潜在意識理論がさいしょに語られるようになったのは、20世紀のアメリカで、そこでは、人々の抱く願望は、現在よりも、もっと単純なものだった―――。
ジョセフ・マーフィーや、それ以外の人のものでもよいのだが、『潜在意識の脅威の能力』について語った本が、もしあなたの手もとにあるなら確認してみてほしい。
そこで語られている「奇跡」の実例は、たとえ何十、何百と載っていようとも、結局は、わかりきったパターンのなかに収まる、ということを。
①病気が治った。
②貧乏が治った。
③敵対関係が治った。
②には借金返済も含む。
③は、人間関係の不和が解消した、という意味。
相手は、パートナーでも ビジネスパートナーでも取引先でも隣人でも何でも。
『潜在意識』の本の著者は、なぜか実例を載せるのが大好きで、そんな実例を体験した当人にとっては、たしかにそれは『奇跡の体験』であり、すばらしいことにちがいはないのだが。
そうした体験はすべて、○○が治った、という形でまとめてしまうことが可能な、言ってみれば、
『マイナスから ゼロへ』という体験(ネガティブの解消)』
であり、
『ゼロからプラスへ』(ポジティブ方向への展開)
は、基本的には、扱われていない。
翻って、現代の引き寄せ難民/潜在意識難民たちは、当時の人たちとは、まったく別の境遇に暮らしており。失業の恐怖にも餓死の危険にもさらされてはおらず、あえて言うなら、当時の基準に照らせば、現代のわたしたちは、何不自由なく暮らしている、と言ってよい。
あなたは、あなた個人の境遇に、まったく満足していないかもしれないが。しかし、明日失業して来週餓死する可能性はなく、殺人事件に見舞われる可能性も、ほぼない。
つまり、あなた個人の不平不満をよそに、集合的には、当時の人たちの切実な願望は すべて叶えられ、それらが実壁に実現してしまったあとの時空に、現代のわたしたちは、棲んでいる。
この事実に関して、あなたはどのように思いますか?
わたしとしては。感謝がどうのという話には持っていきたくない。感謝するのはすばらしいことだが、その一方で、あくまで感謝というのは、あなたの内面性の問題であり、それについて、「外面から」あれこれわたしが指図するのは、明白に誤りである、というのが、わたしの考えだ。
今回説明したいのは、そのテーマではなく。
長い目で、かつ広い視野で見れば、つまり歴史的かつ集合的な観点から見れば、かなり大きな願望でも、たしかに実現してしまうのだ、ということ。
ああ。だから、近未来において、人類はお金という苦悩から解放され、労働という苦悩からも解放されるであろう。いまの人々が、なにに苦悩しているかがわかれば、未来において、なにが実現されるのかも、理解できる。
『引き寄せの法則』とは、まさしく、そのようなものだからだ。
『思考は現実化する』というのは、まさに、このように機能しているのだ―――。
だが。このブログの趣旨は、歴史的経緯や未来予測に関するものではなく。あくまで、あなた個人の願望実現に寄与するためのものだ。
なので、そちらの観点から、もう一点指摘したい。
というか、こちらのほうが、はるかに重要だ。
ひとことで『願望実現』といっても、
実現させたい願望の内容は以前よりもはるかに多様化し、潜在意識への要求も高度になった。
「失業しない。」「餓死しない。」というだけで、あなたは満足できるだろうか?
「殺害されない。」「病死しない。」というだけで、満足できる人間が、どこにいるというのだろう??
以前なら、奇跡が起こったと称される、歓喜すべきできごとも、いまでは、ただの前提条件にすぎず、何の満足も、もたらさない。
ユートピアの名を借りた、ディストピア。
マズローの5段階欲求の概念を拝借すれば、生存の欲求や安全の欲求は、満たされているのが当然で、それがおびやかされるようでは異常事態。
願望実現といえば、もっぱら、最上位に位置する『自己実現の欲求(を満たす)』ことを指し、だから、当然、願望実現の要求水準は、かつてないほど高い―――。
すると、どうなるか?
今回は潜在意識について語っているので、潜在意識を題材にして説明するが、この場合、潜在意識についての より高度な理解が必要になり、
「潜在意識は万能で従順」などという素朴で単純な理解では足りない、ということだ。
潜在意識の持つ、ふたつの大きな特徴。
①万能
②従順
のうち、②の従順性について言及するなら、潜在意識はどこまでも従順であるので、顕在意識としてのあなたが、主体性を発揮する必要が、どうしても、ある。
あなた(顕在意識)が何の主体性も持たずに、ただ社会に対して従順であるだけなら、あなた(顕在意識)を介して、潜在意識は社会に支配されていることになる。
わかるかな?
潜在意識は、万能ではあるが主体性は まったくなく、ただひたすら、従順であり、従属的だ。
あなた(顕在意識)が、単に社会に従順であるだけなら、潜在意識も同じように、ただひたすら社会に従属する。
こういう場合、社会に支配され、抑圧されるだけの、クソつまらない人生が展開することになる。
余談だが、親への従順さ、教師への従順さだけを求める学校教育というのは、子供自身のためのものではなく、ようするに社会の支配力を強化するために存在しているのだ、と言える。
潜在意識理論はアメリカ発祥だから、アファメーションがセットになっているが。この文脈でいうと、アファメーションというのは、従順さ、というか従属癖がすっかり身に着いてしまった者(顕在意識)がかりそめの/なけなしの主体性を回復させる方法論としては、即効性があり、かなり有効だ。
アファメーションを唱えるように教えられ、その教えに対して従順になることによって、主体性を回復させる、という、逆説的、かつ現実に即した方法論。
ジョセフ・マーフィーは、たしかに、適切な教えを説いていた、
と言ってよい。
だが。 それでも。
わたしとしては、アファーメーションは、あまりおすすめできない。
実現したい願望の水準が、生存や安全に関するものではなく、もっぱら自己実現にまつわるものだからだ。
自己実現、という観点から見て。
避けて通ることはできない、衝撃の事実をお教えしたい。
潜在意識は万能であり従順である、ということなのだが、
「万能」とは。実直に言って、どのようなものなのか。
自己実現、という文脈に照らせば、こうなる。
かけがえのない。たったひとりの。
この世界であなただけにしかない絶対的な個性は、じつは、あなた(顕在意識)ではなく、あなたの、潜在意識のほうに属する。
その点から言ったら。
顕在意識としてのあなたなど、どう転んでも、平凡で凡庸な、単なる凡人にすぎない。
この事実を。あなた(顕在意識)は受け入れることが、できるか!?
読了されたら…
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