『自分のお金なんだから。

 どう使おうと、

 自分の勝手でしょ!?』

(第154話)

 

この表現は、単純に言って2とおりの意味を持っていて、片方は、反語表現。もう一方は、文字どおりの意味。

 

『自分の命なんだから。死ぬのはわたしの勝手でしょ!?』

このようなセリフがドラマなどで出てきたとしたら、この言葉を投げかけられた役者は、全力で自殺を止める。まあ、定番だね。

 

それに対して。

『自分のイスなんだから、座るのはわたしの勝手でしょ!?』

『はい。どうぞ。お座りください。』

このように、それが単なる当たり前の事実である場合は、べつに、何も起こらない。

 

お金、にかぎらず、学ぶということすべてについて言えることなのだが。

学び、というのは。

『自力でやろうとしても失敗するから、他者の介入が絶対に必要』

な状態から

『自分でできるから、他人に介入される必要は、まったくない』

状態への移行、であると言える。

 

この両者の中間をつなぐプロセスが、いわゆる「学びのプロセス」というわけだ。

 

たしかに、手ほどきは、必要。

何事も、初心者の段階では、謙虚になって、だれかの教えを受けることは、とても、大切だ。

たとえば、わたし(筆者)は、いまは、このような長文のブログを自力で書き下ろすくらいの能力を発揮しているが、それでも、幼少の頃には、ひらがなで、あいうえお、を手書きするところから、始めたのだ。

ライター養成講座等には、参加したことは一切ないのだが。

それでも、初歩の初歩、きほんの「き」くらいは、だれかから、手習いする必要が、あったのだ。

 

お金に関しても、それは、同じ。

初歩の初歩、「きほんのき」くらいは、教えてもらう必要がある。

わたしが、いまから、教えてあげよう。

それは、以下のようなものだ。

 

1.お金を使えば、モノが買える。

2.お金は、使うと、なくなってしまう。

 

うむ。この2点だけ理解できたら、あとは実地で練習を重ねていけば、それで、十分だ。

いやいや。この2点だけ本当に理解できていたら、本当にそれで十分。あとは、あなたがお金をどのように使いこなすか、という、あなた自身の問題だけだ。したがって、他者の介入は、一切不要―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金には本来、秘密など、なにもない。

提示された金額を支払えばモノが買える、という。たったの、それだけのシロモノだ。

それにもかかわらず、まったくそのようには思えないのは、

そこに巨大な妄想体系ができあがってしまっているからであり。

 

逆に言って、どれほど熱心にお金について研究しても、まったく報われることがなく、お金に恵まれるようにはならないのは、妄想のなかに首をつっこめばつっこむほど、ますます迷妄に囚われるだけだからだ。

 

妄想について研究するために、実物のお金を支払ってしまう。

これほど馬鹿げたことが、ほかにあるだろうか―――?

 

そういうわけなので。

わたしとしては、妄想の打破、迷妄からの脱出を、あなたに呼びかけている。わたしがしていることは、ある意味、たったの、それだけなのだ。欲しくもないものを買い、そのために借金まで抱えて。それを「先行投資」「自己投資」などと呼ぶことが、どれほど馬鹿げているか。―――そんな、あたりまえの事実を見失ってしまうのは、『お金という壮大な幻想体系』に、盛大に巻き込まれてしまっているからだ。

 

幻想は幻想にすぎないのだから、

そこには、まったく、何もない!

 

逆に言って。

幻想にすぎないものを、恐れる必要も、まったくない、

ということでもある。

 

古くからある、こんな一句を贈りたい。

『幽霊の正体見たり、枯れ尾花』

 

 

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