御稜威(みいつ)の光は、特別な人だけに与えられたものではなく、本来、誰の内にも備わっているものだと思います。
御稜威とは、人を圧倒する「威圧感」とは違います。
威圧する人の前では、人は縮こまります。
けれど、御稜威を感じる人の前では、不思議とこちらの背筋が伸び、心が澄み、自分の中にある光まで目を覚ます。
本当に光のある人は、自分を大きく見せようとはしません。
「私が、私が」と前に出るのでもなく、誰かと比べて自分を高く見せる必要もない。
ただ、自分に与えられた命を生き、自分の役割を引き受け、言葉と行いを一致させて、淡々と目の前のことを大切にしている。
だから、「御稜威の強い人」がいるのではなく、
「誰の中にもある御稜威を、素直に現して生きている人」がいる。
私たちは、何かを付け加えて光り輝くのではないのでしょう。
不安や恐れ、見栄や執着、人との比較など、自分の光を覆っているものを少しずつ祓っていく。
そうすると、もともとそこにあったものが自然と現れてくる。
御稜威とは、
自分を輝かせようとして放つ光ではなく、本来の自分を生きたとき、自然ににじみ出てくる光。
そして、その光は自分だけを照らすのではなく、出会った人の中にある光まで、そっと目覚めさせていくものなのだと思います。
全国古事記塾主宰
今野華都子絵と文記す
今日から全国行脚。
よろしくお願いいたします。
