マイトレーヤ II

      ~その教えの真髄~
              ラエル


知識は幸福をもたらさない
意訳:知ることで幸せにはなれません
 

(a.H.アフター・ヒロシマ66年2月 ― 2012年 沖縄・日本)

私たちラエリアンは、科学とテクノロジーを愛しています。そして愛と調和、瞑想、そして何よりも幸福を愛しています。

他のすべては重要ではありません。重要なのはただ幸福だけです。

幸福をもたらさないのなら、なぜ科学を発展させるのでしょうか。
幸福をもたらさないのなら、なぜ瞑想するのでしょうか。

私たちが行うすべてのことにはただ一つの目的しかありません。それは、私たちを幸せにすることです。

幸福こそがすべての背後にある主な理由であり、そうあるべきなのです。

なぜ私たちは生きているのでしょうか。
なぜエロヒムは私たちを創造したのでしょうか。

それは、彼らがそれをして幸せだったからです。

なぜ私たちは、一人ひとりがこの世に生まれたのでしょうか。
それは、あなたの父と母がそれをして幸せだったからです。

父や母が、「それが仕事だから」「退屈だけれど義務だから」と思って性行為をしたことなど一度もありません。
彼らは幸せだったからこそ、それをしたのです。

だからこそ、幸福は地球上のすべての生命の理由なのです

なぜ花は咲くのでしょうか。
それは性交をするためです。花は植物の性器です。

開花とは、幸福と快楽に関わるものです。

なぜ鳥はさえずるのでしょうか。
彼らは「ここは私の縄張りだ。メスよ、どうぞ来ておくれ!」と言っているのです。

なぜすべての生命は動いているのでしょうか。
幸福と快楽のためです。

私たちはエロヒムの幸福の実りなのです。

だから、多くの人は「勉強することはとても重要で、それが幸福をもたらす」と考えます。
しかし、それは真実ではありません。

私たちは、まもなく勉強する必要がなくなる時代に近づいています。

勉強することは幸福をもたらしません。

学ぶことが幸福なのではありません。
存在することto beそれこそが幸福なのです

人々は学び、そのことをとても誇りに思っている。そして、科学によって宇宙のすべてを理解できるのだ、と言い、そう信じている。だが、それは真実ではありません。私たちは決して、すべてを理解することはできません。どれほど最先端の科学をもってしても、私たちの知識はきわめて限られており、そしてこれからも常に限られたままです。学べば学ぶほど、私たちは自分が何も知らないということを知るようになります。

「私たちは多くを知っている、知識に満ちている」と主張するのは、愚かな小さな科学者だけです。そんなことを言うのは愚かな科学者だけでです。最高レベルにいる一流の科学者たちはこう言います。「私たちは何も知らない」と。そして学べば学ぶほど、私たちは何も知らないのだという事実を、いっそう深く悟るのです。

究極の知とは何でしょうか。それは無限でしょうか。私たちは無限を理解できるのでしょうか。理解することはできません。私たちは決して無限を理解することはできません。しかし、それを感じることはできますそれを味わうことはできます。そして、それによって幸福になることもできます

無限を理解しようとすれば、いつも悲しくなり、憂うつになり、不安になるでしょう。理解しようとしてはいけませんただ感じるのです。花の中に、野に、鳥の中に、そしてあなた自身の中に、それを感じるのです。感じるのです。あなたは無限の一部なのですから。

私たちが無限に小さいものについて、ますます強力な研究を重ね、ますます高性能なコンピューターを使えば、無限に小さいものを理解したという幻想を抱くことになります。私たちは原子を発見し、「これが最小の粒子だ」と言いました。

ギリシア語のアトモス(atomos)」は、「これ以上切り分けることのできないほど小さいもの」という意味です。ところがその後、科学者たちは原子がさらに小さな粒子から成り立っていることを発見しました。それでもなお「原子」という言葉を使い続けたのです。それはとても滑稽なことです。

彼らは「アトム(原子)」という言葉を使いますが、それは「これ以上小さく分けることのできないもの」という意味です。ところが、原子の内部に電子や陽子といった、さらに小さな粒子が存在することを発見した後でさえ、なおその言葉を使い続けています。そして彼らは「私たちは発見する」と言います。さらに研究を進めると、クォークという、より小さな粒子を発見し、そしてまたさらに小さな粒子を見つけていきます。無限には終わりがないのですから、彼らはこれからも常に、より小さく、より小さな粒子を見つけ続けるでしょう。

では、なぜそれを研究するのでしょうか。それは興味深いことではありません。私たちは、エロヒムは高度な科学技術を持ち、その研究もまた非常に進んでいるに違いない、と想像します。しかし実際にはそうではありません。彼らはある一定の知識の段階に到達したとき――そして私たちもまさにそこへ到達しつつありますが――研究をやめたのです。

同様に、彼らは宇宙探査もやめました。多少は旅をしますが、宇宙が無限であると理解したとき、なぜ旅を続ける必要があるでしょうか無限であるならば、自分のいる場所で幸福でいるほうがよいのです。

ここに二つの大きな啓示があります。

エロヒムは、もはや科学的に進歩し続けてはいません

エロヒムは、もはや宇宙を旅していませんなぜなら、それが必要ではないと知っているからです。

ある一定の科学レベルに到達すると、人はそれを研究すること自体がまったく価値のないものであると気づきます。そして大切なのは幸せであることだと悟るのです幸せは、勉強や研究からは生まれません。私たちの科学や知識は、常に限られたものです。しかし、その限られた知識の中で本当に重要なのは幸せであること存在すること感じることです。なぜなら、幸せは無限であり、しかも今この瞬間にあるものだからです。幸せには研究は必要ありません。勉強も必要ありません。

セミナーにもっと参加すれば、もっと幸せになれるなどと思わないでください。違います。本当の幸せとは何かを発見したならそれは「今」ここにあります。明日ではありません。十年間メッセージを学び、ラエリアンのセミナーに参加した後でもありません。

もし本当の幸せとは何かを本当に発見したなら、ブッダであるということは、それは「今」なのです。もしあなたが今、ブッダであるなら、十年後により良いブッダになることはありません。ブッダであるなら、それは頂点です。それ以上高くなることはできません。

しかし良い知らせは、あなたはそれを今すぐにできるということです。感じることによって。無限を、力を、エネルギーを、幸せを、今この瞬間に。

そして、そのレベルに到達したなら、あなたはそれ以上良くなることはありません。上へ行けるのと同じように、下へ行くこともできます。ブッダであることをやめてしまうこともできるのです。感じることをやめ、存在することをやめれば、あなたは下へ落ちていきます。

ブッダである状態、そして幸せである状態は、永遠に自動的に続くものではありません常に超意識を使って、感じ、存在し続ける必要があります。これ以上良くなることはできませんが、悪くなることはできるのです。

それは木に登ることのようなものです。木の上へと登っていく。しかし風があります。人生は風なのです。そして難しいのは、頂上にとどまり続けることです。木のてっぺんに到達すれば、それ以上高い枝はなく、もう登ることはできません。

しかし、人生という風の中で、永遠に頂上にとどまり続けるためには、あなたの超意識を使わなければなりません。

ですから、覚えておいてください。勉強することには価値がありません。超意識においては進歩というものはなく、それは瞬間的なものです。勉強すればするほど、幸せは勉強からやって来るのだと思えば思うほど、あなたはますます不幸になります。

だからこそ、イエスは「それほど賢くない人々は幸いである」と言ったのです。賢いことは幸せをもたらしません。実際のところ、賢いことは愚かなことなのです。

高い学位を持つ人々の中で、自殺を試みる人、うつ病になる人、抗うつ剤を使う人の割合は、教育を受けていない人々の間よりもはるかに高いのです。なぜなら、勉強は幸せをもたらさないからです。それは知識という幻想をもたらすだけです。

科学者たちは、最も落ち込みやすい人々の一部であり、自殺する人も最も多い部類に入ります。特に医師、医学博士たちです。医師たちは、自分たちが望むすべてを成し遂げることはできないと知っています。がんを治すことはできません。それでも毎日、がんを患った人々がやって来て、彼らは「治すことはできない」と言わなければならないのです。

そのため彼らは、多くの知識を持ちながらも、それが幸せをもたらさないがゆえに、深く落ち込んでしまうのです。

幸福は勉強とは何の関係もありません。それは即座に、まさに今ここにある。学ぶ必要もなく、自分の外側にある何かを必要とすることもない。あなたは他の誰も必要としません。ただ在ること、それだけでよいのです。

世界は知性によって病んでいます。知性の文化があり、その知性の結果は何でしょうか。福島です。核エネルギーを研究し、原子力発電所を造り、あらゆるものを殺してしまう非常に知的な人々。アメリカを統治し、広島に爆弾を落とす非常に知的な人々。なんと知的なことでしょう。

「共産主義は素晴らしい考えだ」と思い込む非常に知的な人々。そして中国の共産主義という悪夢があります。「資本主義は素晴らしい」と考える非常に知的な人々。そして資本主義によって地球全体が破壊されています。

これらすべては「思考」です非常に知的で、そして非常に危険です。

もう一度言いましょう。だからこそイエスは「単純な心を持つ者は幸いである」と言ったのです。それは愚かであれという意味ではありません。在るということです。在ること、思考を止めること。思考・考える、は地上にドラマと破壊しかもたらさないのです。

沖縄にはアメリカから多くの軍人がいます。なぜ彼らはここにいるのでしょうか。ここにいることは彼らの問題ではありません。彼らは韓国にもいます。アメリカ人は至るところにいます。なぜでしょうか。ワシントンには世界を支配したいと望む非常に知的な人々がいるからです。アメリカ帝国です。

彼らは自分たちの利益のために人々を爆撃しても、何の後悔も感じません。「平和をもたらす」ために至るところで人々を殺す。リビアで「平和をもたらす」ために人々を殺す。彼らはそれが平和と愛をもたらすためだと言いいます。

今度はおそらくイランやシリアを「平和をもたらす」ために攻撃するかもしれません。爆弾を送るでしょう。なんというたくさんの「平和」でしょう。どうもありがとう。しかし私にはこの平和は必要ないです。

もしこの地球を愛しているなら、軍隊に入りたいとは思わないはずです。あらゆる思想は戦争をもたらします。共産主義も資本主義も戦争をもたらします。実際、どのような思想であれ戦争を生み出します。すべての思想、宗教でさえもそうです。イスラム教徒とユダヤ教徒が争っています。愚かです。それは愛ではありません。

しかしキリスト教徒は「私たちは宗教のために戦う」と考えます。いったいどんな宗教が、人を殺すことを人々に押しつけるのでしょうか。イスラム教徒は「アッラーの名のもとに殺さなければならない」と考えます。いったいそれはどんな神なのでしょうか。そしてユダヤの人々は神の名のもとにパレスチナ人を殺しています。すべては神の名のもとに。

観念、知性、それが苦しみを生み出します。彼らは聖書を二十年から四十年も学び、そして「戦争へ行け」と言う。だから学ぶことは人を愚かにしまる。何も学ばないで。ただ愛を感じるのです。

だからこそ学ぶ必要はありません。ただすぐに愛を感じればいいのです。もし地球全体が知的であることをやめたなら、もしかすると私たちには、在るto beことと幸福だけを考える愚かな人々による巨大な世界政府が必要かもしれません。そうすれば世界ははるかに良い場所になるでしょう。

私たちは知的な人々によって病んでいます。観念を持ち、考え、思想や観念の名のもとに人を殺しています。考えるとき、人は愚かになります。

考えないで。ただ感じるのです。在るのです。

誰かの目を覗くとき、私はその目の奥にある人間を感じます。まず自分たちの間で始めるのです。なぜなら、ラエリアンですら時には互いを見て、「あの人は賢いのか、それとも自分の知性を見抜かれているのか」と考えることがあるからです。

他の人々を愛をもって見るのです。その人の知性の有無は気にしないで、その人が幸せかどうかを気にしなさい。目の前にいるこの人間を見て、あなたは幸せですか?その人が賢いかどうかは問題ではありません。温かくあれ、愛であれ、目の前にいる人間を感じるのです。その人が医者であろうと科学者であろうと関係ありません。

愛に満ちた人間、ブッダである人間は、世界で最も優れた科学者よりもはるかに重要です

ヤーウェエロヒムの指導者は、幸福を創造するために地上に生命を創りました。もちろん、私たちは身の回りの環境を管理するために、多少の科学を必要とします。やがて、コンピューターがあらゆること、あらゆる科学的なことを行える段階へと徐々に到達するためです。

エロヒムの惑星には、もはや科学者はいませんすべての仕事、すべての研究、必要なことのすべては、コンピューターによって行われています。そしてエロヒムは学びません自分たちの段階ですべてを知っているのに、なぜ学ぶ必要があるのでしょうか。

病気を治す方法を知ったとき――それは遺伝科学やクローン技術によって、まもなく実現します――自然な方法で病を癒す術を知り、地球を管理して楽園を創り出す方法を知り、やがてお金をなくすことさえできるようになったとき、なぜ学ぶ必要があるでしょうか。

そのとき、人は自然に幸福を感じ始めます。そして私たちは永遠の生命へと到達することができるのです。なぜなら、科学や研究には限界があり、その限界に気づき始めたとき唯一無限であるものが幸福だと発見するからです幸福。意識。感覚。存在。ですから、はい、私たちは知性を愛しています。本当の知性とは、人間が知性と呼んでいるものとは異なるのです。

花を見て水を与える人は、核科学者よりもずっと知性的です。子どもたちが苦しんでいるのを見て食べ物を与える素朴な心は、どんなトップ科学者よりも知性的です。私たちは知性を恐れるべきです。なぜなら、知性、発想、思考が、今この瞬間も地球を破壊しているからです。

これは科学と技術の結果でありそれが超意識なしに利用れているからです。ですから、私たちは「存在」と「超意識」、そして「に立ち返らなければなりませんその上で少しだけ科学を加えます。でも、ほんの少しだけ、過剰には加えません。なぜなら、20~30年のうちに、私たちは必要な知識をすべて発見することになるからです。

エロヒムのように、私たちはそれ以上の知識を必要としなくなるでしょう。20~30年のうちに、コンピューター科学と技術の加速によって、必要なすべての知識を手に入れる段階に到達します。エロヒムがその段階に達したとき、彼らは研究をやめました。自分たちの文明を管理するのに十分な知識があれば、さらに研究や発見を続ける意味はないからです。

もちろん、私たちはまだ非常に原始的なので、科学研究を永遠に続ける必要があると考え、無限の宇宙のあらゆる場所に旅をしなければならないと思っています。しかし実際にはそうではありません。高度な技術の段階に達したとき
―それは非常に近い将来です―私たちは立ち止まり、より重要なことに取り組み始めます
知識ではなく、地上の人々の幸福に向けて。誰もが幸福でない人がいなくなるまで、それに取り組むのです。

その知識の段階に達したとき、人は宇宙を観光旅行のようにあちこちに旅するのではなく、ここで幸福を感じます。幸福はどこか遠くにあるのではなく、この小さな青い惑星、まさにあなたがいる場所にあるのです。そこが幸福のある場所です。

想像してみてください。あなたの手のひらという無限に小さな空間の中に、非常に小さな惑星があり、非常に小さな人間たちが存在しています。ひとりではなく、無限に多く。そして彼らは自分たちのレベルで科学の段階に達し、宇宙を旅し始めます。まずひとつの指を探検し、次の指を探検する…それには多くの旅と多くの科学が必要です。そして別の指を探検していくうちに、彼らは気づきます。「ここは宇宙ではなく、手と体なのだ」と。

もしかすると彼らは手全体を探検し、もしかすると体全体を探検して足まで行くかもしれません。どこも同じなのです。

では、旅の目的とは何でしょうか。探検の目的とは何でしょうか。やがて彼らは気づきます。ここに留まり、手の中心に戻るほうがよい、と。そしてこれ以上探検する必要はないと理解します。私たちにさらなる発見は必要ありません。私たちに必要なのは、自分の段階で今この瞬間に幸福であることだけです。

こうして彼らは科学研究をやめ、宇宙の旅もやめます。そして、ブッダに満ちた美しい人生を送り始めます。エロヒム永遠の生命の惑星では、すべての人がブッダであり、これこそが本当の知識です。想像してみてください、地球に70億のブッダがいる光景を。街を歩いても、どこに行っても、すべての人が幸福で、すべての人に十分な食べ物があり、すべての人が存在している。それこそが天国であり、私たちはそれを実現できます。

そしてこの段階に達するためには、知性や教育、知識を崇拝することをやめなければなりません。それらは少し必要です、ちょうどご飯に入れる塩のように。しかし最も重要なことではありません。最も重要なことは、瞬時にブッダになることです。今は、インスタントスープやインスタント大豆飲料、インスタントコーヒーが流行っていますが、それよりも「インスタント・ブッダ」のほうが素晴らしいのです。そしてこれが私の教えです。今、この瞬間、すぐにブッダになりなさい。勉強してから、私の話を聞き終わってから、などと思わないでください。それは「今」です。

木に登り、頂上で、生命の風を感じながら留まるのです。



これはIで、II は今後出版されます

出版社:無限堂