ハイパーインフレは起こらない。

だとすると、何が起こるのだろうか?

 

第193話では、赤字国債を発行しまくるとハイパーインフレが起こる、という財政論の大家が唱える理論は愚論であり暴論だ、と断じた。

では、なにが起こるのだろうか??

 

 

箸にも棒にもかからない愚論/暴論をとりあげて、それについて嘲笑するのは、わたしの好みではない。

そんなことをしても、まったく生産的ではないから。

では、なぜハイパーインフレを話題にしたのかというと―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、基本的なことを、すこし説明しておきたい。

赤字国債→ハイパーインフレ理論は、唱えている論者が一定数いるので、そういう理論/そういう見解がある、という意味では、すでに、わりと認知され定着している理論である、と言える。

しかし、本来的には、国債とインフレには、直接的な関係はなく、省略されているワンステップがある。

 

いまでは、その部分は省略されるのが、なにか当然のようになってしまっているが、そもそも国債を発行しすぎると、なぜインフレを誘発するのか、といえば、そこには、以下のような理屈があるのだ。

 

①国債を発行すると、通貨供給量が増える。

わかりやすく言えば、この世に存在するお金の合計量が増える。

②この世に存在するお金の量が増えたからといって、

それと同じペースで商品(お金を出せば買えるもの)の量が増えていくわけではないので、そのぶんだけお金の存在価値が安くなる。

③その結果として、インフレが起こる。

 

 

う~ん。

この説明で、ご理解いただけるものなのだろうか??

 

①の通貨供給量に関していえば、お金(紙幣)には、日本銀行券と書いてあるが、かといって、日本銀行が好きなだけ自由に発行できるわけではなく、そこには何らかの根拠、裏づけが必要となる。

紙幣を発行する、ということは、とりもなおさず、それは、

『お金をこの世に出現させる』行為であるわけで、それをしても良い根拠、裏づけについては、その方面の学者さんが、生涯、研究しても、研究し足りないような重要テーマである。

現状においては、政府が国債を発行する→それを日本銀行が買い上げる→お買い上げ金額ぶんの日本円が政府に納入され→その金額ぶんだけ、この世に存在するお金の量が増える。という方法が主流になっており、単純にいえば、政府が国債を発行すればするほど、この世に存在する日本円の合計額は増えてゆく。

(※日本政府と日本銀行は別の機関だ。)

 

 

 

 

 

 

ここで、きわめて素朴な疑問として、この世に存在するお金の合計量を増やすことが、どうしていけないの?

という質問を発してほしいのだが。

 

しかし、この質問、中学・高校の社会科の先生にきいても、あるいは大学教授ですらも、まともに回答できない可能性がある。

『どうして?』という質問に答えるためには、現在の現実に即した理解が必要であり、その一方で、経済学をいうのは、きわめて古典的な学問だからだ。

 

『どうして?』という疑問を一旦、後まわしにするなら、通貨供給量、すなわち この世に存在しているお金の合計金額をむやみに増やすのは、経済学的にはいけないこととされており、限度を超えれば、破滅をもたらす可能性さえある、危険な行為である、とされている。

 

そうして、まさしく ここでいう「破滅」の具体例こそが、ハイパーインフレであるわけだ。

お金をあまりにもたくさん発行しすぎて、

お金に希少性が まるでなくなり、

お金の存在価値が なくなってしまった状態―――。

 

②は、すこし意味がつかみにくいかもしれないが、さしあたって、下線を引いた部分

『それと同じペースで商品(お金を出せば買えるもの)の量が増えていくわけではないので』

という部分は、一旦、スルーしてください。

 

事実を述べれば、この世に存在する商品の合計量は、通貨供給量などとは比較にならないペースで増えつづけている。

通貨供給量は政府と日銀の意思決定に依るが、

商品供給量は、この世に存在するすべての人間が、増やしたければ、勝手に増やせる。

わかりやすく言えば、あなたが突如、ヒーリング能力に目覚めて、「スピリチュアルヒーリング 1時間:5万円」という告知をあなたのブログに載せただけでこの世にあたらしい商品が出現したことになるのだ。

 

通貨供給量を増やす、という決断は、政府や日銀の中枢にいる、きわめて限定されたほんの一握りの人間にしかできない。

それに対して、商品供給量を増やす決断なら、文字どおり、だれにでもできる のだ。しかも、気軽に。

どちらが「増えてゆく速度が早い(速い)」か、

もはや、言うまでもないだろう。

両者の差は、「次元がちがう」と言ってもよいくらいなのではないか??

 

 

しかし、この部分は一旦、脇に置いて。

あくまで古典的な経済学においては、商品の供給量は、そう簡単に増えるわけがない。それにもかかわらず、通貨供給量を大幅に増やすのは危険だ、と考えられていたわけです。

 

そうして、その結果として、③インフレが起こる、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この、

「商品の量は、かぎられていて」

「なのに、貨幣だけが増えすぎると」

「インフレになる」

という理屈が、現代においても、そのまま成り立つ場所が、現代においても、ひとつだけある。

オークションハウスが、それだ。

もちろん、文字どおりの「ハウス」ではなく、ネットオークションでもかまわないのだが。

「ひとつしかない」商品を

「ふたり以上の」参加者が、

「どうしてもほしい」と望んでいる場合。

 

その商品に、もっとも高い金額を支払える人間が

その商品を手に入れることになり、その金額が

その商品の値段となる。

この、ある種必然的な展開である、オークションが開始されてから、もっとも高い値段で落札価格が決定し、落札者の手に商品が渡るプロセスは、ある意味ではインフレのプロセスに、似ている。

 

(1)商品の数は、きわめて限定されている

(2)それにもかかわらず、入手希望者は多数いる。

(3)なんだと?

  ならばその商品を手に入れるためなら、お金など、いくらでも、つぎ込んでやる!!

単純に言えば、インフレが起こる要因とは、じつのところ、たったのこれだけのものでしかない。

そうして、(3)の要素が強ければ強いほど、インフレ率(物価上昇率)は、高くなる。

じつは、たったの、これだけなのだ―――。

 

 

ハイパーインフレが起こるためには。

それどころか、ごくふつうのインフレを発生させるためですら。

そもそもの基本前提として、そこにいる人々が

「とにかく商品がほしい。」

「そのためだったら、お金など、いくらでもつぎ込んでやる!!」

と思っていなくてはならない。

 

言い換えれば。

商品と貨幣の関係において、

商品が主で、貨幣が従。

商品が目的で、貨幣は手段。

 

この基本前提があってはじめて、古典的な経済学は機能する。だが、もはや そのような時代ではない―――。

 

世の中は、すでにひっくり返った、あとなのだ。

絶対的な大逆転は、すでに起こった。

 

商品とお金の関係でいえば、

お金が主で、商品が従。

お金が目的で、商品は手段。

 

今回のシリーズのさいしょのほうで示した概略でいえば、

生産の時代から消費の時代へ ということだ。

(第186話第187話第188話参照)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時代は、すでに逆転した。

ならば、問われるべきは、これだ。

起こりもしない、ハイパーインフレの心配など、している場合ではない。

むしろ、案ずるべきは、ハイパーデフレではないのか??

 

 

 

 

読了されたら…

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