先日対面鑑定が終わった後、地元であった紅型展を見に行きました。


紅型って↑こういう沖縄で見られる染めの柄なんですが、発祥が琉球でその後本土にも技術が渡りました。
京紅型とか江戸紅型とかです。
紅型って「びんがた」と呼びますが、紅のびんは色をさすという意味で、型は型紙を使って染めるので、紅型といいます。
紬も琉球発祥で久米島で作られるようになってから、琉球本土に技術が渡り、本土にも南から技術が広がっていって、最終的には山形の米沢紬が最後に技術が渡った場所だと言われています。
昔の琉球は鎖国をしていた本土と違って、中国や東南アジアとの交易で、織物の最先端の技術が入ってきていました。
紅型展は詳しいひとから紅型の工程を見せてもらったり、道具の説明などを聞きました。
染める時に隈取という工程があって、色を染めていくんですが画材屋にある筆ではなく、女性の髪の毛を使って筆を工房で手作りしてると伺ってびっくりしました。
売ってるんですかって最初聞いてしまったんですが、紅型工房の人しか使わないから製品化はないですよって言われて納得してしまった。
でも道具で一番びっくりしたのが、ケーキの生クリームを絞り出すような道具があって、糊を絞り出すものなんですが、その先端が薬莢でした。
なぜかというと、戦後焼野原になって二年後に工房を復活させようと活動されていた城間さんが、その辺にあるもので手作りして使うようになったからだそうです。
その頃は薬莢なんてその辺にゴロゴロ転がってたよ
という言葉が印象的でした。
紅型は琉球時代は王や士族しか着れないものでした。
だから紅型工房で働くひとは元々公務員でした。
(ノロさんも同じです)
でも琉球処分で沖縄県になったとき、王政ではなくなったので国からお金が入らなくなり、一気に生活が苦しくなったそうです。
それでも王朝時代からある紅型御三家と言われる沢岻家(戦争後今は絶えてる)、城間家、知念家はそのまま頑張って工房を続けてましたが、そんな時戦争で工房や道具や型紙全部燃えてしまったそうです。
(※特に型紙はその家々で代々受け継いでいくもの)
一回技術なども絶えそうになったところでまた、二つの家は復活されて今も続いています。
紅型展に行ってまさか薬莢に触ることになるとは思いませんでしたが、急にリアルに目の前に戦争がやってきた気持ちになりました。
その薬莢に触ったとき、ぶわっと目の前に焼野原の景色が広がって視えたからです。(実際に戦争で使われたものですしね)
急に紅型展の情報が入ってきたのは、その話を後ろの人が聞かせたかったのかなと感じました。
薬莢がその辺にある日常ではない日々を過ごせることに、感謝したい気持ちです。
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全然関係ない、しかも大河ドラマを観てない人にはさっぱりな話なんですが、今週色々仕込んであって驚きました。
私、OPは早送りしてみてなかったので、ネットで大竹しのぶさんの名前見るまで歩き巫女が誰だか全然気づいてませんでした(笑)
あとで見返したい気持ちです_(:3 」∠)_
そして北条泰時が上総広常の生まれ変わり説。
梶原景時が上総広常を双六に誘って、双六に負けた時に討たれたってことを私はすっかり忘れていました。
歩き巫女に双六の話を振られていて、なぜか泰時が双六を見ると気分が悪くなるって話に、なにそれってなりましたが、上総広常が討たれた日に、八重さんは泰時を生んでいたのです・・・。
大河ドラマに生まれ変わりを入れてくるなんて・・・これが一番びっくりしました(; ・`д・´)
双六がカルマになってるってことなんですね!
あと八田殿が気づかなかった、「のえの本性」にあっさり気づく三浦義村(笑)
歩き巫女が悩む実朝に言った
「お前の悩みは、どんなものであっても、それはお前ひとりの悩みではない。はるか昔から、同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。この先も、お前と同じことで悩む者がいることを忘れるな。お前ひとりではないんだ、決して」
というのがとてもジーンときました。
自分が抱えている悩みは古今東西いろんな人がもっていて、自分だけが悩んでるわけではないってアドバイス・・素敵だなと思います。
それだけに雪の日の実朝死亡フラグが・・・( ;∀;)
個人的に和田殿と大江広元が出てくると癒されますが、次回はとうとう畠山重忠の乱。。。_(:3 」∠)_
今度の日曜日は大荒れですね('ω')+
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