『内界』と『外界』について。

実用的な観点から、要点を整理してみよう。

 

まず、物理的・客観的な現実(『外界』)と、それを体験しているあなた自身(『内界』)は、別の存在である。

 

このことを自覚できないでいるうちは、「引き寄せ」をどれほど熱心に勉強しても、成果らしい成果は、ほとんど挙げられない。

すくなくとも、授業料(勉強するのにかかったお金)のぶんだけ、赤字。

それどころか、「引き寄せ」を習ったことが、かえってひどい苦難を「引き寄せて」しまう場合すらある。

 

いわゆる『自分で自分の現実を創っている』というときの、

『現実を創っている、自分』とは、まさしく『内界』のことだからだ。

 

『内界』と『外界』の区別―――すなわち、わたしがいま直面している現実(『外界』)と、それを創造した自分自身(『内界』)は別の存在である、ということに理解が及ばないうちは、それは、そっくりそのまま、

『自分で自分の現実を創っている自分自身(『内界』)を、自覚できない』

という意味になるから、「引き寄せ」とか「現実創造」などと言ったところで、そもそも「だれが、だれの現実を創っているのか??」という話になってしまう。

 

自分で自分を自覚できないうちは、自分がなにを望んでいるのかも、当然ながら、自覚できない。「望みのものを、引き寄せる」などと言ったところで、そもそも、それは『だれの望みなのか??』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の願いを、自分で叶える。

まず、自分がなにを望んでいるのか、自分自身で正確に把握し、つぎに、『そうだ。たしかに、わたしは、それを望んでいる』という状態を確立して、やがて、そんなことは当たり前すぎて、いちいちそれについて考えようとしなくなり、すると、ほどなくして、(いわゆる「忘れたころに」!!) それは、現実化する。

 

こうした『現実創造のプロセス』は、本来、とてもたのしく、とても甘美なものだ。現実化が、ではなく、じつは、『プロセス全体』が!!

 

だからこそ、あなたにも、ぜひ『内界による現実創造』をマスターしてほしいのだが。

 

本来、とてもたのしく、とても甘美で、とてもしあわせな『現実創造』において、その入り口の部分に、一か所だけ、かなり厳しい『関門』『関所』が設けられており、それは、「あなたは、そもそも、何者なのか?」ということだ。

 

「自分で自分を自覚する」のが、難しいわけでは、べつにない。

単に『ほんとうに、自分が望んでいること』を、そのまま、本当に、望めばいいだけだからだ。

 

本当だよ?

単純に『わたしの、ほんとうの、望み』を、本当に望めば、いいだけだ。

その点、とても寛大で、とても気前よく、とても慈悲深い。

 

しかし。一点だけ。

ほんの、たったの一点だけ、『厳しい条件』がついている。

それは、あなたが『ほんとうに望んでいること』を、本当に望む、ということだ。その一点を、踏み外してしまった場合。これは、本当にまずい。

 

『自分がほんとうに望んでいることを、自分で、本当に、望む』という絶対の原則が踏み外されている場合。

 

その場合、『他人の望みを、あなたが望んでいる』ことになってしまい、その場合、あなたは、他人のために使われる、他人のための消耗品にすぎないことになる。

それは、本当に、地獄だ―――。

 

 

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