熱心な読者がついていると知って、あらためて他の人たちが書いた教えを、読み返してみた。熟読ではなくザッピングていどだが。
自己啓発的な&スピリチュアルな教えをすべてまとめて要約すると、こんなふうになる。
人間には本来、望みどおりの(またはそれ以上の)現実を創造する能力があり。
それを実現するための鍵は、目には見えないが、たしかに実在している『なにか』が、握っている。
その『なにか』の名前を、源(ソース)、宇宙、潜在意識、超意識、意識、父なる神、母なる神、ハイアーセルフ、ほんとうの自分、などと言い。
それを使いこなす秘訣は、抵抗を手放すこと、ワクワクを追求すること、恐怖ではなく愛を選択すること、記憶をクリーニングすること、守護天使や龍や先祖を味方につけて波動を上げること、そうじすること、感謝すること、パワースポットに行くこと、悟りを得ること、覚醒すること、いかなるときにもあきらめることなくアファメーションを唱えつづけること、だ。[もちろん、探せば、他にもあるだろう…。]
しかし、わたしは、このように言いたい。
あなたが しあわせになるために必要なのは、こうした教えぜんぶをハナから無視して取り合わず、もっと 享楽的に 生きることです、と。
あなたが「不幸にも」こうした教えに感染してしまい、たくさんの教えを熱心に学んできたのに、ろくに成果らしい成果は挙がっていないのなら、ここは冷静に考えてみてほしい。
ただ人生を享楽的に生きている、何も考えていないただの馬鹿のほうが、はるかにしあわせなのではないか??
自分自身がしあわせをすべて犠牲にしてでも、世のためひとのため(教団のため国家のため会社のため家庭のため)わが身を捧げたい、というわけではないだろう。
とすると、単純にいえば、あなたは、あなた自身のしあわせを追求している、ということになる。
であれば、なぜ向学心もあって勉強熱心なあなたがなにもしない馬鹿より不幸なのか。
くれぐれも、自分自身を責める、という方向には行かないでほしいのだが。なぜ、かえって不幸になってしまうのか。うまくいかなくなってしまうのか。ということは冷静に考えてみるに価するテーマであると、思う。
なぜなら、これは、あなたが優秀であるか、賢い人間であるかどうかとは まったく関係のないただのシステムであり、このカラクリを見抜くことができれば、あなたは、そこから、解放されるからだ。
ちょっと、思い返してみてほしい。
こんなふうに思い描いていなかっただろうか??
世の中には、たくさんのすぐれた教えがあり、学べば学ほど、賢くなれる。
いかがだろうか?
わりと無条件に、こんなふうに想定していたのではないかな?
しかし、これは、まやかしなのだ。
はっきり言ってしまえば、この見方は、完全に誤りである。
なにも学ばないほうがよい、などということは、ありえない。
したがって、学ぶのは、とても良いことだ。
まったくの無知でいるよりは、ひとつでも学んだほうがよいし、1つしか学ばないより、2つ学んだほうがよいし、2つしか学ばないより、3つ学んだほうがよい。
たしかに、学ぶのは、とても、よいことだ―――。
だが、こうした話は、ある時点で逆転し、まったく別の話になってしまう。
言ってみれば、高みをめざして昇っていたはずが、気が付いたら、いつのまにか、アリ地獄に堕ちているのだ―――。
いつ、どの時点で「境界線」を越えてしまったのかは、指摘できない。
また、なぜこんなことになってしまうのかは、混み入った事情があり、とてもひとことで説明できるものではない。
あえて、ひとことで断定するなら。
『そもそも、この世は、そういう場所だ』
ということだ。
そうして、スピリチュアルを(『引き寄せの法則』を)マスターするとは、その場所から抜け出すこと なのだよ。
引き寄せ難民。
潜在意識難民。
自己啓発難民。
スピリチュアル難民。
こうした難民状態に陥っているあなたは、決して勉強不足を嘆かないでいただきたい。
むしろ、話は、逆なのだ。
勉強のしすぎが原因で、あなたは難民から抜け出すことができずにいるのである。
このことについて、どうか、思いを馳せてみてほしい―――。
インナーチャイルドの話になぞらえれば。
タイトなスケジュールを組んで異様な英才教育を施し、厳格なスパルタ教育を押し付けることよりも。 母親であるあなたが、毎日欠かさず、だきしめてあげることのほうが、よほど教育効果は高いのである。
幼児はすでに万能であり。
その万能性を引き出せるかどうかだけが、問題なのだから―――。
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