成功者は、ワガママだ。

億万長者は、ワガママだ。

 

高額セミナーの講師たちは、ワガママだし、

「引き寄せマスター」だって、ワガママだし、

スピリチュアルマスターだって、ワガママだ。

 

悟りを開いたり、覚醒などしてしまったりすると、善を極めるどころか、むしろ、その人は、死すら恐れぬほど、ワガママになってしまうのだ―――。

 

実直に言って。

この世そのもの、この社会そのものに対して、手ひどい誤解があるようなので、それについて、指摘しておきたい。

 

まず、人生を生きるにあたって、大きく分けて次の2つのうちの、どちらの人生を生きたいのか、決めなければならない。

すなわち。

加点法の人生か。

減点法の人生か。

 

加点法の人生は、自分の夢/願望/目標/ワガママを、どれだけ叶えられたかによって、評価が決まる。

言い換えれば、人生は、楽しむことが、目的だ。

それに対して減点法の人生では、どれだけ他人にうしろ指を指されずに済んだか、避難や批判を浴びずに済んだかが評価の対象であり、目立たない場所で自分を押し殺して他人のために自己犠牲することが、人生の目的だ。

 

両者は、まったく正反対の人生観なのだから、どこからどう考えても、生きている世界がちがうし、両者は決して相容れない。

もはや、別の種族だと、言ってよい。

 

そうして。

社会的な正しさ、社会のルール、社会的に善いとされていること、などはすべて、減点法の人生を生きる人々のためのものであり、自分で自分の基準を定める能力のない人たちのものだ。

 

『引き寄せの法則』をマスターして望みどおりの人生を生きたい、と願っているあなたは、この二分法でいえば、加点法の人生を生きたい、と言っていることになり。であれば、減点法の人たちに適用されている基準を振り切ることが、どうしても必要だ。

 

あからさまな、挑発的な言いかたをすれば、こういうことだ。

善人になど、なろうとするな。

社会的に、まともかどうかなど、気にするな。

法律など、いちいち守ろうとするな!!

いかがだろうか?

ここは重要な部分なので、わたしとしては、強調しておきたい。

法律は、あなたに守られることなど必要としていない。あなたが守るべき大切なものなら、法律やら社会的な正しさなどとは、まったく別の場所にある。

そのことを、どうか、思い出してほしい―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

法律など、守ろうとするな。

うむ。あまりにも挑発的なので、趣旨と伝えるには、ちょうどよい。

法律家はなぜ、六法全書をデスクに置いているのだろうか。

それは、暗記だけで対処するのは不可能なほど、法律の条文が多すぎるからに、ほかならない。

法律の条文は、無意味に無駄に多すぎて、『自分は、すべての法律を完璧に順守できているかどうかを、たしかめること自体、もはや、だれにも、不可能だ。

実際、具体的な法律の条文など、だれも見向きもしないし、おぼえてもいない。それでも何の支障もなく、社会生活は、営まれている。はっきりいって、それで、十分なのだ。

なんの話をしているか、おわかりだろうか??

 

法律を守る/破るの二択だったら。

わたしとしても、違法行為を推奨するわけにはいかないし、「ほーりつは、まもりましょー」と、無表情で、乾いた声で、言うしかない。

だが、これは守る/破るの二択になってしまった時点で、負けなのだ。

きわめて現実的な、事実に即した正解を述べれば。

守る/破るの二択よりも、はるかに手前の段階に、べつの二択があり。それは、

 

正面に据える/最後尾に置く

 

といったようなものだ。重要視するかしないか、だと言っても良い。

そして、あくまで一般論ではあるものの、わたしたち日本人は、法律を意識しないとすぐにでも逮捕されるような社会には生きておらず、条文を逐一、暗誦できるようになる必要はないし、そもそも法律(条文)に関心を持つ必要じたい、ない。これは、とても、よいことだ。

断言してもよい。わたしとしては自信をもって断言したい。

法律になんの関心を持たなくても生きられる社会を構築できていることは、とてもよいことだ!と。

 

でね。

『法律は、守るべきものだ。』

『しかし、法律のことなど、日頃は意識していないし、したがって、それをきちんと遵守できているかどうかも、

じつは、ほとんど

意識に昇ってこない。』

―――この、見かけ上の自己矛盾について、考えてみてほしい。

重ねていうが、この矛盾は、解消しようとする必要はないし、むしろ、とても良いことなのだ、とわたしは断言したい。

そのうえで、あらためて言う。

法律にかぎらず、あなたが意識している社会のルール、会社のルール、家庭のルールなどは、すべて、このていどの扱いで、十分なのだ、と。

明文化されたものよりも、不文律、暗黙の掟、忖度などが含まれている場合のほうが、とくにそう。

あなたをとり囲む、ありとあらゆる、ルールというルールに関して。

守る/破る、ということとは別に。

 

真正面に据える/最後尾に置く

 

という二択もあるのだということを理解して。

ルール遵守そのものは否定されるべきものではないとしても、できるかぎり、それを、うしろのほうに、置く。 つまり、できるかぎり、優先順位を下げる。

これを、ぜひ、やってみてほしいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかるだろうか?

あなたにとっては、本来もっと大切なことがある。

「外界における」ルール遵守などは、必要最小限でよい。

そんなことよりも。

『内界において』あなた自身の内なる子供の面倒をみることだ。

インナーチャイルドの癒し、というフレーズは、使い古されていてすでにききあきたかもしれないが。

どうか構図全体を理解してほしい。

インナーチャイルドという言葉はきいたことがあっても、それが実在するのかどうか定かではないと感じているあなたは、言ってみれば、自覚なく育児放棄してわが子を虐待しているのと、同じ状態にある。

 

そうして、自分の現実は自分で創っている、という文脈に照らせば、

虐待された子供がみている悪夢

が、あなたの現実だ。

 

インナーチャイルドという言葉は、ある意味では比喩にすぎず、インナーチャイルドと潜在意識と感情体は、わたしに言わせれば、同じものだ。

だからこそ、さらにここで新しい表現を用意すれば、それは『家』であり、あなたには、あなたのための『家』がすでに与えられているのだが、そのことに気づかないあなたは、いまもホームレスをしている。

自分の生きている現実に関して、自分で創ったという実感を持てずにいるのなら、ホームレス状態を疑ってみたほうが良い。なぜなら、現実を創っている者と、実際にその現実を生きている者(あなた)は、 『別々の場所にいる』ということだから。

 

比喩表現だらけで、わかりづらいかもしれないが。

真実とは、いたってシンプルなものであり、それについて語ろうとするには、どうしたって比喩表現の力を借りるしかない。

逆にいえば、こうした比喩表現を、そのまま理解できるほどの「単純さを、身につけた」とき。あなたは、単純すぎる真実を、ありのまま、そのままの形で理解するだろう。

 

だからこそ、わたしは、こう言いたい。

家に帰って、わが子を 抱きしめよう』―――。

 

読了されたら…

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