昨日は、なかなか忘れられない日となりました。



夫と関わりのある会社で、事故により最近亡くなった方がいて、私はお会いしたことがなかったにしろ、何だか気になってしまい、ご冥福をお祈りしながら過ごしていたここ最近。



そんなことがあったすぐに、同じくその会社の方で夫が特に仲良かった方、毎日のように電話したりしていた方が急に亡くなり、息子も心を許す方だったこともありショックですし、信じられなくて動揺が隠せない状態が続いています。



生と死を考えることが多いこのごろ。

新しい命の誕生が間近な身近な方もいたり、こうやって人を亡くすこともあり、、、自分の誕生日や、両親の結婚記念日、父の死、やっとしばらく誰かが亡くなることが少なかった気がしていましたが、急に続いてしまいました。



たまたま同僚から誕生日のギフトをいただいたり、お土産を頂いたりな日で感謝の気持ちとワクワクでエネルギーが上がっていたと思いきや訃報

、、、生きとし生けるものは、本当にいつお迎えが来るかわからないから毎日、一瞬一瞬を大切に生きることが大切と聞きますが、まだ若い方の死を目の当たりにすると特に心に響きます。



わたしが同僚からのお土産を彼女らより先に選ぶことを求められ、躊躇、遠慮してしていたところ、



〇〇(わたし)はいつも自分以外の人を優先してしまうから、自分を優先して良いんだよ?と言われ続けた日でもありました。



母からも数日前に誕生日の手紙が届き、自分を大切にと買いてあったところの文字が強く目に溜まったところでした。



わたしは、そんなに自分を優先しない人なのかなぁと仕事後も夜まで考えていました。



確かに疲れている。

確かに、我慢することも多い日常。

つい、頑張ってしまう。



でも、考えて考えて、出た答えは、、、

自分に甘くしていると、怠惰だという声が聞こえてくるからkeep going、怠けている自分が許せない、辛いと言えない、争い、競争が何より大嫌い。



なぜかやっと休む許可を自分に許可できたと思ったら、たまたまそのタイミングで先生や上司に見つかる、嫌味を言われたり怒られたりしたことがどこかで忘れられなかったり。



そこから導き出したのは、とにかく誰からも何も言われないようにタスクを一心不乱にやり切る。

その後に、自分のことを堂々と晴々した気分でやれる時間が至福であるということ。



洗濯物の、自分の分を思う存分畳みたいように畳んで、オーガナイズして、大好きな空間のクローゼットに近付けたり、、、



最近は少しずつ、自分だけの手帳をオーガナイズしたり、、、



自分のための時間を楽しみに、仕事や家事をできるところまでやる。



でも、理想からは程遠い出来なので自分時間が心置きなく取れないのが現状でもあります。

完璧主義と言われるものなのでしょうか。

全然完璧からは程遠い、理想とかけ離れていてもまわりからみたら自分に厳しいのかもしれません。



このループにハマるとなかなか大変です。



自分の心に正直に生きることを心がけて、行き先を決めたり、何なら今も海外生活中ですが、わたしは私の求める世界に生きていないのか?!と考えましたが、やっぱり戻ってくる自分からの答えは、



自分の時間を最大限に楽しむためにまわりを整えることを、いまはやることが多すぎてうまく循環できていないだけ。



つまり、自分のための時間のために先に物事を片付けて究極の自分時間へダイブしたいがために、時間がかかる。



マイペースなんでしょう。根っからの。



幼い頃からマイペースと大人から言われたことも時々あったし、マイペースの時の方が何だかんだのちにスムーズに物事が進む結果を生み出せる。



自分以外の誰かのためにペースを乱されたりすることが苦痛なのだなと改めて実感しました。



なるべく、小さな輪の中で、好きなことに集中し、それを尊重してくれる人々から対価を頂き生活を潤していけたら最高だと感じます。



だから、自営業とかアートとか、研究とかに携わりたい。きっとその方が生きやすい。



だからコツコツとやってきたこともあるのですがなかなか波に慣れていない気がするのです。



大きな人生のジャンプが近づいてきているような感覚もありつつ、生きている実感を噛みしめながら今日も生かして頂いています。



経験できること。体感できること。

愛を伝えられること、家族を抱きしめられること。



生きている証を今日も感じられる幸せにちゃんと気づいて1日を大切に生きて行こうという目標で過ごしてみます。



身近な生と死の出来事から少し自分のことも見つめ直し直すきっかけとなりました。



では。