
ハワイ最後の女王さま・リリウには、
少なくとも4つの名前がありました。
※ハワイアンの名前は、何かのときに追加されたり、
変更されたり、まったく別のものが名づけられたりするそうなので、
この4つ以外にもあるかもしれません。
※何かのとき、というのは、
たとえば、フラの修行を卒業(ウニキ)したときなど。
※ハナイ(養子)に入った家の「パキ」が名前に入っている場合も、あるようです。
最初の誕生のときの名前が、
リディア・リリウ・ロロク・ワラニア・ヴェヴェヒ・カマカエハ
Lydia Lili'u Lolo'lu Walania Wewehi Kamaka'eha
と、とても長い名前。
頭のリディアは、英語名。
※兄のカラカウアにも、デイビット・カラカウアと英語名がついています。
リリウは、「うずくような」
ロロクは、「涙が出る」
ワラニアは、「強烈な痛み」
カマカエハは、「痛む目」
なんだか、痛々しい名前ですが、
ハワイには、「イノア ホーマナオ」inoa ho'omanao
といって、そのときの出来事などをしっかりと記憶しておくために、
(これも文字がなかったからでしょうか)
名前に反映させるということがありました。
リリウの場合も、大おばが流行り目で
目を痛めていたことから、こう名づけられたそうです。
ーーそれでも、ちょっと、なんだかなー、、、(*_*)
余程、おばさんの目が気がかりで、忘れてはいけないと思われていたのでしょうか、ね、、、
私達がハラウに所属していたとき、
この曲の冒頭で、まずはクムが、
「リリウ、ロロク、ワラニア、カマカエハー」
「マーカウカウ」(準備はいいですか?)
と謳いだし、私達の踊りが始まりました。
あのときのクムの声、いまでもはっきりと覚えています。
それから、兄のカラカウアに王位継承を言い渡されたときに、
ロイヤルな、という意味のある「okalani」がつけたされ、
リリウが、リリウオカラニとなりました。
そして、1895年1月、ハワイ王朝の廃位宣言書に、
新しくできたハワイ共和国の指示によってサインしなければならなかったとき、
提示された名前は、「リリウオカラニ・ドミニス」。
リリウの夫が、ジョン・O・ドミニスだったからですが、
リリウは、名乗ったことのない名前に驚いたそう。
さらに、1898年、アメリカとの合併のとき、
リリウオカラニに届いた式典の招待状には、
「ジョン・ドミニス夫人」となっていたそう。。。
リリウが、王族から一般の人になったことを、
思い知らされた宛名だったのではないでしょうか。。。
そういえば、イギリスの元ダイアナ妃が自動車事故で亡くなったとき、
臨時ニュースで「イギリスのダイアナさんが」と伝えられ、
最初はいったい誰?と思ったことを思い出します。
元ダイアナ妃も、離婚を経て、妃から一般の婦人、
ダイアナさんになってしまったのですね…。
リリウからリリウオカラニに、そして最後はドミニス夫人と
名前の変遷からもリリウの人生がいかに波乱万丈だったかがわかります。
カヒコ(古典フラ)のラストでは、
「He inoa no Lili'uokalani」と、誰を讃えたカヒコか述べられます。
「その方のお名前は、リリウオカラニさまです」と、
最後に声をあげるとき、こうした人生に敬意を表し、
心を込めて語りたいと思います。

2008年キングカメハメハ・コンペティション(ハワイ本大会)
では、オアフ島のHalau NaPua Mai KaLaniが、
男女一緒のカヒコで、「Lili'ue」で出場しています。
踊りだけでなく、リリウのオリも聞くことができ
とっても勉強になります。