では。 あなたの存在意義は、どこにあるのだろうか。

 

すべての能力は、彼[潜在意識/感情体]によるもので、あなた自身(顕在意識)は、まったくの無知無能であるとすると、あなたの(顕在意識)は、なんのために存在しているのだろうか。

 

すべては、潜在意識というエイリアンの賜物なら、わたしたち人間[顕在意識/肉体]は、なんのために存在しているの??

 

 

 

 

 

 

すべては潜在意識の賜物である、という見方は、潜在意識理論に精通していないと出てこない。

しかし、わたしたち人間[顕在意識/肉体]は、無力だという考え方は、わりと一般的であり。その部分だけが、単独で認識されると。憂鬱になったり、鬱病になったり、、、、、、、、、自殺を誘発したりする。

実際、わたしたち[顕在意識としての人間]は、それのみでは、まったくの無力であり、潜在意識という名の、目に見えない『異界の力』を借りることなしには、なにひとつ実現することはできないし、それどころか。

厳密に言うならば。

『肉体としての』人間が。

単に『肉体として、生存する』こと自体、目に見えない異界の力[潜在意識が もたらす潜在能力]なしには、不可能なのだ。

人間の肉体を、死体ではなく生きた身体として存在させている力のことを、一般的に『生命力』と呼ぶのだが。

そんな『生命力』なるものについて、わたしたち人間は、どれほどのことを理解しているというのだろう??

 

 

 

 

 

あなたの肉体が、ただの死体であるか、生きた人間であるかを絶対的に分かつ、その『力』について、じつのところ、わたしたちは、なにも知らない。

 

心臓が停止したから、死にました。というとき。

それは単なる事実の描写にすぎず、

心臓を動かし、血液を循環させていた『力』が、どこへ去ってしまったかは、なにも説明していない。

 

心臓を、ひいては五臓六腑を。呼吸器系を。消化器系を。循環器系を。四肢を。五感を。

稼働させている『力』が何であるか、そもそも どこからやってくるのかさえ知らないまま、わたしたちは、生きている―――。

 

 

 

 

 

こんなふうに。

生きていく、生存する、ということに関してすら、わたしたちは、じつは、なにも知らない。

人間を、人間として存在させている『力』のことを、『生命力』と呼んでいて、だから、それが存在していることは、かろうじて、おぼろげながら、認識しては、いるものの。

しかし、それが『何』であり、どこからやってくるのかは、じつは、まるで理解できていないし、これからも、わかる見込みは、

まるでないのだ。

そして、それで、まったく何の問題もない。

唯一、問題があるとすれば、それ―――わたしたちは、本質的に言って無知無能である、ということ―――を、あなたが 受け入れられるか どうか。 だけだ。

あなたが 受け入れることができさえすれば。

あとはすべて、“彼”の仕事だ。

人として。単に生存する、ということさえも。このとおり。

あなた個人に、できることなど、じつはなにもないのだから―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで。

誤読を防ぐために、たびたび強調していることなどなのだが。

潜在意識と顕在意識の関係について。

 

①両者は、同じあなたの、別の側面である。

②あなたは 顕在意識であり、潜在意識は、見ず知らずの他者。

 

このように、まったく異なるふたつのモデルが想定でき。

繰り返しになるが、今回扱っているのは、後者のほうだ。

だからこそ、あなた(顕在意識)は、それ自身のみでは、無知無能だ。 と言っている。

 

あなた(の肉体)を、ただの死体ではなく、生きた人間たらしめている『力』―――生命力―――が、どこから、どのようにやってくるのか、あなたは知らない。これからも、それを知ることは、決して ない。 それにもかかわらず、あなたは生きている。 それで十分ではないか。

基本的な生存に関してすら、このとおりなのだから、あなただけのかけがえのない個性。

あなただけにしかない、絶対的な才能が発揮されるときにだって、それがどこから、どのようにしてやってくるのか。 あなたが知ることは、決してない。

だが。 それで十分ではないか!

能力/個性 そのものは、たしかに存在しており、機が熟すれば それが発揮されることだけは、すでに決まっているのだから。

それで 十分ではないか!!

 

 

 

このように。

じつに簡潔な、完結した見解を保持できるのなら。それじたいが、ひとつの『達成』であり。言い換えれば、『道の終わり』だ。

意外に思えるかもしれないが。

わたし(顕在意識)は、それ自身のみでは、まったくの無知無能である。 この事実を理解して受け入れることができるのなら。それだけであなたは、スピリチュアルな『道』、修行への『道』の最終地点に、すでにいる。

 

すべては“彼”の賜物であり。

あなた自身は完全に無力なのだ。

だとしたら、あなたが(自力で)歩むべき道など、いったいどこにあるというのだろう??

あなたの脚となり翼となり。

愛する“彼”がどこへでも連れて行ってくれることだろう。

ふたりが共に望んだ場所なら、どこへでも―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

それで十分ではないか!!

スピリチュアルな道、修行者の道というのは、大きく分ければ、じつはたったのふたつしか存在せず。

 

ひとつは。たしかに「それで十分だ」と思える人のためのもの。それ(生命力)が何であるかはわからなくとも、それ[LIFE]は、たしかにあなたのもとへやってきて、あなたが人生[LIFE]と呼ぶものすべてを、あなたに無償で差し出してくれる。

それで十分ではないか!!

 

 

 

 

いや。それが何であるか、わたしは自分で知りたい。

そういう人のための道も、存在する。20世紀インドのオショー・ラジニーシのところの2分類では、それは、『知識の道』(または『瞑想の道』)などと呼ばれていた。

 

この2分類は、わたしのところの分類法でいえば、ここ最近、毎回のように注意を促している、『顕在意識と潜在意識の 関係性』が、そっくりそのまま、それに当たる。

 

①潜在意識とは、ほかならぬあなた自身の別の側面である、というのなら。潜在意識とは何者であるのか。ほかならぬ あなた自身が、自力で謎を解かなくてはならない

→これが『知識の道』だ。

 

②あなたは顕在意識であり、どう転んでも潜在意識は見ず知らずの他者でしかないのなら。

あなたにできることは、見ず知らずの“彼”(潜在意識)に出会い、身を委ねること。

それ以外に、いったい、なにができよう??

→こちらが、今回のシリーズで説いている 『道』。

 

『知識の道』 に対して。

今回 説明している、こちらの道のことを、わたしは

『無知無能の道』 と呼びたい。

わたし(顕在意識)は、それ自身では、まったく無力な、まったくの無知無能な存在である。

 

このことを、臆することなく堂々と宣言し、当然の事実として、受け入れる。

これは、ひとつの『道』である。

 

実際、すべては“彼”の賜物であり、

あなた(顕在意識)個人が、しなくてはならないことなど、何もないのだ―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回のシリーズを読んできてみて。

いったい、いつになったら「肝心のこと」を説明するつもりなのかと、あなたは、やきもきしているかもしれない。

「肝心のこと」とは。

もちろん。

潜在意識が持つ、その無限の力を、『いかにして、引き出すか。』ということだ。

その部分の説明がなされなければ、今回のシリーズは、まったく意味をなさない。

それは、まったく、そのとおりだ。

だが―――。

 

 

またしても、答えは意外なところに あるのだ。

“彼”[潜在意識/感情体]の無限の能力を引き出すために、何よりも必要なのは、なんと。

わたし(顕在意識)は、それ自身のみでは、まったくの無知無能であるということを、あなた自身が理解して受け入れることなのだ。

 

もちろん。もっと『腑に落ちる』ような説明を、今後、付け加えるつもりでいる。だが、それでも、いちばん肝心なのは、あなた自身の無知無能を受け入れることであり、それ以外は、すべて、枝葉末節にすぎない。

 

 

 

 

 

では、宿題だ。

なぜ無知無能を受け入れることが、無限の力を引き出すことになるのか。

自力で。全力で。あなた自身が考えてみてほしい。

 

ヒントとして。

もう一問加えてみよう。

あなたは、無力であり、無知無能である。

それにもかかわらず、なぜ『存在している』のだろうか?

言い換えれば、無力で無知無能なあなた(顕在意識)が、それにもかかわらず『存在している』のは、どうしてなのだろうか??

 

この『どうして?』が 理解できれば、

謎は すべて解ける。

どうか。真剣に。あなた自身が考えてみてほしい―――。

 

 

読了されたら…

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