お賽銭は誰に払うもの? 5-4 | 日本シャーマン協会 ~南米・北米の薬草セレモニーで心身を癒やす

日本シャーマン協会 ~南米・北米の薬草セレモニーで心身を癒やす

20年程前にブラジルで初めてのアヤワスカを体験、以降、国内外のさまざまなプラント・メディスンのセレモニーに参加、スピリットの存在を知る。20年来学んできた古神道、性錬金術、精神世界や武術、気功などの背景を活かし、シャーマン修行を続けているおじいさんのブログ

結局、お賽銭は神様や神社だけに納めているものではなく、自分自身にも依り代として奉っているのです。神社での祈りは既にセレモニーですから、「奉る」ことができるのであれば、金額はいくらでもよい=お気持ちでいいんですよ、ということになります

 

 

祈りは、別に神社でなくても日々の生活のなかでできますし、生き方とあり方そのものがすでに祈り=意乗りです。自分の意図と意識がなければ、人は動けないのですからクローバー

 

 

しかし、人は目に見えるものを重視し、また目に見えるものがあったほうが意識や意図をしやすいので、現代社会で重宝されているお金を依り代にしやすいのは確かです

 

 

ちなみに、自分の意図や意識がそのまま跳ね返ってくるのは、神社の前の鏡だけではなく、日常においても、死ぬまで自分の前に鏡があると思っていたほうがいいでしょう

 

 

つまり、日常考えていること思っていることは、空気のように目に見えないのですが、それは確実に自分へ発しているモノ、という意識は保っておいたほうがいいとも言えます

 

 

繰り返しますが、普段感じていること、観じていること、思っていること、意図していること、意識していることは、「平等」にそのまま自分に返ってきています

 

 

これが、「神が人を平等につくった」という言葉の一つの意味でもあります

 

 

思うこと、意図すること、考えること、これは裕福な家に生まれなくても、お金がなくても、恋人がいなくても、誰にでもラクラクできる才能です。やはり平等に与えられており、実はこれこそがすべてでもありますピンク薔薇