自分の現実は自分で創っている、という話は、自己啓発&成功哲学業界や、オカルト・スピリチュアル界隈では、もはや常識と言ってもよいくらいだが、逆に言って、『現実を自作している』という自覚があるなら、それについて、わざわざ語る必要は、まったくないはずだ。

 

逆説的ながらも。

それについて高らかに語っている、ということは、

それは、まだ、実現できていない、ということなのだ。

 

これは、一種のパラドックスなのだが。場合によっては、この知識のせいで、かえって追いつめられてしまうことになる。

片や、理念としては、自分の現実は自分で創っているのだから、すべては、自分しだいである。

それにもかかわらず、もう一方には、実際には自分はなにをしたらよいのか、わからない。という現実があるのだから。

 

『すべては自分しだいだ。』と教えられて。なおかつ、

『自分では、どうしたらよいのか、わからない。』のだから、

ようするに、それは、なにもわかっていないのと、同じことだ。

『引き寄せ難民』という言葉は、なかなか絶妙。

言い得て妙だ。

 

一度でも、真実を耳にしてしまった以上は、もはや旧来の「唯物論の国」に住みつづけることは、不可能だ。かといって、どれほど努力しても、『法則』を使いこなすことはできず、自分の現実を創造できているという実感も持てず、『引き寄せの国』には、たどりつくことはできないでいるのだから。まさしく難民だ。

出国したはいいが、目的地にいつまでもたどりつけずにいるわけである。そして、そうなって初めて、目的地はどの方向にあるか、そもそも知らなかったことに、気づかされるわけである。

さあ、どうすればよいのか??

 

 

 

 

 

 

さて。

『引き寄せの法則』や、

『思考は現実化する』や、

その他類似するメソッドにおいては。

望みのものを現実化させるにあたって、

どうやってそれが現実化するのかは、考えてはならないと、されている。

 

たしかに、それは、そのとおりだ。

だが、その『どうやって!?』の部分を封じられてしまっているから、あなたは引き寄せ難民なのである。

そうではないか?

どうすればそれが実現するのか、はっきりと明示されていれば、そのとおりに、それを、あなたは、こなすのではないか?

腕立て伏せ 1000回だろうと。

アファメーション 10000回だろうと。

 

 

『引き寄せの法則』を使いこなすことは、言い換えれば、

『現実が自動的に進行することを 許容する』という意味でもあり、であれば、どうやって?どうしたら?、などという問いは、本来であれば、存在しない。

だが――――――――――。

 

こんなふうに、どうやって?どうしたら?、は存在しないと教えられたところで、では、どのようにすれば、『どうやって?どうしたら?が存在しない状態』になれるのだろうか??

という問いが新たに発生するだけで、結局は、またしても、単なる堂々巡りだ。

そうではないか??

 

つまり、どう転んでも、あなたは、あなたが今いる地点から始めるよりほかはなく。

そうして、いまのあなたがいる地点では、

どうやって?

どうしたら?

という問い(疑念/疑問)が発生することは避けられない、ということだ。

 

 

だからこそ。

わたしは、きわめて大胆な試みに挑戦したい。

どうしたら『引き寄せの法則』を使いこなせるようになるかを、わたしはいまから、あなたに教える。

 

通常、教えられないこととは、まったく別の角度から説明することになるので、引き寄せ界隈の一般常識に反することを、たくさん述べることになるが、そのへんは覚悟しておいてほしい。

 

通常どおりの『引き寄せ』の教えは、きわめてシンプルで、まったく正しいのだが。実用性という観点から言ったら、『引き寄せ難民』を大量発生させるだけの、まったくの、駄作だ。

言い換えれば、シンプルで正しい教えには、言語化され得ない周辺部分に、ひどい矛盾をかならず孕む。

 

『教え』とは元来、そのようなものだ。

教える側と教わる側には、絶対的な断絶があり

―――そもそもその断絶が存在しないのならば、教えを受ける意味はまったくない。すべて自力でやればよいのだ―――その絶対的な差異を、言葉などという、あやふやなもので埋めなくてはならないのだ。

 

言葉というのは、どうしようもなくあやふやなものであり、それは、あくまで、断絶を埋めるための手段として使われている。

『教える』という場面では、言葉は道具であり手段にすぎず、それ自体が目的になることなど、断じてありえない。

 

それにもかかわらず。

言葉としての『引き寄せ』の教えは、あまりにもシンプルに、正しく、まとまりすぎている。

ということは。

それは『教えることを、放棄した』ということだ。

そのように理解してもらって、さしつかえない。

事実、できもしないことができるようになるまで

(ようするに「どうやって?」という疑念が完全に消滅するまで)

『法則』を使いこなすことはできません。

それだけのことしか、教えられていないではないか!

ちがうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『教える』

『伝授する』

という観点から『法則』を説明するなら、以下のとおりだ。

 

あなたは、自分で自分の現実を創ってなどいないし、

これからも自分で自分の現実を創ることなど、ない。

あなたが、どれほどのマスターになろうと、この事実は決して変わらない。

 

つまりね。

『自分の現実は 自分で創っている』などと吹聴する者は、ようするにウソをついているのだ。

わかるかな?

よく考えてみてほしい。

『自分の現実は、自分で創っている』などと言ったところで、あなた自身は そのような実感はまったく持てずにいて。会ったこともない、またはセミナー代やらセッション代やらで大枚はたいて一瞬だけ会った 通称:引き寄せマスターが、そのように言っていた、というだけの話だ。これでは、噂話を信じているのと、いったいなにがちがうのか??

 

さらに言えば。

ほんのささいなできごとを針小棒大に拡大解釈して、

『たしかに自分の現実は自分で創っているのだと実感した!!』などとほざくのはようするに、自分で自分に催眠術でもかけて、自分を洗脳しているだけの話だよ!?

 

正直になりなさい。

もっと自分自身に正直に。

『自分の現実は自分で創っている』などという、セミナー業界&スピリチュアル業界のプロパガンダに乗るのをやめても、あなたには何の不利益もない。

そうではないか?

 

 

 

 

 

 

 

スピ業界も、セミナー業界も、ウソと偽りに満ちている。

あなたと握手して、あなたから搾取するという、たったひとつの目的のためだけに。

だからね。

『自分の現実は自分で創っている』などという、

どうしようもない ウソを信じるのを やめなさい。

自分自身にとって、何の実感も持てない話(つまりウソ)をどうしてあなたに信じようとするのか。

 

客観的に見て、それは真実ですか? という観点から言えば、

わからない というのが、あなたの正しい(正直な)答えだ。

主観的に見て、それは実感はありますか? という問いならば、

ない というのが、あなたの答え。(本音/本心)

 

なのに。

客観的真実の名のもとに。

まるで実感のないことを、信じるように教えられ。

信じられないことを、信じこむように仕向けられる。

 

信じられないのに、信じているふりをすると、

『内界』と『外界』が

分裂するよ!?

こんなふうにして、あなたは『外界へと』引きずり出され。

こんなふうにして、あなたは『内界と』断絶してしまう。

こんなふうにして、あなたは 弱者として仕立てられ、

こんなふうに―――。

あなたは今日も、喰い物にされているのだ。

 

このような馬鹿げた無限ループは。

最低でも一度、完全に切断する必要がある。

 

だからこそ、前代未聞の試みだ。

以下の命題を絶対前提とするところから論を進め、あなたにかけられた馬鹿げた洗脳を解き、同時に、『どうしたら引き寄せの法則を使いこなせるのか』という問いにも答えよう。

どのように論旨が展開してゆくか。

その目で、しかと、見届けよ。

 

 

 

 

 

あなたは『自分で自分の現実を創って』などいないし、

これからも『自分で自分の現実を創る』ことなど、

決してない。あなたがどれほどのマスターになろうと、それは、同じだ。

 

 

読了されたら…

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