ハイパーインフレは、起こらない。

しかし、政府の財政状態について、まともに研究すれば、本来ならば、激しいインフレが起こってしまっても不思議ではない状況ではあり。それについては、その方面の複数の(多数の?)学者が、すでに何度も指摘しており、それゆえ、ある種の人たちのあいだでは、まもなくハイパーインフレがやってくることは、もはや確定的な、不可避の現実であると、思われている。

これは、地震に関心がある人にとっての南海トラフと同じようなものだ。

わたしは、地震については何の関心も持ち合わせていないため、その方面については基礎知識すらないのだが。それでも南海トラフ等の大地震の発生は絶対に避けられない、と信じている人々、その件に関する部分のみ、地質学などにも やたらと詳しい人々がいることなら、わたしも知っている。

 

あいにく地震や地質学には何の関心もないものの。国家財政についてなら、わたしは関心を持ってしまった。

なので。あくまで財政論の範囲内でいえば、

「すでにいうハイパーインフレが起こっても不思議ではない状況」であることは、わたしも理解はしているのだ。(暴論、愚論だと言っておいて、何だが。)

 

 

 

 

 

 

このまま赤字国債を発行しつづけると、日本は破滅する、と唱える論者なら、2000年くらいには、すでに いた。当時の説明では、赤字国債の発行残高は、すでに数百兆円に昇っており(たしか300兆くらいだった)、もしもこのまま増えつづけて残高が1000兆円に達する頃には、まちがいなくハイパーインフレが起こって、日本円はただの紙クズ。

日本経済は破綻するだろう―――

 

 

 

 

 

2019年現在、すでにその1000兆円なら、突破してしまっているのだが。

厳密には国債そのものは 900兆円台らしいが、名前が国債ではないだけで、実質国債と変わらない短期証券も含めれば、堂々の1000兆円突破。

こんなことを言っている現状においても、刻々と残高は増えつづけているのだから、文字どおりの「国債だけ」での1000兆円突破のレコード達成だって、もはや時間の問題だ。

(※出典:ウィキペディア)

 

 

 

 

 

 

それにもかかわらず。

待てど暮らせど、ハイパーインフレは、やってこない。

赤字国債→ハイパーインフレ論者の面々は、もはやオオカミ少年団だと言って良いくらいだが。

いや 中年団か老年団かな? 笑

 

それにしたって、なぜ 彼らの予測は当たらないのだろう?

たしかに、1000兆円という数字はとほうもなく大きく、ざっとGDP比2倍、国家予算の10倍だ。

 

 

 

 

 

 

国家予算、というワードは、一般的には、

「想像しうる、もっとも大きな金額」くらいの意味の、比喩として使われている。

『いくら払えば、許してくれる??』

『国家予算!!』

―――これは、お金じゃ許さない、って意味でしょう。

でね。 そんな国家予算。

文字どおりの意味のほうの国家予算は、だいたい年間100兆円であり。ようするに、国家が動かすことのできるお金の年間合計額が、表向き、だいたい100兆円、というわけですよ。

 

いかにも国家には権威があり。

だからこそ国家予算というワードは、一般的にも、比喩表現として、よく使われている。ありえないほどでかい金、転じて、お金では無理、という意味で。

 

また、個人としての大富豪が、どれほどの富を築こうと。

たとえそれが兆の単位にまで達しようとも。それは、

当人の資産として保有されているだけであり、他人から見れば、死蔵されている、死んだ金だ。

それに対して。

国家予算は、「使われるお金」だ。

国家予算が、年間:100兆円とは。

わが国は、年に100兆円使うという意味であり、使い途その他に疑義が生じる余地はあれど、やはり、そこには、ある種の偉大さが、ある。

 

個人レベルにおいては。

持っているお金を使うかどうかは、完全に個人の自由だ。

あなたが持っているお金をどのように扱うかは、あくまで、あなた個人の自由なのだ。

だからこそ、収入があれども支出せず、際限なくお金を溜め込むことだって、許される。

 

 

 

 

 

 

それに対して。

国は、実質的に言って、支出(歳出)を義務づけられており、収入減(歳入減)を理由に支出(歳出)を抑制することは、事実上 許されてはいない。

まあ、だからこそ国債発行残高は増えつづけているわけだが。

どうあれ、国家予算というのは、使われるお金であり、どのような理由があろうと、理由にはせず、わが国の国家予算は、100兆円。理由はどうあれ、

わが国は、国家として、年間:100兆円使います、というわけだ。

 

お金というものは、死蔵されてしまえば、ある意味では、それは存在しないのと同じになってしまう。その点において、使い途の是非はどうあれ、年間100兆円からのお金を使うことの意義は、もっと認められてしかるべきだと、わたしは思う。

何なら、ある種の偉大さ、という表現だって、わたしは使う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金というものは、それ自体には何の実体もなく、とどのつまり、貨幣などただの共同幻想にすぎない。という見方は、かなり根強く存在していて。

「なぜ、ただの紙ペラにすぎない1万円札が、実際に1万円相当の価値を持つのか??」

というテーマは、その方面の学者さんたちに、熱心に研究されている。(貨幣論)

 

 

 

 

 

 

でね。

その見方を援用して、わたしはこのように言いたいのだ。

日本国は、日本円というイベント/お祭りを主催している。

(※日本政府と日本銀行は別の機関だが、そこは共同で!)

期間は無期限、場所は日本国内、参加者は原則日本国内在住者全員だが、参加するかどうかは、あなたの自由!

つまり、日本国内に住んでいても、商取引はすべてネット完結にして、米ドル決済。何ならビットコイン決済とかにしても、そのこと自体が違法になるわけではない。

まあ、いまの時点では、この見方は絵空事に近いかも知らんが。いずれは、決済方法は日本円にするか別の通貨にするかは、単なる選択の問題になると思うよ?

で。その見方をしたとき。日本円で決済する、と決めたあなたは、日本円というイベント/お祭りに参加しているというわけだ。

 

 

 

 

そして。

日本円、というイベント(お祭り)を主催している日本国は、

①日本円、という通貨を発行している、だけではなく

②みずから、それを盛大に使ってもみせる。

この2点が、とても重要なのだ。

じつは、通貨発行という祭りの主催者でいるためには、①②双方が不可欠であり。

いまは、まだ実験的な段階である仮想通貨が、今後、本格的に普及してゆくプロセスをつぶさに観察してみれば、そのことは自ずと明らかになるはずだ。

目下、有力な仮想通貨であるビットコインは、マイイングという技術(ないしは設計思想)が高く評価されている、という話だが。それは偽造防止とか供給量のコントロールとかの、もっぱら①に属する部分であって、②の部分がクリアされないかぎりは、ビットコインは普及しない。

逆に言えば、偽造リスクも紛失リスクも高く、供給量はコントロール不能になっていても、②の部分さえたしかならば、その通貨は、普及するのだ。

つまり、偽造や紛失や供給コントロールなどは二の次で、単純に、その通貨が

 

①たしかに発行されていて

②たしかに使われている

 

という事実を確立できるかどうか。

要点は、これだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

なので。

単に日本円を発行する機限を持っている、というだけでなく。実際にそれを大量発行し、なおかつ盛大に使ってもみせる日本国家の態度は、まったくもって、正しい。

 

 

国家が国家として、存続しようと思ったら。

それも、軍事国家や独裁国家ではなく、

経済におけるまともな統治力/影響力を発揮しようと思ったら。

もはや、この方向しか。ありえないのではないか?

 

すなわち。

(1)自前の通貨を持ち。

(2)それを大量発行し。

(3)みずからも盛大に使う。

ということだ。

いかがだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤字国債の発行残高は、1000兆円。

そんなに赤字が積みあがったら、日本は破滅する、などと言われていたが、実際には、そのようなことは、起こってはいない。

1000兆円もの累積赤字には耐えられるはずがない、とかつては考えられていたが、実際には耐えられたのだ。

では、いくらまでなら 耐えられるのだろう?

2000兆円?

5000兆円?

1京円??

 

 

 

ここで。考えてみてほしいのだ。

冒頭に示したとおり、あくまで旧来の財政論の枠組みにおいては、すでに、ハイパーインフレ(すなわち日本経済の破滅)は、今すぐ起こっても不思議ではない状況に、なっている。

しかも。

その状態になってから、すでに約20年が経過している

のだよ?

だとしたら。

もうすぐ起こる。

もうすぐ起こる。

とだけ叫びつづけるのは愚かなことで、それでは学者ではなく、ただの愚者だろう。

仮にも学者を名乗るなら、学ある者として、本来このように問うべきなのだ。

 

起こって当然の現象が、起こらない。

ならば、何か見落としている要素があるはずだ。

それは何?

 

と。

そのように新しい設問でみずから設定し、それについてみずから思考するのが、学者としての正しい態度というものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこでわたしは言う。

起こるはずのないハイパーインフレが起こらないのは、

それをはるかに上回る威力でデフレが進行しており、

デフレがインフレを相殺するから インフレは起こらないのだ。

 

国家を破滅させるほどのハイパーインフレすらも軽々、相殺できるほど強烈な、デフレ。

名づけて、ハイパーデフレ。

これについて、考察してみたい。

 

 

 

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