みなさま、こんにちは。
新生児がいるので夜は数時間まとめて寝るということが難しいので、万年寝不足期間中で、ボーッとしています。
コーヒー必須☕️
いつも半分寝ながら授乳、家事、上の子達のことをやっている感じです。
夫も仕事でかなりお疲れですが、夫婦で協力しながら日々過ごしています。
ある深夜、ふと考えたことがありました。
わたしは、子供達が3歳にせめてなるまではそれぞれの子に対し、じっくりと子供と多くの時間、体をくっつけていようと努めてきました。
実際に子供達全員、母乳をあげているのでかなり濃厚に接触していると思います。
この3歳という歳までは、本人はあまり記憶がないと思うのですが、この歳までの性格が、その子の生まれ持った性格だと思っています。
その後の生活からの体験や記憶から、さらに沢山の人格が形成されると、いつのまにか3歳までの人格とは違うものとなって行くのかもしれません。
本当の自分とかけ離れれば離れるほど、つらくなるのではないかと思うのです。
本人の記憶がない時の3歳までの本当の自分は、育ててくれた家族や、保育士の方たちが知っていることとなります。
彼らにその頃の自分のことを聞くか、母子手帳や連絡帳などから日々の保育園でのことを読むことが自分を知る手掛かりでもあると思います。
かなり幼い頃のことを何か思い出そうとすると、我慢、孤独への恐怖、さみしい、そんな言葉たちが私の心の深く、どこかにあったのですが、その逆の幸せや心地よさ、愛もそこにはあったと感じます。
でも、ネガティブなことばかり思い出してしまい、それは何故なんだろうとも思いました。
自分で、ネガティブな証拠のようなものをその後の人生でどんどん付け加えたのかもしれません。
我が子たちも、いずれ私のように”自分とは”を考える日が来ると思うので、その時のために彼らが幼い今、私の記憶も鮮明な時にどんな子として3歳までの生活をしていたかを綴っておこうと思います。
わたしも何歳まで生きるかわからない、神のみぞ知ることなので、近々いなくならない限りは自分の口から彼らが成長したときに話したいものですが、こればかりは、、、、
後悔がないように、沢山話しておきたいことがあります。
私の父は、言葉より態度で示す人でした。
わたしの夫は、よくしゃべりますが、やっぱり行動で示すことを大切にしている人だなと父と似ている人を選んだのかなと思ったりしています。
なんだかまとまらないですが、今日はここまで。
Juise