夫は今日で55歳になる。


(ಠДಠ){だから何??)






私は子供なんか、犬でも猫でも産むんだから、産んだ事自体をそれほど有りがたい事では無いと思っている。

不妊治療で悩んでいる方や、長年苦労の末に命を授かった方からしたら、なんて乱暴な言葉だと思う。


けれども、

最近の幼児虐待を見ても解る様に、『産んだ』と言う事が立派なんじゃなくて、『立派に育て上げる』と言う事が立派なのである。



まぁ、『立派』と言う表現も妥当ではない。

ちゃんと社会に通用する様な人間に育て上げるのは、『当たり前の事』なのだから。



苦労して産もうが、予想外に出来ちゃったになろうが、子供を産むと言う事自体はなんら変わりは無い。

問題は、産んだ後なのだ。

厳密に言うなら、お腹に居ると解った時点から『育児』は始まっていると考える。



例えば極端な話し、

妊娠発覚後でも、

『どうしても飲酒や喫煙がやめられない』

と言う妊婦は実在する。


自覚が無いもはなはだしい。


けれども、夫が晩酌をしている前で、ジッと呑まずにもくもくとご飯を食べるのが耐えられない。

どうしても、隠れて呑んでしまうというものだ。

夫が目の前で喫煙するので、禁煙する事が出来ず、1日に何本だったらOKなのかと相談する妊婦も居るのである。


1本どころか、1吸いだけでもダメに決まってんじゃねーか!
副流煙でもダメだって言ってる時代やのに!!



でもですね、

妊婦のストレスを考えれば、ご本人はどーーーーしてもやめられないと言い切っている訳だし、医者も一緒に住んでいる訳じゃないし、独房に閉じ込めておく訳じゃないんで、本人がやめられないと言うのなら、やめなさいと言ったところで無駄である。

なので、

医者は

『1日に○本ならイイですよ』

と、妥協案を出すのだが、

『医者がイイって言ったから、妊娠中でもタバコ吸っていいんだ~♪
 絶対に吸っちゃダメだなんて言うけど、そんなに気にしなくてもいいんじゃん♪』


と思う妊婦は実在する。




物凄く極端な話し、

『飯食わせて着る物着せていれば十分♪』

と思っている親も居る。

その食わせている飯も『チン♪』だったり、着せている物もいつ洗濯したか解らない物だったりする場合も有る。




子供を産んだ事を『立派な事』だとすると、子供を産んでいない女性は『立派じゃない』と言う事になる。

なので、子供を産む・産まないと言うのは、あくまでも個人の自由に任せられる物である。


けれども、『育てる・育てない』と言うのは、個人の自由に任せられる物ではない。

産んだからには育てるのが当たり前だし、義務だ!!




何が言いたいのかと言うと、

『10人産んだ』と言う様な大家族の母親を、

『スゴイ母ちゃん!』

だとか

『素晴らしい母親』

なんて感じでテレビでやっていたりするが、

10人産んだのって、自分たちで考えてそれだけ産んだんだから、子供が10人居ると言うだけの、どこが素晴らしいんだ?と、私はいつも思っている。


一昔二昔前にやっていた大家族物なんか、

子供たちのほとんどがオール1の成績で、子供に食わせるのが精一杯なので、全員中卒で高校に進学した子供が居なかった。

次々と弟や妹が生まれるので、上の子は必然として経済的に高校に行けない事が解って来る。

『バカでも元気だったらイイ』

と言う両親の教育方針なので、元気に育つが子供たちはみんなオバカでもOKなんだとの認識で育つ。

勉強が出来なくても、どうせ中卒で働くんだから、頭より元気が一番と言う教育方針だ。

次々と兄姉たちは中卒で働き出す。

高校に行きたいと言っても無駄だと言う事が解っているので言い出せなかったり、兄姉たちがお金を出し合って弟や妹を高校に行かせてあげようと考える。

これを、『協力し合う、愛情あふれた家族』としてテレビは描いているのだが、私はそうは見ない。


子供と言う物は物心ついた時点で、既に自分が置かれている状況を受け入れなければならない。

受け入れなければならないと言うよりも、受け入れる事しか知らない。

どんな状況であっても、父親や母親、兄弟姉妹たちは好きになるのである。

子供も大きくなると、自分の親が子供を作る能力は有るが、育てる能力が乏しいと言う事は解って来る。

高校に行けないと言う事が、収入や様々な点で厳しいと言う事も解って来る。


高校に行かせてくれなんて、経済的に言えない状況だと知っているし、今まで勉強よりも元気を一番に育てられたので、自分が高校に行けるだけの学力が有るのかどうかも知っている。

だからと言って、塾に行かせてくれだなんて言えない事も知っている。

親が、『中学出たら働いて貰う。ウチは弟妹が多いんだから』と言う事を常日頃言っているし、その家では当たり前の事としているので、もうニッチモサッチモだ。



何度も言うが、ここで変だと思う事は、勝手に10人も子供を作ったのは親だ。

『子供が10人も居るから、一人一人に目が行き届いた躾が出来ない』

だとか

『子供が大きくなったら、上の子が下の子の面倒を見てくれるから助かる』

だとか

『親が歳行って今まで同様に稼げなくなるが、下の子もまだ小さいので、上の子が稼ぎを入れてくれるから助かる』

だとかは

『親の自己満足の為にポコポコ産んでんのか?
 子供をたくさん作れば、高校に行かせなくてイイと思ってんのか?
 子供が子供を育ててくれるからって、当てにしてるからそんなに産めるのか?
 将来は、みんなから少しづつでも貰って誰かが面倒見てくれるだろうと思うからこそ、そんなに産んだのか?』


と、どーしても思ってしまう。

家の中はグチャグチャだし、荷物の中に埋まって生活している状態だ。


『洗濯機は1日に8回回す』

なんて事を、感心するかの様な番組作りだが、

『10人も子供が居たら、それだけ回すだろうよ』

と思ってた。


『作業量』に対して大変だとは思うが、『育児』に対して立派に親をしているとは見えない。



逆に、最近やっている大家族物で、父ちゃんが化粧品会社勤めで、長男が結婚したってやつは、物凄く頑張っていると思う。

あれだけたくさんの子供が居るのに、全員高校に行かせて中には大学や専門学校にも進学させている。

いわゆる、『子供が多いから』と言う事のシワ寄せを、子供自身に被せていない。

どれだけたくさん子供が居ようと、たった一人の一人っ子だろうと、子育てに手抜きが有ってイイ訳が無いのは同じだと言う事が、私は言いたいのだ。



私は子供が二人だが、一人っ子の親に比べて子供の躾や子育てに目が行き届かなくてもイイとは思っていない。

逆に言うと、『一人っ子なんだから、ちゃんと面倒見られるだろう』なんても思っていない。



不謹慎な言い方だが、

子育ては 量より質 なんじゃないかと思っている。


少ない量でも十分に質のイイ子育てが出来るのであれば、それはそれでイイと思う。








私は、子育てに言い訳をしたくない。

私がどれほど辛くても、どれほど苦しくても、子供には何の関係も無いのだ。

『辛いから』『苦しいから』『忙しいから』と言うのを、子育ての言い訳にしたくない。



子供の為に頑張り、子供の為に学ぶ努力を惜しまない。

子供が将来を夢いっぱいで描く事が出来、子供の選んだ夢が花開く事になる様に最大の協力を惜しまない。


それが、人間をこの世に産み落とした『義務』で有り、『責任』だと思うからだ。



幸い、長男にも次男にも、たくさん友人が居る。

長男は、小さい頃からの夢だった料理の道で家族を養って行っている。

次男は、自分の得意分野の学科へ進学する事が決まり(国立は落ちたけどね)、今まで取得した資格が役に立つ道を選んでいる。





話しは物凄く遠くなったが、

夫は勉強の出来る子だったらしいが、イイ高校に行ってイイ大学に行った所で、それは全て母親に染み込まされたブランド志向だと私は思う。

幼稚園から数えて17年間も『学校』と言う所に通っていたにも関わらず、全く友人が居ない。

母親も父親も大勢の兄弟姉妹が居たので、伯父叔父伯母叔母様達が大勢居て、当然従兄弟達も大勢居る。

なのに、誰とも付き合っていないし、付き合って貰っていない。

第一、夫自身が『友人は欲しいと思った事が無い』と言うほどだ。


ウチに息子が二人居ても、『親父に遊んで貰った事が無いので、息子との遊び方が解らない』と言い、母親も私に『息子は一人っ子で小さい子の面倒を見た事が無いから、子供の面倒は見せないで!』と言って来た。

後々で聞いた事だが、母親が父親に『あんたには子供の面倒は無理だから、何もしないで手を出さないでくれ!』と言っていたらしい。

我が息子と遊びたくても、妻から監視されて、何かするたびに文句を言われる様だったので、子供の事には全く無関心になってしまったと言う事だった。


ウチの息子たちも、夫に抱かれた覚えが無い。

夫に対して『父』を感じた事が無いと思う。

夫は、存在としての『父』で有り、食べさせてくれて学校に行かせてくれる、お金を持って来てくれるのが仕事の『父』だった。


こんな事を言ってはなんだが、これも以前のブログに書いたが、

晩年は優しい孫思いの友人の多いジイチャンになっていたが、舅は孫なんてどーでもイイし、息子も妻もどーでもイイとしか思っていないジジイだった。

孫と一緒に出かけても、ベンチで座って缶ビールを飲んで居たいと言ったり、姑の具合が悪くても、自分は普段通りに晩飯食って2時間ドラマを見ていられるだろうと思っていたり、どこにも行かずに誰とも会わずに、一日家にジッと居て、飲み食いだけしていられたら幸せだと言うジジイだった。

舅も、

『友達かぁ?別に欲しいと思わんけどなぁ。
 どこかに行きたいとも思わんし、兄弟たちに会いたいとも思わんなぁ』

と言っていた。




こんな事を言ってはなんだが…

舅も夫も、まんまと姑に洗脳されて居たと言う事だ。

イイ学校に行って勉強が出来る自慢の息子と言うのが、母親としてのステータスだったので、友達の居ない、大学出てからニートに毛が生えた様なフリーターになるなんて思っていなかった訳だ。

自分の夫も、『ウチの夫は公務員』と言う、いわばそれがブランドとでも言いたいかの様な価値観だったので、『夫は公務員』と言うだけで他は何も要らなかった訳だ。

姑は自分側だけでなく、舅側の兄弟姉妹たちとも我が道を行く付き合いで、

これが後に、息子が誰とも付き合って貰えなくなる事に繋がるなんて考えもしていない。

子供や夫より、自分の価値観を最優先させて生きていたと言ってイイ。



なので、

私は夫の誕生日に、

『夫を産んでくれてありがとう』

などとは全く思わない。


『せっかくエエ学校出ても、ニートに毛が生えた様なフリーターやったし、
 友達は全くおらんわ、趣味はブランド物の収集やなんて稼ぎに見合わん贅沢なボッチャンに育ててるし。
 ここまでするのに大変やったわ。
 ホンマ、後先考えへん、子供の為なんか全く考えてへん子育てしよってからに、
 自分の見栄の為に育てただけやん。
 子供の将来や先の事なんか考えへんで、あの姑の犠牲者としか言い様が無いわ…
 だからって、何で私が尻拭いせなアカンのんやっちゅーねん!』



と思っている。

姑がどんな奴でも、夫がどんな奴でも、

夫の誕生日に

『夫を産んでくれてありがとう』

と姑に対して思える人って、神様みたいな人だなぁと思う。








今朝、夫が

『今日は早く帰って来るから♪』

と、満面の笑みで言った。



(ಠДಠ){なんで??)


と、真顔で答えてやった。






(;´Д`A {なんかするのかなぁと思って…)



(ಠДಠ){何の為に??)



(´▽`;)ゝ{僕の誕生日なんで…)



(ಠДಠ){私の時には無かったのに??)



ハッΣ(゜ロ゜〃)







妻には何にもしていなかったと言う事は、全く忘れてしまっていたらしい。

自分は何もしていないのに、何かして貰えると思うのが夫だ。

と言うか、

人に何かをしてあげると言う、自己犠牲と言うか、慈愛の気持ちが夫には無い。

『して貰う』と言う事は、きっちり植え付けられているのだ。




気を付けないと、男も女も、こんな大人が今後将来ウジャウジャになりまっせ。


夫の誕生日なんか、何でめでてーのよ。

単に1歳年寄りになっただけやんか。

糖尿やわ歯槽膿漏やわ、高血圧やわ。

また一歩、役立たずの老人に近付いただけやんかとしか思えない私。

役に立つ老人ならイイけど、ウチの夫は今の所、定年になったら使えない…。




最後に



(ಠДಠ){歯に150万円掛かるんだよね…)




ガ=( ̄□ ̄;)⇒ン!!













『それも忘れていやがったか…』と思った方は、応援クリックお願いします。
ヤレヤレ ┐(○`ε´○)┌ マイッタネ ←次男