年収はいくらほしい?
1000万円?
2000万円?
3000万円?
それとも 1億円?
―――くれぐれも繰り返しになるが、実際に「がんばれば年収アップできる」境遇にいる人は、がんばって年収アップしてくれて良い。歩合制で働いているとか、社長やってて、会社の売上が伸びれば自分の年収は、自分の一存で勝手に決められる、とか。
具体的な増やし方があるなら、誰に遠慮することなく、自分で自分の収入を増やしまくればいいのだ。
具体的に収入を増やせる境遇にいて、自分でも収入を増やしたいと思っているのなら、ブログなんか読んでないで、実際の収入アップに取り組むほうが、はるかに大事だ。 遊んでいる場合ではない。
でもまあ、たいていの場合は「それができないから困っている」のだ。
一方に、年収1000万とか2000万とかの「華やかな世界」があり、それに対して自分は年収も少なく、自由にできるお金がなくて、地味でつまらない境遇に留め置かれている。
そんな自分が許せなくて、いつも悶々としている。
そんな状況。
そんな状況のままで―――。
自分の人生を大逆転させようと、突如立ち上がって誓いをたてる。
自分の人生を大逆転させる。そのためだったら、何だってやる、と。
ようするに、身を粉にして努力する、ということだ。
そうして一念発起して、突然、起業する。
あるいは、資格を取ろうと、学校に通いはじめる。
ああ。がんばれ自分!!!
桜の花はあざやかで、となりの芝生はいつだって青い。
わたしだって、もっといい人生、送りたい!!!
で、まあ、申し訳ないが。このやりかたは、はっきり言ってしまえば、
「人は、このようにして地獄に堕ちる」という、見本のようなものだ。
こういう思考パターンで行動しているあなたは、開始時点からすでに
「負け組の道を歩んでいる」。 競争に敗れて負け組になった、のではなく、開始時点ですでに、負け組の道。負け組専用の道―――。
まず、基本前提として、自分で自分を許せないままで人前に出れば、自分に容赦なく罰を与えてくれる人に、たくさん出くわす。言ってみれば、間接的に自分で自分に罰を与えているような形だ。
つぎに、具体的にお金について考えてみよう。ここでは、いわゆる「みんながそうしているから」という部分は脇に置いて、実際に起こっていることだけに、目を向けてみてほしい。
1.年収が少なくて、自由になるお金がないあなたは、どうにかして年収を増やしたいと考え、そのためには、「どんなことでもする」:つまり、身を粉にして、全力で努力する、と誓った。
2.で、学校に通って資格を取るにせよ、セミナーで学んで起業するにせよ、まずは「熱い覚悟がさめないうちに」意を決して申し込みを済ませる。この時点で、まず出費だけは確定する。お金ないのに!!
3.こういう形で事を始めた場合、そもそも「初志を貫徹する」こと自体が難しい。だた、その話は一旦、脇において、もしも、「さいごまでがんばった」つまり、学校なりセミナーなりを最終回まで通いつめ、出される課題をすべてこなしたとしても、それによって、「成功が約束される」ような事実は、まったくない。
4.いわゆる「努力すれば報われる」という話は、ここでは
「がんばって学校に通えば、学校を修了できる」
「がんばってセミナーに通えば、セミナーを修了できる」
という形に勝手に矮小化されており、ようするにいちばん肝心かなめであるはずの、『年収を増やす』という大目標は、まったくもって、完全に、ノータッチのままである。
5.結局、がんばった/がんばれなかった とは一切関係なく、あなたは多額の出費だけを強いられ、なおかつ、がんばった/がんばれなかった 場合のいずれにせよ、収入が大きく増えることはなく、がんばっても、がんばらなくても、ようするに、借金だけが残る。ようするに、報われることはまったくないのだ。がんばったか、がんばれなかったか、とは関係なく………。
―――話を要約すれば、「年収が少なくて、お金がない。」はずのあなたは、「お金がない」わりには多額の出費を賄わされ、そのうえ、結局は「お金がないから」という理由でがんばっても(あるいは、がんばれなくても)そのやりかたで創造できるのは、借金だけ。
本当に、こういう馬鹿げた構造に、なっている―――。
では、どうすればよいのか?
基本前提にある、自己嫌悪と自己否定を投げ捨てるのだ。
「自分で自分を許せないでいる」かぎりは、あなたを全力で責め立ててくれる人々が次々と寄ってくる。しかも、それが、いちいち有料(しかも高額)では、まったく割に合わないではないか!
前編ここまで。後編は、あした掲載します。
辺境の地の零細ブログにつき…
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