「名を立てる」とは、本当の自分を生きること
万葉集に、山上憶良が病に伏したときに詠んだ歌があります。
士『おのこ)やも
空しかるべき
萬代(よろずよ)に
語り続ぐべき
名は立たずして
自分の人生の終わりを意識した憶良は、
「人は、この世に生きた本当の証を残さず、空しく終わってよいのだろうか」
と、自らに問いかけたのでしょう。
ここに出てくる「名」を、単なる名声や評判ではなく、「真名(まな)」として考えてみると、とても深い意味が見えてきます。
真名とは、親からつけてもらった名前だけではありません。
自分に与えられたいのちを、どう生きたのか。
何を大切にしたのか。
そして、何を人に手渡していったのか。
その人が生きることによって、少しずつ明らかになっていく「本当の姿」。それが、その人の真名なのではないでしょうか。
これは子どもを見るときにも同じです。
「この子はこういう子」
「この子は弱い」
「この子にはできない」
そう決めた瞬間、私たちはその子に一つの「仮名」をつけてしまいます。
けれど、その子の真名は、そんな言葉の中には収まりません。
まだ見えていない力がある。
まだ現れていない姿がある。
これから開いていく、その子だけのいのちがある。
だから、「真名を見る」とは、人を評価して決めつけることではなく、その人の中にある本来のいのちを信じて見ることなのだと思います。
そして「教える」ということも、知識をたくさん渡すことだけではないのでしょう。
その人をこちらの思い通りの姿にするのではなく、その人自身が自分の本質に出会い、自分の真名を生きていける場所へ送り出すこと。
山上憶良の「名は立たずして」という言葉は、千年以上の時を越えて、私たちにも問いかけているように感じます。
この世でどんな「名」を残すのか。
それは有名になることではなく、
「私は私のいのちを、私として生きた」
その生きた姿そのものが、表現者として萬代に語り継がれる「真名」なのかもしれません。
全国古事記塾主宰 今野華都子記す
9/14八戸古事記塾の学びよりシェア
昌子ちゃんが栗の渋皮煮を作ってきてくれました。
美味しかった〜❣️



