみぞー君は運動嫌いだろうけど、生き残るために、走れる体力は付けておきなね』と。
今、健康維持やダイエットの為、あるいは山登りやスキーの体力づくりの為に
ジョギングをされている方もいらっしゃるかと思いますが、
究極的には自分の命を守る事につながるやもしれませんよねぇ。
人生、無駄な事なんて、無いものだって
毎年、御巣鷹の尾根に行っておりますが、
1985年8月12日のあの日、JAL123便はあらゆる選択肢を失っておりました。
自然災害においては、全ての可能性を失う事象になる事は
少ないような気がします。先にも記載をした通り、
究極的には与えられたわずかな時間と二択を活かせるか・・・
台風
や集中豪雨
などで土石流や土砂災害などで住民が被災をするたびに、
行政の避難勧告、通知が遅れた等と言われる事が多いですが、
平素より「縦割り行政」「お役所仕事」「政治家の言う事は嘘ばかり」等と
批判の矛先となりがちな組織の情報に命を預けるのではなく、
目の前に差し迫っている危機があるならば、自らの判断で行動をしても良いのでは![]()
自らの命の危機が差し迫っているのに、他人任せで良いのか![]()
と思う事もありますが・・・その判断力は日頃から培わなければならないな、
と感じたりもします。
北の方の国から、核弾頭を搭載した”なんとか丼”が飛んできた日には、
国や行政の指示など無視して、個人で某所に避難しますけどねぇ。
※松代大本営跡へGO!では無いですが
もちろん、浅間山噴火時
は
小諸市の”広報小諸”の放送なんぞ、OUT of 眼中であります。
ってか、いつも”広報小諸”のアナウンスが音が小さかったり、
音割れをして聞こえないんですけど![]()
日本製紙石巻工場の周りって凄い臭いがしますね。
どうやら、どこの製紙工場周辺はどこも悪臭がするらしいです。
精製するうえで使用される化学薬品の臭いなのでしょうか。
ただ、この日本製紙石巻工場の煙こそが、復興の証だと・・・
只今の時刻は平成28年10月24日(月)16:28です
僕タンにとって石巻は重い空気を感じましたが、
住民の方々にとっては重苦しい空気と同時に、
未来に向かって希望に満ちた空気なのかもしれません。
何事もそうですが、実際に、自分の眼で観て、耳で聴いて、心で感じる。
五感+αの事を直接感じていきていきたいものであります。
礼



















