ねえねえ。

景気が良いって、どういう意味??

それはね。

いま財布のなかにある全財産、きょうじゅうに使い切っても、あしたまた次のお金が入ってくるから、だいじょうぶ!!

って、だれもが思える状況のことさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「経済」について。

ひいては この世の諸現象すべてについて。

なにもかもを「数値化して把握することは、可能だ」

と考えるのが、わたしたち現代人の感性(信念)であり、どのような対象であれ、何らかの形で数値化しようとする習性こそが「科学的」であるとして推奨されるような世の中だ。

 

宇宙の生誕は、ビッグバン理論によれば、137億年前であるとされる。

検証不可能、かつ、実用性のまるでない数字を算定できたところで、それでいったい「なにが」わかったことになるのかきわめて疑問であるとわたしは思うが。

しかし、一般的には、宇宙の生誕は、いまから137億年まえであることが、わかった。 とされている。数字が把握されたことで、わかった。 と理解するのが、科学的な、オトナの態度であると。

 

 

 

 

なんでも数値化して把握する、という態度は。

現代人にとっては合理的な、理に適ったものに思えるのかもしれないが。一歩引いた地点から眺めてみれば、つっ込みどころが満載だ。

 

 

 

 

 

日本人の3人に1人がガンになる時代、などと保険会社の広告は言う。ガン保険に勧誘したいからこそ、この表現を使っているのは、だれでもわかると思うが。

日本人の3人に2人は、保険会社に出くわす時代。

の、まちがいなんじゃないの??

 

 

 

 

 

3人に1人。

という数字をみて。

こんな無茶な数字を創り出す保険会社って、ほんとうにえげつねーなーと、わたしは思うが。

でも、この広告にクレームがついた、という話は聞かないし、なにか有力な証拠をつきつけられたかのように観念して、保険に入ってしまう人間も多くいるのだろう。

 

その数字はどうやって算出されたのか、を問うことなく。

掲げられた数字を、まるで「動かぬ証拠」であるかのように受け入れてしまう。そういう人間は、多くいる。

現代って、そんな時代――――。

 

(※3人に1人が ガンになる、という表現には、少なからず誇張が含まれていることは、少し考えてみれば、すぐわかる。加入者の3人に1人が、入院や手術で保険金を受け取る状態になったら、そもそも保険を維持するのは不可能だ。)

 

 

 

 

 

保険会社は、みずからの利益のために、都合のよい数字を掲げる。そうした数字は、わりとだれでもすぐに信じ込んでしまうものらしい。

数字=客観的事実=動かぬ証拠

という数式??が、いつのまにか、みんな(現代人)の頭のなかには、できあがってしまっているようだ。

 

年金2000万円不足問題、

というのが、数ヶ月まえ?に、一世を風靡した。

 

政府支給の年金だけでは、老後資金としてはまるまる2000万円ほど不足する、ということを政府自身が認めた。という意味では、エポックメイキング的なできごとではあるのだが。

それにしたって。

だれもかれも、置かれた境遇はひとりひとりちがうのだし、何歳まで生き、どれくらいの医療費がかかるかなどは、もっと大きく、ひとりひとり異なる。

であれば、一律2000万円不足、などということは絶対にありえないはずで。

それに、だれもかれもが2000万円程度の不足を抱えている状況になったら、そんな時代にふさわしい金欠の人でも利用できるサービスが登場するはずなので、べつに何の問題もないはずだ。

それにもかかわらず。

この、2000万円不足という数字が、

奇妙なリアリティーを持ってしまうのは、なぜなのだろう??

 

 

 

 

 

 

なぜ。ということの答えは、はっきりしていて。

何もかもが、数値化して把握されうる、とだれもが信じている時代 だからだ。

しかも、そのこと

(数値化すれば何でも把握できると 信じていること)

に対して。 だれもかれもが、無自覚である。

 

 

まあ。

信念体系というのは、本来的にそのようなものではあるのだが。つまり、バシャールが言うところの、信念/観念は自覚できた瞬間、客観化され、消える。というやつだね。

信念も観念も、英語で「ビリーフ」(belief)だから、

バシャールは両者を区別していないし、また、ポジティブかネガティブかも、単語だけでは区別はできない。

ともあれ、バシャールによれば、

①信念/観念が、現実を創っている。

②現実を変えられないのは、信念/観念を変えられないから。

 

そして。

③信念/観念を変えるためには、

そのような信念/観念を持っていることに気づくだけでじゅうぶん。

④持っていた信念/観念に気づいた時点で、その信念/観念が持つ謎の拘束力は消え、あなたにはお好みの信念(ひいては現実)を自由に選びなおすことができる。

 

と。

なんでも数値化して把握する(把握できるはずだ)という信念/観念は、それ自体は、べつにネガティブであるとは言えないものの。

数値化され得ないものは、すべて存在しなくなる(認識できなくなる)という意味では、多くの盲点を出現させる、きわめて危険な観念だ。

盲点。点、などではなく、「ここから先は、ぜんぶ存在しません。認識不能」という形になってしまう、という意味では、盲点どころか、盲エリア。盲フィールド。

 

 

 

 

 

そのような、盲領域、盲世界を大量出現させる、という点で、なんでも数値化して把握できるはずだ、という信念/観念は、きわめて危険。

なんとなれば。景気が良くならないのは、なんでも数値化して把握できると信じているから。とすら言える。

その方面に詳しくない人には、まったくピン来ない話なのかもしれないが。景気の良し悪しというのは、じつは、単純に数値だけで決まる。

 

わが国のGDP(国内総生産)は、年間約500兆円。

 

この、年間500兆円という数字が。

もし仮に、今年500兆円だったものが、来年600兆円になれば、差額の100兆円をもって 経済成長率20%と呼ぶ。

単純に、500兆円から600兆円へと20%増になったから。

 

このように、馬鹿馬鹿しいほど単純な(粗雑な)ルールによって、『経済成長率』なるものが算出され、その数値が芳しくないから、景気が悪い。

じつに、たったの、それだけの話なのだ。

 

大雑把に言って。平成の30年間、日本のGDPは、ずっと500兆円台のまま。ぜんぜん経済成長していない。したがって、景気は悪い、と。

 

まず、日本国内の1年間の生産量を(金額ベースで)集計してみると、500兆円台の数字が算出され、するとその数字は、前年よりも、すこしだけ金額が少なかったりもする。

しかし、そこにインフレ率/デフレ率だけは加味してもよいことになっているので、ここ近年の物価下落傾向に鑑み、

『見かけ上の集計金額は、少しだけ減りました。』

『しかし物価が下落しているので、そのぶんを差し引くと、すこしだけ経済成長しています。』

―――これが、21世紀のわが国における定番のパターン。

 

 

 

 

 

 

 

このような、涙ぐましい努力(統計数字をすこしでも良く見せる努力)

も むなしく。 微量の経済成長、などと言ったところで、ほとんど成長していないことに変わりはないのだから。平成の30年間、わが国はほとんど(あるいは まったく)経済成長しなかったという事実は、もはや史実として扱われ、あらゆる議論は、この事実の認識に基づいて行われている、と言える状況です。

 

平成の30年間、わが国は経済成長しなかった―――。

でも。あなた。スマホ持ってますよね??

平成初期のポケベルやPHSを、それともいまだにご愛用なのでしょうか―――??

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、基本的なことを確認しておきたい。

「経済成長しなかった」などと言ったところで、それは、

「経済活動が停止した」という意味では、まったくない。

去年の生産高(国内総生産)は、500兆円。

今年の生産高(国内総生産)も、500兆円。

増えていないのが、気に入らない。と言っているだけの話だ。微増か微減の横ばいだけを繰り返してきただけなのだから、逆に言って、大幅に減ったわけでも、ない。

 

 

 

 

 

 

それの何が問題なのですか?

大雑把に言って、平成の30年間、ずっと500兆円ずつ生産してきた、ということは、30年間で1京5000兆円ほどの生産高。

それの、どこが、問題なのかな??

 

 

 

 

 

 

つぎに。物価下落ぶんは加味して良い、というルールについて、考えてみよう。

 

 

具体例として、わたしがショックを受けた例を挙げたい。

平成のはじめごろ、一流デパートの店頭に、それも、ガラス製のショーケースにきちんと陳列される形で、電子計算機が売られていたのだという。

 

電子計算機ってなに??

それはね。+-×÷などの計算をしてくれる機械のことさ。

9999×9999=99980001

とかの計算も、一瞬でやってくれます!!

安価なものは、2000円くらいから。

高級品なら、1万円くらい??

 

 

でもこれ。

いまなら、スマホに無料でついてくるよね。

個別の商品として買うにしても、百均で 108円とかだ。

 

これって。

物価下落率は、何パーセント??

 

 

 

 

 

 

そうなのだ!

ごく少数の例外を除き。

平成の30年間のあいだに、ありとあらゆる商品の値段は下落した。

IT化の進展で。

百均が普及したことで。

ほかには、かつては鉄道(JR)でしか行けなかった場所に、夜行バスで行けるようになって安くなった、という例もある。

別の角度から説明するなら、こういうことだ。

「100万円のクルマ」

という商品カテゴリーは、昔も今もある。

しかし、同じその「100万円のクルマ」でも、燃費も性能も昔と今とでは段違いだろう。

技術革新は、たしかに行われており、性能の向上は、日進月歩。

しかも、それは価格には反映されないのだ。

これが 物価下落でなくて、何であろうか??

 

ムカシだったら、美しい写真を撮りたいと思ったら、最低でも「10万円のカメラ」が必要だったが、いまは、カメラはスマホに無料でついてくる!

そうして、それとは別に

「10万円のカメラ」

という商品カテゴリーも以前として存在しており。

しかも、同じ10万円の商品とは思えないほどに。

機能も、使いやすさも、何なら物体としての「軽さ」まで。

ムカシのものとは比較にならないほどのイノベーション。

これで、お値段据え置きですよ!?

 

このようなことが、あらゆるジャンルにおいて、おこっている。

テレビという商品は、番組を見る画面さえあれば、製品としては事足りる。しかし、ムカシのテレビは、画面の背後がバカでかかったのを、ご存知か。

もちろん、それ相応の重量もある。そのような重量物を自宅のリビングに安置するため「テレビ台」という別の商品(家具)が存在していたくらいなのだ。

技術革新の結果、いまのテレビは、ほぼ「画面だけ」の存在になった。ユーザーからすれば、不必要な重量は無いほうがよいし、語の素朴な意味としては、これは「経済発展」と呼べるだろう。

しかし、テレビが軽量化され、「テレビ台」という家具が不要になれば、そのぶんだけ、国内総生産高は減ることになるし、「テレビ台」以外にも、そのように「商品カテゴリーまるごと、ただの無用の長物になってしまう」例が、あまりにも多く発生したことから、生産高は大幅に減ることになり、もちろん、そのぶんだけ、景気は悪くなった―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

景気について考えるときには。

このようなカラクリに敏感になってほしい。

「生産者にとっては」

日進月歩の技術革新が求められ、しかも、それを価格に反映することは許されないのだから、言ってみれば、

技術革新という無償の奉仕を提供している

かのような、すさまじい状況だ。

見方によっては、生き地獄と言っても良いね。

逆に言って。

「消費者にとっては」

これは天国だ。

お金を持って、待っているだけで、次々と高機能な新製品が登場してくるのだから!

 

念のため、もうひとつだけ付け加えると。

大筋において、食料品というのは、ほとんど値下がりしていない。だから、食料品は「あまりにも必需品すぎて」例外に思えるかもしれないが、はたしてそうか。

ムカシは、肉屋と魚屋と八百屋とパン屋はそれぞれ別のお店で、閉店時間は午後6時だったり、水曜日は定休日だったりした。

それが大型のスーパーマーケットが登場することによって、その一店だけで、食料品の調達はすべて済むようになった。スーパーには定休日はなく、営業時間も長い。

次に、コンビニが登場すると、遠くのスーパーまで行く必要がなくなり、言ってみれば、お店のほうから『家の近くに来てくれた』のだ。しかも年中無休かつ 24時間営業で。

さらに話は進む。いまや、スマホ画面をクリックするだけで、食料が自宅に配達される時代になろうとしている―――。

 

ムカシは、たしかに存在していた手間、労力が、どんどん消滅してゆく。それでいて、基本的には、お値段据え置きということに、気づいてほしい。

スーパーはチラシを配って盛大に値引きするから、それに比べれば、コンビニは割高に見える。

しかし、「遠くの市場(いちば)まで行かなくても、家の近所で食料を買える」ということに関して、それを理由に割増価格、ということは、一切ない。

さすがに、あなたの自宅まで配達いたします、ということになると。それを無償にするのはほとんど不可能なのだが。しかし。送料/配達料をお支払いください、と堂々と宣言できる状況でなく。業界をあげて葛藤しているのが、現状だ―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「国内総生産(GDP)」は。

言うまでもなく、生産者サイドの指標だ。

生産者側からすれば、お値段据え置き、という形で。

あらゆる技術革新は無償で提供させられ、また、世界有数の商品流通網をつくりあげても、それも無償で提供させられてしまうから、ようするに 新しいなにかを創り上げても、それは価格には反映されず、売上高にも反映されず、当然、景気は良くならない。

だが、あたらしいなにかは、常に出現しつづけているのだ。 これは、経済が停滞している、というのとは、あきらかに異なる。イノベーションは常に行われているのだから。

 

技術革新は常に行われ。

サービスの向上も行われ。

それでもお値段据え置きなのだから、これはもう。

ボランティア経済、と呼んでも、さしつかえないのではないか。

 

 

 

 

 

 

そうして。

消費者の立場から言えば。

ほとんどすべての分野において、生産者からは、常に最新・最先端のものを、ある意味『無償で』提供してもらえるのだから。

これ以上 素晴らしい「経済」は、世界中どこをさがしても、ほかにない。

 

1ドルいくら、とか。

1ユーロいくら、とかの話に、すり替えないでほしい。

あなたのお手元にある1000円札1枚で購入することのできる商品の。その多様性も、洗練度の高さも。

もはや対比など不可能なレベルで、圧倒的世界一だから。

消費者に対して、ここまで いたれりつくせりな「経済」は、世界じゅうのどこをさがしても、ほかにない。

 

どうか、見た目の景気の悪さに、惑わされないでほしい。

それは、「ボランティア経済」ゆえにこそ、なのだから。

そんなことよりも。1000円札1枚でできることのすごさに、気がついてほしい―――。

 

 

 

 

読了されたら…

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 引き寄せの法則へ

ブログランキング・にほんブログ村へ

 

辺境の地の零細ブログにつき…

どくしゃになってね…