ネヴィル=ゴダードによると、顕在意識は男性、潜在意識は女性になぞらえられる、ということだ。

 

顕在意識=主体性=男性

潜在意識=従順性=女性

 

というように。

そして、顕在意識と潜在意識が一体化することは、聖なる結婚、スピリチュアルな結婚である、と。

 

ところで。

当ブログの最近の記事では、潜在意識/感情体に、人称代名詞を充てるとき、一貫して、彼と呼び、男性形の名前で呼んでいる。

ネヴィルの理論には全面的に賛成なのだが、それにしては、なぜ、男性名詞:彼 なのか。

 

 

 

 

 

まず。

潜在意識/感情体を擬人化して、何らかの姿をイメージするとき、たいていは、異性の姿になる、ということが、挙げられる。ここには個人差もあり、断定はできないものの、また、同性愛者の場合はどうなるのか、といった疑問は尽きないものの。

一般的には擬人化された潜在意識は異性の姿をとるので、さいしょから その前提で想像してみたほうがイメージしやすい。

 

すると。

潜在意識を彼と呼ぶのなら。

顕在意識としての本人は 女性、という想定になるが、

これは なぜか。

著者が女性だから?

 

いや。それが。

正直に打ち明けると、筆頭読者のさおりさんが女性なので、それに合わせた。 ブログを拝見するかぎり、結婚願望もあるようだし、前述のの「聖なる結婚」「内なる結婚」というコンセプトも、違和感なく使える―――。

 

こういう、えこひいきが使えるのも、無名のマイナーブログならではですね。笑

 

 

 

 

 

 

ところで。

潜在意識と感情体とインナーチャイルドは同じである、とわたしは主張しているわけだが。

一方で、インナーチャイルドというのは、ふつうは、その人自身の子供時代、という意味になるから、ふつうに考えて、同性、というか、その人の性別が、そのままインナーチャイルドの性別、ということになるよね!?

「潜在意識は異性の姿をとる」という話とは、あきらかに矛盾しているが??

 

 

 

 

 

 

ここで。

わたし自身の体験を述べると、ちいさな女の子と、キツネのバケモノ(オス)が対話している、という構図が、そうとう長く続いた。そもそも、これが潜在意識との対話なのだと気が付いたのも、じつは、そうとう後になってからだ。

 

この、ちいさな女の子は、自画像であり、インナーチャイルドであると想定できるが、すると、対話相手のキツネのバケモノ(オス)が潜在意識、ということになるから。では、インナーチャイルドの女の子は、むしろ『顕在意識を再度、擬人化したもの』なのだろうか??

だって、これって、潜在意識と顕在意識の対話、というようにとらえたほうが自然だよね。

それもと、潜在意識同士の対話なのだろうか?

 

こんなふうに。

自分の理論が穴だらけなのを、自分で打ち明けて自爆しているありさまなのだが。

(※こういうことを書くのは、コラムのときだけです。)

正直にいうと、まだ穴だらけの理論を、手さぐりで、たぐりよせるように書き進めていって。それと同時進行で自分の理解も進めていっている。

ようするに、どんな文章が あがってくるかは、実際に書きあがってみるまでは自分でも知らない、というありさまなのだから、じつは、自分で書いた内容に、自分でもびっくりしているくらいなのです。

現在扱っているテーマに即して説明すれば、『顕在意識としての』わたしは、無知無能であり、なにも知らない。ただ、臆せずに ブログを書く、ということだけは、顕在意識のわたしが 決めた。

 

 

それに対して、潜在意識の『彼』は、わたしがびっくりするような、すごい文章を、どこからともなく拾ってきてくれるのだが。

(※無限の広さを持つ『内界』のなかから、もっとも適切な内容を、まさしく「拾ってきてくれる」という感じだ)

しかし、彼は、自分がなにをしているのか、知らない。

 

 

 

わたし(顕在意識)は知りたいと願い。

『彼』(潜在意識)はわたしの願いを叶えた。

しかし、それが何を意味するのか、彼は知らないし、興味もない。むしろ「知らないからこそ」願いを叶えることができる、とすら言える。

なにも知らないからこそ、価値判断を持たず、難易度の評価も、しない。自分の功績を主張しないし、自分の実績についての自己評価もない―――。

 

いかがだろうか?

潜在意識というのは、ほんとうに、このような存在なのだ。

そうして、顕在意識は、それ自身のみでは、まったくの無知無能。ありとあらゆる能力の発揮には、潜在意識の協力が不可欠であり、それでいて潜在意識それ自身は、自分がなにをしているのかすら、知らないのだ。

 

したがって。文章、にかぎらずあらゆる表現、あらゆる作品、あらゆるコンテンツの制作者が語る、

『わたしは、なぜこの作品を制作したのか』

という説明は、どう転んでも、後づけの、とってつけた後知恵にすぎず。厳密にいうならば、ようするに、それは、ウソである―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで。

当ブログは 本日をもちまして 開設1周年を迎えました。

これというのも、日々愛読してくださる あなた のおかげです。

本当に ありがとうございます。

 

2018年11月28日 19時56分

justnowpresents.

 

 

 

 

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