【自分の感情の責任を、自分で引き受ける】
須佐之男命の乱暴さの根には、母を失った深い悲しみと寂しさがあり、泣き続けて荒んでいました。
悲しむことや泣くこと自体が悪いのではありません。悲しいときには、涙を流してよいのです。
問題は、自分の感情を使って人を責め、
「私が苦しいのは、あなたのせいだ」
「これほど悲しんでいるのだから、私の望みをかなえてほしい」
と、相手を思いどおりに動かそうとすることです。
人は、自分で受け止めきれない悲しみを抱えると、それを怒りや反抗に変えてしまうことがあります。
そして、「誰かが悪い」「自分だけが不幸だ」と考えている限り、自分の人生を生きる力まで相手に渡してしまいます。
父・伊邪那岐大御神の厳しい叱責は、須佐之男命の悲しみそのものを否定したのではありません。
悲しみを理由に自分の役割を放棄し、周囲を責め続ける生き方を叱ったのです。
父は須佐之男命に、
「自分の感情の責任を、自分で引き受けなさい」と。
自分の感情に責任を持つとは、悲しみを我慢したり、なかったことにしたりすることではありません。
「私は今、悲しい」
「私は寂しくて、わかってほしかった」
と、自分の内にあるものを正直に認め、それを誰かのせいにせず、自分で受け止めることです。
「あの人のせいで、私はこうなった」そして自分の心の荒びが気がつかないで、自分もたくさんのものも傷つけた。
そう向き直ったとき、
自分犯した事にも気がつき
許す愛と許される愛を学び
悲しみ乗り越えていく力を得て
伊奘諾の見守りのもと、
本来の自分を生き始めるのです。
全国古事記塾主宰
今野華都子絵と文記す
スサノオの泣きいさち
「えほん古事記」挿絵より
