あなた(顕在意識)と“彼”[潜在意識/感情体]とは、まったく別の存在である、という見方をした場合。

 

自分自身(顕在意識として)の無知無能を受け入れることが、具体的な攻略法でもあるのだが。

それとは別に、意外な効用もあることに気がついた。

なので。

今回は。

その話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたし(顕在意識)は、それ自身のみでは、まったく無力な存在であり、まったくの無知無能である。

この事実を、まったくありのままの、文字どおりの真実として受け入れることが できるのなら。

あなたは無敵だ。

 

それだけではなく。

長年抱え込んでいた苦悩、どうすることもできなかった苦境からの、救済にも、なりうる。

なぜならば。

わたしは、凡人であり、まったくの無知無能である。

この命題が正しいと認めることができ、それで何の問題もないのなら。いわゆる劣等感という問題は無効化され、あなたは劣等感から解放されるからだ。

なんの話をしているか、おわかりだろうか??

 

 

 

 

 

 

劣等感、という問題は、じつは実績/功績/業績をあげることによってでは、解消できない。

いわゆる『劣等感をバネにして、成功者になる』ことは、不可能ではないのだが。そのような形では、じつは、劣等感は、解消されない。

それどころか、劣等感を抱えたままで、『不幸にも』成功などという果実を手にしてしまうと、じつは劣等感は、さらに大きく育って、優越感という名の怪物にまで成長する。

 

 

もしもあなたが劣等感にさいなまれているのなら。

優越感は、劣等感が成長して怪物のようになってしまったなれのはて。などと聞かされても、まったく理解不能だと思うのだが。

しかし、両者は同根であり、同じ根を持つ、精神の病い。

その病根を断たないかぎりは、それ[劣等感/優越感]は、ありとあらゆる形で、あなたの人生に災厄をはこんできてしまうし、しかもそこに原因があるとは、当のあなた自身も自覚できない場合が、ほとんどだ。

そうして、ほとんど、というか まったく知られていない事実として、劣等感よりも、優越感のほうが、じつは、はるかに、被害が大きい―――。

 

劣等感は、本来あなたが手にして当然であるものを、あなたのもとに、やって来られなくさせてしまう。

優越感は、本来あなたが手にするべきではないものまで、自分のものであると言い張り、不必要なトラブルを引き起こす。

 

劣等感によって。

本来あなたに属するものを、あなたは手に入れられない。

それによって、あなたの人生は、本来歩むべきだったものよりも、つましい、わびしいものとなる。

優越感によって。

本来他人に属するものまで手に入れようとしてしまうあなたは、言ってみれば、他人のものを強奪しているのだ。

控え目に言っても、まわりの人間に害悪をもたらしてしまうし、場合によっては、文字どおりの刑事事件にまで発展して、場合によっては、身の破滅まで ありうる。

 

劣等感がもたらす害悪は、わかりやすく言えば、

『自分自身の人生を、つまらなくさせる』だけのものだが。

優越感がもたらす害悪は、当人だけではなく、まわりをも巻き込み、ある種の破壊活動のようになってしまう。それでいて、当人は、みずからの非を、まったく自覚しないのだ。これほどの病いは、なかなかない。

 

劣等感と優越感は、同根である、とわたしは述べた。

どちらも同じ種類の精神の病いなのだが。

劣等感は、ネガティブ方面への展開であるため、たいていは、規模は小さく、被害も小さい。ようするに、その当人の人生を、つまらなくさせるだけ。

それに対して、優越感は、ポジティブ方面への展開だ。

「まちがったエネルギー」が、ポジティブに 拡張するため、その規模も 被害内容も 甚大なものとなる。

 

 

 

 

具体的には、こんな感じだ。

『なぜ あのような無謀な戦争に突入したのか。』

『戦争指導者が極度の/重度の優越感に取り憑かれていたため。』

なぜあのような無謀な戦争に?  という問いは、

わが国の戦後という時代において、幾度となく問われてきた 重大な問いかけなのだが。

当時の国際情勢がどうの、といった話とは別の角度からわたしの答えを述べれば

『戦争指導者が 優越感に取り憑かれていたから。』

 

 

 

 

政治家であれ官僚であれ。彼らは、

出世競争に勝ち続けることで、国家としての決定を下せるほどの地位を得る。

わたしに言わせれば。そのようなシステム自体が、根本的におかしい。

正当な方法によってでも。またはラフプレーを用いてでも。

出世競争に ひたすら勝ち残ることで、しかるべき地位を得た者の人格は、確実に、優越感という病いに侵されてしまっているだろうから。

そうして、そのような過酷な競争だらけの立身出世の道を選んだ 彼の、もともとの動機は、自分はそのままでは無力である、という劣等感に基づくものであったりするのだ。

 

 

つまり、こういうことだ。

劣等感をバネにして、出世競争を 勝ち抜く。

もちろん、とちゅうで負けてしまった場合は、それで終わりなのだが。

『不幸にも』さいごまで勝ち続けてしまって。国家としての意思決定を下せるような立場にまで出世してしまった場合には。

一見、克服されたかに見える劣等感は、じつは克服どころか

『優越感という不治の病い』にまで育ってしまっており。

自分は優秀なのだと信じてやまない彼は、国家を破滅に導くような決断すらも、平気でできてしまう、ということだ。

昭和の戦争指導者が、どれほど『愚か』だったかは、無数にある史料が いくらでも証明してくれる。 勝てば官軍、という言葉なら たしかにあるのだが。

その『勝利によって免責される』という事実すらも完全に度外視するほどの

(※ようするに、勝つ気あんのか!? と言いたくなるほどの)

愚かさだったのだ―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

このブログの趣旨に照らして。上述のエピソードは、何を説明しているのか、おわかりだろうか。

 

あなたが発揮できる能力は、すべて、

あなた(顕在意識)ではなく、彼[潜在意識/感情体]に属する。

このことを、ほんとうに理解して受け入れることができていれば、自分自身(顕在意識)は、まったくの無知無能であるとしても、そのことでべつに苦悩はしないし、劣等感にもならない。

 

これだけでも、何とかして、自分自身の能力を開発しなくては!(発揮しなくては!)という重荷からは、解放される。

それは、あなたではなく、“彼”の仕事なのだから。

この件に関して、あなたが しなくてはならないことは何もなく。だから、 自分自身の無知無能を克服する、という不可能な課題を、あなたは放棄して良いのだ。

それだけでも。かなりの恩恵であり、祝福である。と、わたしは思う。

 

だが、さらに 先がある。

“彼”の力を借りて、あなたが何らかの業績/実績をあげたとき。それが、ほんとうに“彼”の力であると理解できていれば、よもやあなたは、これはわたしの力だ! などとは主張しないだろう。

成功者は謙虚でなければならない、と言われる。

それは、わたしの言葉でいえば、

『優越感という病いに 侵されるな!』

ということになるわけだが。

 

 

 

すべては“彼”の賜物である、とわかっていたら。

どうして『あなたが』思い上がることができるだろう!?

 

 

 

無知無能なはずのわたしが、これほどまでの高みに昇らせてもらえた。

そのことに感激/驚嘆こそすれ、まかりまちがっても、

『わたしが 優秀だったからだ!』

などとは、主張しようとは、思わない。

このような性質が、ごく自然に備わるように なる。

―――このことが どれほど大きな恩恵をもたらすかは、いまさらわたしが説明するまでもないだろう。

 

 

そういうわけなので。

わたし(顕在意識)は無知無能である。

との自覚/認識は、克服すべきものではなく。

ましてや、劣等感につなげるべきものでもなく。

 

それじたいが。ひとつの救済であり。祝福なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さいごに、劣等感について、ひとこと付け加えてみると。

あなたが、だれかに対して劣等感を 感じるとき。

―――それは、ネット上のHappyちゃんでも、身近なだれかでも、天皇陛下でも同じことなのだが―――

そのとき あなたは、単体のあなた自身(顕在意識)と、潜在意識の力を行使している相手とを比較して、勝てないと感じている。この無謀さに ぜひとも気づいてほしい。

顕在意識同士の対比なら、どちらも等しく無知無能だよ!?

そうして、だれかが、潜在意識の力を行使しているのをみてうらやましいのなら。あなたも“彼”に力を貸してもらえばよいのです。それだけです◎

 

 

 

読了されたら…

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