本日もロサンゼルスよららお届けしております。



私の両親は、お世話になった方々へのお礼をすごくちゃんとする人たちで、亡き父は母と季節の行事を欠かさず行っていました。



神職についている人なのかなと幼い頃から自分の父のエネルギーを視ていました。



定年後は本格的に自分の地元の神社仏閣を守る活動をしていたりもしていた父だから、わたしは幼い頃からそういった場所に出向くのが好きになったのかもしれません。



幽霊とかを信じるタイプの人ではなかったと思いますが、疑いのない凛とした姿、心で、仏様に拝む時、神社にて神様にご挨拶する時の清らかな姿を尊敬していました。



そんな私が、ロサンゼルスで接客勤務中に、たまたま目があったアメリカ人の男性のリュックに日本の神社の破魔弓が飛び出ていたのでお声をかけると、東京の明治神宮にお参りに行ってからロサンゼルスに帰ったきたばかりで、、、と話し、お守りも買ったんだけど、あなたにあげるためだと何故だか思っていてるのでもらってくださいといって渡されたことがありました。




こんなあり得ないような出来事。

さすがにわたしも、いえいえ、頂けませんと一度はお断りしたのですが、その直後に、何故だかわからないのですが、有り難く頂くべきだ。と感じ、すぐに、いえ、有り難く頂戴いたしますと深々と頭を下げて、お守りを頂戴したことを今でもはっきりと覚えています。



そこには、明治神宮とかかれた袋の中にお守りが入っていました。



その時に、息子がお腹の中にいたのですが、このお守りはこれから生まれてくる息子の出産、そして息子のためのお守りなのがわかっている感覚で、無事に彼を出産し、今でも元気に育ってくれています。



日本🇯🇵に帰れない時に、お守りの方からこのアメリカ人男性の体をお借りし、わたしのところへ届いた奇跡。

しかも全くの他人なのに、お互い不思議な感覚だったのが分かり、この方も信じられないとおっしゃっていました。



幼い頃から、家の仏壇にお線香を焚いてご先祖さまに手を合わせるのが好きで、毎日学校の登下校時に通る神社にただただ感謝の気持ちで手を合わせるのが日課だったので、大変な時に、それでもピンチを何とか通り過ぎる際にこういったお守りや、温かいエネルギーに包まれていたあの幼い頃の感覚がふっと脳裏に浮かび、体の感覚もなつかしいことがあります。



物質社会に生きている今、今日という日を無事に何事もなく過ごせたことが奇跡中の奇跡。



こんなに車や危険なものに囲まれていても事故がなく、こんなに有害な害虫がいても病気にならず、どこの誰がどこで作ったかもわからないのに信頼して食べ物や飲み物を口にでき、視えないけれど空気中に含まれるものは今日も私たちが生きるために必要な空気があった。



膨大な奇跡のの積み重ねが毎瞬起きているときはこうやって生きていられて、この世界で生きるための奇跡が止まる時に人は死を迎え、肉体を維持しなくて良くなるのだろうと思っています。



見返りを求めずに誰かのために祈ったこと、行動したことは、それをした人から戻ってくることより、全然違う人や出来事を通して戻ることの方が多いと思います。



もしかしたら、私がいただいたお守りはいつけ誰かに親切にできたときのご褒美だったのかな、なんて思いながら本当に起きた不思議な話を書きました。



では、みなさま良き週末をお過ごしください。