あらためて、お聞きしたい。
そもそも、なぜ お金がほしいのだろうか。
いままで何度も述べてきた話題ではあるが、
まるでこれが第1話であるかのように、改めて考えてみてほしい。
年収は、いくらほしい?
1000万円?
2000万円?
3000万円?
それとも 1億円?
年収という概念はかなり一般化しており、金額の高さが一種のステイタス、一種の肩書として通用している現実がたしかにあるのだが、年収を、つまり年収1000万円とか、年収1億円とかを具体的な目標として掲げてみても、『どうやって?』の部分で、かならず行き止まりになってしまう。
(※もちろん、具体的な年収アップの方法論を持ち合わせている人は、その方向で突き進んでくれてよい。とはいえ、大半の人はそうではないし、「収入を増やしたくても、その具体的方法がわからない」という、よくある境遇の人に向けて、話をしている。)
たとえば、弁護士になりたい、という人がいる。
その人は、どうしても弁護士になりたくて、司法試験の勉強に、何年も費やしていたりする。
「なぜ弁護士になりたいの?」
「いや、とにかく弁護士になりたい。」
「弁護士になって、どうするの?」
「いや、とにかく弁護士になりたい。」
こういう人は、本当にいる。司法試験の勉強をしているだけでは、どれほどがんばっても 無収入のただのニートだし、もし仮にその人が、『奇跡的に試験に受かった』としても、弁護士は基本的に客商売なのだから、弁護士としての自分に「お客様がついてくれる」かどうかは、試験そのものの難易度とは、まったく無関係だ。
つまり、その人は「弁護士」という肩書き自体に目がくらんでしまったがゆえに、
1.試験に受かるまでは、どれだけがんばっても 無収入。
2.試験合格後は、試験そのものとはまったく別の能力が要求されることになり、「客商売」への適性がまったくない場合は、文字通り「試験合格後も、無収入のまま」である。
という、まったく目も当てられない、同情を禁じ得ない状況に陥ってしまった。弁護士って、ようするに職業選択の話なのだから、ここで「無収入の確定」というのは、はっきり言ってしまえば、「絶対的敗北があらかじめ確定している道を歩んでいる」ということになる。
弁護士という肩書き、言ってみれば「外枠」を眩惑によって決めてしまうと、その「中身」において、このように「終わっている」「死んでいる」状況に陥ってしまうことが往々にして、ある。 「外枠」に眩惑されていればいるほど、その「中身のなさ」に本人がなかなか気がつけず、そんな「異常な状態」が身の破滅をもたらすまで続いてしまう場合もある。
1月2日に述べたモブピー協会(仮)の彼女も、「起業」というワードに眩惑され、「中身」はただの洗脳、ただの借金地獄だった。
こうした「外側のきらめきに眩惑される」ことが、どれほど危険か、そうして、それにもかかわらず、あなたを「眩惑させる」ための仕掛けなら、世の中に無数にある。こういう、あざとい仕組みに気づいてほしい。
そのうえで、本当のことを自覚してほしい。
わたしは「お金がほしい」のでは、ない。
ただ、「お金がない、という圧迫感から、解放されたい」だけなのだ―――と。
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