夫が姑に毎月3万円の小遣いを貰っていた事は、相当なショックだった。
しかし、思い返してみると、数々の事が思い当たる訳だ。
姑に
『それは、いつ頃からですか??』
と聞いた。
姑は
『○年の□月頃から!!』
と言った。
それは
入籍した半年後だった。
要するに夫は、親と縁を切ってでも私と結婚したいと決めたのは、
私の親をアテにしていた
からだったのである。
だから
『養子に入ってもイイです。』
なんて口走っていたのだ。
まず、私とどうしても結婚したかったのは、確かに私を愛していたからではある。
しかし、ずっと母親から指図されて来た夫なので、親に対して
『嫁くらいは自分で決める!!』
と思っていた。
要するに、夫が『親と縁を切ってでも…』と言っていたのは
親に対する反抗心と、私の親に対する依存心がまさにベストマッチしたからなのである。
簡単に言えば、『乗り換えた』だけである。
そして、私が長女なので、私の夫として入り込み、
『長女の婿』
として大事にして貰えると思っていた様だ。
生活費の心配をする事も無く、その上長女の婿殿として大事にして貰えると思っていたので、夫としたら、まさにパラダイスを予想していた訳だ。
ところが、娘の為に結婚式を挙げてやってくれと言う割には一銭の費用も出しては貰えず、私の親に対して次第に
計算違い
を意識しだす。
思い出して欲しい。
新婚旅行の時に、既に夫のケチは炸裂していた。参照
夫としたら、大事な大事な娘の為なので、結婚式の費用も新婚旅行の費用も、全額私の親が出してくれると思っていた訳だ。
そして、生活の援助も当然の様にして貰えると思っていた訳である。
ところが、ウチの親はそんなに甘っちょろい親ではなかったし、まだ弟が2人も居たのでそれ所ではない。
で!!
市住に引越しをした辺りから、私の父の話が無いが、これは有る理由がある。
私の父母は別居していた。
理由は、私の父の浮気だ。
私の父と母は年齢差8歳で、母の方が年上である。
母はどちらかと言うと器用では無く、物凄い不器用な上に家事下手だった。
ミシンも使えなかったし、だからと言って手縫いでも下手だった。
掃除は明らかに四角い部屋を丸く掃いていたし、どこもここもホコリだらけだった。
当然私たち兄弟は、ほとんど友達を家に呼ぶ事は出来なかった。
なぜなら、ごみ屋敷の様な有様だったからだ。
母は、まず物が捨てられず、そして整理整頓が出来ない人だった。
料理も下手だったので、おでんやシチューにカレーの様な、鍋一つで煮込む物しか作れなかった。
それ以外のオカズは、全て惣菜を買って来ていた訳だ。
私も小さい頃は、友達の家に行くと、どこもウチより物凄く綺麗に片付いている家ばかりで、『散らかってるけど~』なんて言われても、どこも散らかってなんていないと思えるほど綺麗な家ばかりに思えた。
まずウチの母は、散らかっているのが気にならない性格であった。
そして、
『子供が3人も居れば、掃除なんてしたって無駄。』
と豪語していたので、自分で自分に甘いタイプだった。
逆に言えば、気楽と言えば気楽な母だった。
結果的には父と母は離婚したのだが、几帳面で実直な父が、なぜこの母と結婚したのか、離婚後に聞くと、
『若気の至りや!!』
と言った。
詳しく聞くと、最初知り合ったのは、母の妹の方だった。
仕事で関東に出張した際、飲み屋で叔母と意気投合し、出張期間中は毎日一緒に飲みに行ったらしい。
仕事が終わり、帰る事になった父は
『今度手紙書くよ。』
と叔母に住所と電話番号を聞いた。
叔母は、手紙なんてそんなに書くとは思わなかったし、電話も関西と関東だったので掛かってくる訳は無いと思ったらしい。
ところが父はそうではなかった。
関西に帰った後も、手紙は書くし電話も掛ける。
そしてついに、旅費を送ったから関西に遊びに来てくれと言ったそうだ。
叔母は困った。
父の事を『イイ人』とは思っていた様だが、当時は今の様に新幹線がまだ通っていなかったので、そんじょそこらで行ける距離ではなかった。
そして、手紙や電話の内容から、関西に行けば『結婚してくれ』と言われるかも知れないと、薄々気が付いていた訳だ。
叔母は故郷から出る気は全く無かったので、断ろうと思っていた。
そこでだ!!
『私、行きたい!!』
と言い出したのが、叔母の姉である母だった。
母は、叔母と父の飲み屋デートに毎回お邪魔虫で着いて行っていたそうだ。
叔母としたらお邪魔な姉だと思いながらも、当時はそんなに女性一人で飲み屋に行くなどと言う事などほとんど無く、祖父母も姉妹で行くのならと許可していた様だ。
叔母からしたら、父の事をイイ人と思いながらも、所詮は関西から出張して来ただけの、単なる一時の飲み友達だと言う認識だった。
ところが!!
姉は一目惚れだった!!
父からの誘いに、
『せっかく旅費まで送ってくれているのだから、代わりに私が関西に行って来る!!』
と、父が出迎えに行った駅の改札口に登場したのは母だった。
当時を振り返り、父としたら
『何でこいつが…。騙された!!!』
と思ったらしい。
そして
母は無一文で関西にやって来ていた。
帰りの旅費まで父に貰おうと思っていたらしく、それよりも関西に居る間に父と何とかなろうと思っていたそうだ。
無一文なので、当然宿には泊まれない。
父は父で、叔母が関西にやって来たら
『宿なんて取らなくても、ウチに泊まったらイイよ♪』
と言うつもりだったから、宿なんて当然取っていないし、そんな金は用意していない。
あわよくば、そのまま関東に帰さずに、嫁にしてしまおうと思っていたから余計だ。
しかし!!
来たのは姉だ。
その上、無一文で来ている。
金が無いから宿を取ってやる事が出来ない。
だからと言って、駅でほったらかして帰る訳にも行かない。
『で!?
どーなった訳!?』
『せやからな…
なる様になってしもた訳や…』
『(゜Д゜) ハアアアア??』
『そない言うなや…
お父さんも、その時ハタチ過ぎやったんや…。』
『アホちゃうん!?』
『やっぱり
ワシって憎い奴やなぁ~♪
(^∇^)アハハ!』
これが私の父である。
マジで男前の父であった。
お世辞ではなく、私の父は俳優で言うと勝新太郎と『悪名シリーズ』で共演していた、『清次』役の田宮二郎がそっくりであった。
『白い巨塔』の財前吾郎役でも有名。参照
けれども、私は子供時代にずっと北島サブちゃんと間違えていて、父は歌手だとも思っていた。
年末には必ず1週間釣り仲間と海釣りに行っていたのだが、なぜか子供の頃は歌謡大賞や紅白歌合戦に出る為だとばかり思っていたのだ。
『お父さんは、五木(ごもく)ひろしと友達。』
だと、真剣に思っていたのである。
しかし、芸能人の子供なので、絶対に周りに
『ウチのお父さんは、北島三郎なの。』
と言ってはいけないんだと思っていた、とんだ間抜け者だったのである。
なので、紅白歌合戦で北島サブちゃんを見ると、今でも
『あ~、お父さんや~。
いつまでも、元気で頑張ってや~。』
と、涙が出て来る。
御節の最中でも、テレビ画面の前で正座して見ているし、
『ま~つりだ♪祭りだ♪♪』
と、一緒に踊る。
まぁ、そんな事はどーでもイイのだが。
とにかく、父は男前だった。
ニヒルで色気が有って、女に優しい上に、可愛がってやろうと思える様なヤンチャな男だった。
と…、今気が付いたのだが、ウチの長男は父に似ている。
顔のベースは夫に似ているのだが、ちょっとした仕草や、女泣かせな態度、そして抜群に女にモテる所なんかが、父にそっくりである。
おまけに、家事が何も出来ない女にほだされちゃって、嫁にしちゃう所までそっくりである。
お父さん。
あなたの血は、確実に孫に引き継がれていますよ。
ちなみに私は
母似です!!_| ̄|○
だから、こんな話はどーでもイイのである。(笑)
私はファザコンなので、この世で一番の男前は父だと思っている。
こんな調子で父と母は結婚するハメになったのだが、元来モテモテの父が、別に惚れた訳でもなく、たまたま寝ちゃった女に居つかれて、そのまま結婚までしちゃった訳なので、大人しく収まる訳が無い。
しかしながら、私が生まれた事が大変嬉しかったそうで、
『この娘の為に、一生懸命頑張ろう!!』
と、思ったそうだ。
(だからこそ、私がこんな夫と結婚した事は大変ショックなのである。)
父はどこに行ってもモテた為、母の気苦労は大きかっただろうと思う。
宴会の写真を見ても、真ん中に父一人で、周りは芸者さんがいっぱいだったり、道を歩くと綺麗なお姉さんが
『あら、Kちゃん!!
この頃来てくれへんからさみしいわ~♪』
だとか
『あら、この子お嬢ちゃん?
大きなったら、お父さんと一緒に来てや~♪』
だとか
『あんたのお父さん。
ホンマにエエ男なんよ~。』
なんて声を掛けられるほどだった。
子供心に、自分の父親はマジで男前だったと思うし、女にモテる父がちょっと自慢でもあった。
それだからこそ、母の心は嫉妬でいっぱいだったと思う。
けれども、父の仕事は建築業だったので、色々の付き合いが当然有り、連日の様に飲み歩く父を止める訳にも行かなかった。
けれども父は、必ず毎日5時半に帰宅し、私たちと一緒に夕食を食べ、時には私たち子供を風呂に入れてから飲みに行くのである。
父は、
『父親としてきちんとする事をしてから飲みに行っていた、女泣かせな男前のKちゃん』
と、自分みずから言う父だった。
母は、いつしか子供3人に固執する様になった。
固執と言っても、何かを強制するでなく、ただ単に夫に掛ける分の気まで、全て子供に注ぐ母だったのだ。
父の事は、身の周りの事と食事の世話、親戚の付き合いなどだけで、父個人的な部分に対しては
『ご自由に、お好きにどうぞ。
私は子供と一緒に居るだけで十分よ♪』
になっていた。
なので、年末から1週間も掛けて釣り旅行に行っていても、子供たちとだけで羽が伸ばせると逆に喜んで行かせていた。
しかし、その釣り旅行だが、父には隠し家族が出来ていたのである。
私が結婚した時に、
『かづぷーも大人や♪
ワシにはなぁ、かづぷーの2歳下になる男の子が一人、四国の○○と言う所に居てるんや。
その子の母親はな、「Kちゃんの子が産みたい!」って言うてな。
そんで、「Kちゃんには絶対に迷惑掛けんし、結婚してとも言わん。子供も一人で育てるから、子供が欲しいねん!!」って言う、けなげな女やったんや。』
と、突然言い出した。
何の告白だよ、父。
『けどな、ワシもそう言う訳にはおれんから、毎年年末だけでも過ごしたって来た訳や。』
だから、何で告白しだすんだよ。
要するに、父の言いたい事は
母がどうぞどうぞと言って遊びに行かせてくれる様になってから、更にどんどんモテだし、据え膳食わねば男の恥だとか、まだ23~4歳の若い頃だったゆえに、女遊びにも拍車が掛かったそうだ。
まぁ、男の色気がだんだんと付いて来た頃だと言う事だろう。
そして、たまたま毎年四国へ友人たちと釣り旅行に行っていて、そこでイイ女が居て、行く度にイイ仲になったらしい。
その女は、数年前に行方が解らなくなり、男の子の名前が自分の名前の一字を取って『K○』だと言う事しか解らないので探し様も無い。
行方をくらますくらいなので、よっぽど探して欲しくないと思っているのだろうと、今日まで忘れようとしていたが、かづぷーが結婚したので、ワシの心の閊えを聞いて欲しいと思った。
らしい!!
ここで、なぜ娘に告白しようと思ったのかは全く理解が出来ないが、外では男の中の男で生きて来ている父なので、やはり男の弱い所もちゃんと有ったのだと思った。
子供が居た事にはいささか驚いたが、父の女が一人や二人ではない事くらいは薄々解っていた。
それくらい、父は色男だったのだ。
娘でも、イイ男で男前だと思っていたし、友人たちも父を男前だと言ってくれていたので、そりゃモテもするだろうと思っていた。
けれども、それでは済まないのが妻である母だ。
子供に手が取られて忙しい時期は、それこそ父が毎晩飲みに行ってくれている方が手間が無くてイイ。
父は決して家庭を顧みない訳じゃなかったし、飲みに行っても寿司だとか焼き鳥だとかをお土産に持って帰っていた。
夜中の3時に父が寿司を持ち帰り
『かづぷ~♪
アナゴの箱寿司や!!
ホラッ!!起きぃ!!』
と言って起こされ、眠くて食べられなかったら
『お前らは、せいの無いやっちゃの~。』(やりがいの無い奴と言う意味)
と言って、すねて寝てしまう。
母も私たちも、本当にヤンチャな父だと思っていた。
子供が小さい頃は、母は子供に一心になっていた。
今から考えると、別にそれは子育てに集中した訳でもなく、ただの依存であったのだ。
なぜなら、私は小学2年生で既に夕食を作っていたので、父は母をよく叱っていた。
『娘に家事させて、お前は何でサボってるんや!!』
と、父が怒鳴り
『女の子に家事させて、何で悪いんや!!』
と、母が口答えする。
もっともな話なのだが、実は母はこの時既にアルコール中毒になり掛けていたのであった。
昼間子供たちが学校に行っている間、何もする事が無い母の頭には、昨夜父がどこの店で飲み、どこのママと楽しくしていて、店が終わってからママとどこに行ったのか、そして何時に帰って来たのかなど、悶々としていたのだと思う。
元々飲める母だったので、次第に酒に逃げる様になる。
最初の内は、当然子供が学校から帰って来るので、後に残る様な量ではなかった。
けれども、次第に量は増え、『娘に家事を教える。』のを口実に、子供たちが学校から帰っても布団の中で寝ている事が多くなった。
子供心には、母の具合が悪いから手伝わなくてはならないと言う気持ちが大きく、おまけに年子の弟と生まれたばかりの8歳下の弟の事が有ったので、お姉ちゃんとして頑張らなければならなかったと言う思いが有った。
そのおかげで、私は何一つ困らない嫁になったので、良かったと言っちゃあ良かったのだが、良かったのか?と言っちゃあ、良かったのか???である。
私と年子の弟が中学生になり、下の弟が幼稚園に入った頃くらいには、母はだいぶ酒から離れていた。
幼稚園の役員やなんやで、しょっちゅう人と会う機会が多くなり、飲んでいる訳にも行かず、飲んでいる暇も無くなった訳だ。
昼間に役員や幼稚園から電話が有っても、へべれけに酔っ払っている訳には行かない。
それに、その幼稚園は保護者が園まで直接送迎しなくてはならない所だった。
酒のにおいをさせて迎えに行く訳には行かなかったと言う事だ。
何はともあれ、酒から離れる事にはなった。
私と上弟は中学だし、下弟は幼稚園で送り迎え。
徐々に、普通のどこの家庭にも居る母親になっていった。
ここで私は思うのである。
母は父より8歳年上だったので、上手に甘える事が出来ず、自分がこのヤンチャな夫をヨシヨシとしてやる事が、年上妻の腕の見せ所だと思ったのではないかと思う。
泣いてすがって引き止めるのは、年上妻としては恥かしい事だと思ったのではないかと思うのだ。
要するに、8歳も年下の夫なのだから、少々遊びもするだろうと、デンと構えるのが年上妻の貫禄と言う物だろうと思っていたのだろうと思うのである。
けれども心は正直で、頭では懐の大きな年上妻で有りたいと思うものの、『どうして毎晩よその女の店に行きたいんだ!!』と、わめき散らしたい衝動を抑えるのが酒になったと言う事だったんだと、私は思う。
私が結婚した年は、私の年子の弟が高校を卒業し、他県の専門学校の寮に移り住んだ年でもあった。
要するにこの年は、元々看護寮に住んでは居たものの、週末には必ず帰っていた娘が結婚し、長男までもが他県の寮住まいになる為に家を出て、母としてはいっぺんに寂しくなった年でもあった。
しかしながら、私に子供が出来たので、孫の面倒を看る事を楽しみにした事で平和が保たれた。
私が子供を産んで里帰りをした際の事は以前に書いたので、そちらをご存じない方はどうぞ。参照
母が酒に戻ったのは、私が里帰りから自宅に戻ってからすぐだった。
その頃は、下弟が学校から帰っても、毎日布団の中で寝てばかりだった。
夕食の時間になるとやっと酒が抜け、夕食は作るものの、下弟が食べている間台所で立って飲む訳だ。
今で言う、キッチンドランカーである。
そして、台所の流しには洗い物をいっぱい溜めたままになり、ろれつの回らない口調で、飲み屋に電話をしていたらしい。
『ウチのKちゃん、そっちにおんのやろ!?』
とか
『あんたがウチの旦那の女やて、解っとんのや!!』
と、飲み屋に電話をしまくる訳だ。
『Kちゃん来てませんよ。』
と言った所で、母は納得しない。
何度も何度も電話を掛けたり、何軒も何軒も電話を掛け続ける。
おまけに、それは全て酔っ払った上でだから始末に置けない。
何度も警察のお世話になり、その都度、父や中学生の下弟が警察まで引き取りに行く訳だ。
警察でも顔馴染みになっていたので、中学生の下弟でも引き渡してくれていたが、時折厄介だったのは病院に担ぎ込まれた時だ。
本人は酔っ払っているので、訳が解んない状況になっている。
しかし、担ぎ込まれた所は病院である。
なぜか母は、病院と言えば『かづぷー』とインプットされていた様だった。
母は、道で酔い潰れて寝ていては救急車を呼ばれたり、飲み屋で暴れて怪我をしては病院に運ばれた。
救急隊の都合によって、運ばれる病院は様々だった。
そして母は、
『ウチの娘は看護婦。
ウチの娘を呼んでーー!!』
と、私の電話番号を口にするのである。
どこをどう入ったのか、高速道路の真ん中をフラフラと歩いていて通報されたり、線路の真ん中を歩いていて転んで動けなくなって通報されたり。
その度に
『ウチの娘は看護婦やから、娘を呼んでーー!!』
と、電話番号を言うのである。
当時は携帯電話など無い時代なので、当然父には連絡は取れず。居所も解らない。
警察や病院から電話が来るのは、たいていが夜中の2時3時だった。
一番困ったのが、警察に引き取りに行くと、担当の警察官が昔武道でお世話になった方だったり、病院に引き取りに行くと、当直の看護婦が看護学校の同級生だったりした事だ。
話は戻るが、夫はこの様な事から、自分の母親との元の関係に戻る事を決めた様である。
金も援助も貰えず、おまけに面倒だけ持ち込まれる妻の実家より、小遣いを用意して両手広げて待っている自分の実家に戻る方を、選んだ訳である。
けれども、一番最初に母親から小遣いを貰った時期は、まだ私の実家はそんなに大きく揉めては居なかった。
なので、夫はパラダイスになると思っていた結婚生活が、単に夫の稼ぎだけで大人二人が食べて寝て、子供も生まれるので切り詰めながら貯金もしなくてはならない生活に、愕然としただけである。
当たり前の苦労なのだが、夫は全く考えていなかったのだ。
そして、私が親に援助などをして貰う様な娘ではなく、私の親も援助をしてやるつもりも余裕も無かったので、夫としたら本当に計算違いだったのだ。
当然の当然だが、手取りで14万円ほどしか無いのに家賃が3万6千円のアパートに住んでいた訳だから、夫には小遣いをほとんど渡せない。
産婦人科にもお金が掛かるし、今まで夫が使っていた生活費の倍近くは色々掛かる訳だ。
昼間は使わなかった電気も、私は昼間居る訳なので、わずかばかりでも使うから支払いは増える。
トイレにも行くし、テレビも観る。
昼御飯だって食べる訳だ。
結婚してから解った事だが、夫は物凄く凄まじいほどの着道楽だった。
アルマーニやらジバンシー。
様々なスーツは全てオーダー物だった。
持っているメンズポーチも、全て1つ5万円は下らない物ばかりだった。
下着でさえ、当時百貨店でしか取り扱っていない、ブランド物の下着だったし、靴下は1足3千円の物だった。
1足3千円と言うと、現在で言うと5~6千円の靴下と言う所だろう。
(ちなみに、現在は、せいぜい高くても1足500円程度の物しか、履かせていませんが。笑)
夫は、家賃・水道・ガス・電気代全てを親の通帳引き落としにしていて、自分の稼ぎは全てブランド物に費やしていたのだ。
その上、食費だなんだと母親から援助を受けていて、全く自立も何にもしていない男だった訳だ。
結婚する時に夫が用意したアパートも、母親が借りて敷金礼金家賃と支払ってくれていた前のアパートを引き払った金を、そのまま使っただけだった。
私にしたら『夫が用意してくれた』と思っていた訳だが、要するに親が払ってくれていたアパートを引き払った金を、本来なら親に返さなきゃならないにも関わらず、そのまま自分の金にしちゃっていた訳だ。
妻の親がアテになると思ったからこそ、自分の母親に啖呵切って縁切ったのにも関わらず、妻の親からは一銭も入らない上に、小遣いまで貰えない。
カッターシャツも全てクリーニングに出していたのに、妻はそれを家で洗いやがる。
おまけに、スラックスまでアクロンで手洗いしやがった。
(↑後日、これが気に入らない内の一つだったと言いやがりました。)
給料が入った所で、ルンルンランランのショッピングには行けなくなり、
『服が欲しい。靴が欲しい。』
と、悶々とする事になる。
アパートに引越しする時に驚いた物の中には、当然夫のブランド物三昧には驚いたが、夫の持っていた本にも驚いた。
いわゆる、メンズノンノ系の物ばかりだった。
『男の身だしなみ』
やら
『男の一品』
やら
『是非持っていたい小物たち』
などの、ブランドご紹介本の数々だった。
夫に
『このスーツって、いくら?』
と聞くと
『30万』
と言い、
『生地自体をフランスから取り寄せてオーダーした。』
と言う。
『このワイシャツって、いくら?』
と聞くと
『イブ・サン・ローランの、1着3万円。
それもオーダー。』
と答える。
そりゃ、30歳で金が無い訳だ。
金の無い男でも、夫婦で力合わせてコツコツとやって行ければイイと思っていた私が、間抜けだったのだ。
夫は、オボッチャマの、ブランドをこよなく愛する浪費魔だったのだった。
その上輪を掛けて、親から援助貰いまくりの、金銭的に全く自立の出来ていない男だった。
夫からしたら、計算違いと一言で言い表せないほどのショックであっただろう。
後に夫が言った、今でも私は忘れる事の出来ない腹の立つ一言は
『かづぷーは看護学校で副委員長までしていたほどだから、妊娠くらいで看護婦辞めると思わなかった。
男として、一応「仕事は辞めて欲しい」とは言ったが、本当に辞めるとは思わなかった。
辞めずに看護婦になっていたら、今頃はかづぷー一人で当直も合わせて、毎月手取りで40万円近く稼ぎ、ボーナスは100万円近くも貰えたのに。
僕の稼ぎをアテにして、専業主婦になるとは思わなかった。
そのおかげで、今は僕一人で稼がなきゃならなくなったし、小遣いも使えなくなった。
僕に対して、尽くして当然だろ??』
である。
十分『かづぷーの稼ぎをアテにしていた』と言っているクセに、こんな事を言ったのである。
夫からしたら、一日も早く母親と元の関係に戻りたい。
けれども、プライドとして、あれほどの啖呵を切ってしまった以上、自分から泣き付きには行けない。
と、そう思っている所、結婚して2~3ヶ月が過ぎようとした時に、母親から職場に電話が有ったのだ。
さすがは母親だ。
自分の息子がそんな根性の有る男だとは思っていない。
そろそろ音を上げる時期だと見計らって、援助の電話をして来たのだ。
『○○を買ってあげる。小遣いもあげる。』
これで夫はコロッと寝返った訳だ。
長男が生まれた病院から電話をした時、姑が怒鳴り散らした事に激怒しなかったのも、父母が長男に会いに来た時に激昂して罵声が出たのも、勝手に市住の申し込みを姑の近所に変えたのも、
全て、姑と
繋がっていたからだった。
姑の話では、市住に引っ越して来てから本格的に息子に援助してやる話になっていたらしく、毎月3万円の小遣いは引っ越した月から渡していたらしい。
姑が
『あの子は
躾直さなアカンな~。』
と、夫に言い、
夫は
『あぁ、頼むわ…。』
と言ったそうだ。
3万円を渡しながら!!
これを
『密約』
と言わずして、なんと言う??
当然の事ながら、姑から聞いた話を、夫が帰宅して問い詰める。
『僕とオフクロと、
どっちを信じるねん!!』
この期に及んで、夫を信じるのは無理だ。
全て辻褄が合うから余計だ。
『自分の言ってる事が正しいんなら、
今この場でお義母さんに電話してよ!!
嘘じゃないなら
「何、作り話してんだー!」
って、言えるやろ?
さあ!!
電話してよ!!』
夫は私が突き出した受話器を握り、姑宅に電話した。
『オフクロか!?
縁切るから!!
二度と家には来るな!!
ガチャン!!』
夫は、それだけ言って、電話を切った。
『これで、納得したやろ!?
僕は嘘は言うてへん!!』
こんな事で、私が夫を信じるほど甘くは無い。
夫は、窮地に追い込まれた時、自分だけが可愛くなる奴だと薄々解りかけていた私だった。
恐らく、後で何とか言って泣き付けば、母親は許してくれると思った上でのパフォーマンスであろうと、私には見えた。
その次の日から、姑から来訪は無くなり、電話すら無くなった。
『本当に、夫の言う通りだったんだろうか…?』
わずかばかりにそう思い掛けた時、更に驚く様な事になるのである。
続く…。
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