『お金とは、愛と感謝のエネルギー』という見方に、わたしはまったく、賛同しないが。というか、前回書いたように、かなり批判的だったりも、するのだが。

だからこそ、ここに、明記しておきたい。

 

『お金とは、愛と感謝のエネルギー』という見方じたいが、まちがっているわけでは、まったくないのだ。

 

むしろ、『お金とは、愛と感謝のエネルギー』という見方は、十分に、正しい。清く正しく美しくって、じつに良い考え方なんじゃないの?

本気でそれを信じられるのであれば。

 

でも、本当に知るべきことは、そこではないのだ。

ことが『お金』であるだけに、どうしても、この事実だけは押さえておいてほしいと、著者としては、強く願う。

 

いいかな?

『お金とは、愛と感謝のエネルギー』と唱えるだけで、片や、たったのそれだけのことで、お金を稼ぐことができる連中がいて、もう一方には、お金ってのは、愛と感謝のエネルギーなんだから、とかいう理由で、お金を払いつづけている人々がいる。

 

たったの、同じ『お金とは、愛と感謝のエネルギー』という命題ひとつでも、お金を『稼ぐ』側と、『使わされる』側に、はっきりと分岐してしまい、『お金を稼ぐ』ほんの一握りの勝者/強者と、『お金を使わされる』だけの圧倒的大多数の敗者/弱者たち。

こうした構造は、かならず、自動的に生じる。

はっきりいって、この世は、こういう場所なのだ。この事実に、どうか自覚的になってほしい。

 

そのうえで、『お金とは、愛と感謝のエネルギー』という命題を唱えることが、あなたにとって利益になるなら、それを存分に活用すれば良いし、そうでないなら、さっさと無視すればよい。

著者としては、そのように、強く勧める。

 

 

 

 

 

 

 

 

付記すれば。「なにが、正しいか」ないしは、「この命題は真か偽か」ということに強くこだわることは、他人の見解に不必要に首をつっこむ契機にもなり、あえて言うなら、そういう行動じたいが、「洗脳されて、敗者/弱者にされることを、みずから求める行為」であるとも言える。

きわどい表現ではあるが、あえて『真実を述べる』のなら、それは、こういうことなのだ。

 

本来、あなたは、なにを信じるか、すなわち『なにが正しいのか』を、みずから決定する権利を有している。

あなたの世界において、『なにが正しいのか』は、本来、あなたが自由に決定して良いのだ。

 

その権利、権限は、あまりにも絶大なものであるので―――。

あまりにも絶大すぎるそのような権限を、よもや自分自身が保有しているなどとは、とうてい信じられない。

 

だからこそ、自分にとっての正しさを、みずから決定することができずに他人の見解を覗き込み―――。そうすることによって、いわば、『他人こそが正しい』のだと、決定したことに、なってしまう。

そのようにして、あなたは、みずからの権限を喪失し、

そのようにして、あなたは、みずからを他人へと差し出し、

そのようにして、あなたは、洗脳され、弱者へと堕ちる。

 

そこでは、「正しい」のは、常に他人だ。

「正しい」他人が、「正しい見解」を唱えたら、たったのそれだけのことで、あなたはお金を支払わなくてはならない。

そういうお金の使い方をしていたら、いくらあっても、お金は足りない。

それは、まさに、この世の地獄だ―――。

 

逆に言って。この世でほんの一握りの勝者/強者になる方法。

それは、自分自身の正しさをみずから確信していて、疑いの余地がまtったくないこと。他人を一切、説得することなく。自分自身をも、説得することなしに。すでに、その正しさは自明の前提であり、いまさら証明など不要。したがって、もはや、それについて考えること自体、ない。

そうして、彼/彼女は、みずからの絶大なる権限を、なんの遠慮もなく、行使している―――。

言い換えれば、ほんの一握りの勝者/強者が、きわめて傲慢であるのは、きわめて当然の、きわめて自然なことなのだ。

 

これを読んで。

あなたの信じていた理念、世界観が崩壊しはじめたとしたら。

それは、祝福であり、瑞兆である。

 

 

 

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