ちょっと前から水彩画の勉強を始めています。
それも風景画なので構図を取るのが難しく
苦労していますが、それよりも大変なのが
「色出し」です。
木の葉を描くとき絵具の緑をそのまま使うことは
まず100%ありません。
青や黄時には赤や茶を混ぜて「緑」を作ります。
これを混色といいますが、これによって
奥行きの深い味わい深い色が出せるのです。
これからが本題です。
私の経歴についてご存知の方もいらっしゃるし
たとえご存知なくても、他人の苦労話なんて
聞きたくもないことは重々承知していますが
少し「これ」に触れないと話が進まないので
少し我慢しておつきあいください。
第二次世界大戦の敗戦翌年に生まれた私は
周りのみんなも「貧しい」と云う中、決してどこの家にも
負けないほどの極貧の家庭で育ちました。
故に小学4年から新聞配達で家計を助け(たつもり)
一日三度の食事にもありつけなくても我慢して
学校に通っていました。
しかしながら父の死去のあと、間をおかず夜逃げを
せざるをえない状況になり家族5人で西宮に逃げ
電気・水道・ガスのない農機具小屋での生活となりました。
その後幸いにも兄が勤めていた旭硝子の社宅に
入ることができ大阪へ引っ越しました。
このとき私は中学3年になっていましたが
貧しさは相変わらずで昼食はほとんど食べたことがありません。
中学を出たら働きに出ようかと思っていたのですが
幸いにも家族はもちろん周りの方の支えもあって
高校へ進学することができました。
入学式の日のことは一生忘れません。
母は皿洗いの仕事を休んで一緒に学校に来てくれました。
そして教科書などの購入をしてくれました。
式が終わって帰宅途中に母が言いました。
「おなかすいたやろ、なにか食べて帰ろ」
そして梅田の阪神百貨店の大食堂に行きました。
そしてまた母が言いました。
「今日は入学祝いやからおいしいもん食べよか」
そして
「八宝菜でええか」と言い、店員さんに「八宝菜ひとつ」と
注文したのです。店員さんは
「一つでいいんですか、ライスは?」と聞いてきましたが
「はい、結構です」と母は答えました。
母と二人で一皿の八宝菜を食べながら私は
(入学でたくさんお金を使わしてきっとカアチャンの
財布にはお金が残ってへんやろな)と思いながら
食べました。
あれから50年以上経っていますが今なお
「八宝菜」を見たり聞いたりするとあの日を思い出すのです。
この後も周りの人からは決まって
「すごい経験をしていますねえ」と言われることを
してきていますが、長々となってしまったので
今日はこれでやめておきます。
人は誰も体験、経験したことは血となり肉となります。
そしてそれを私は人様に役立てたいと思っているのです。
それが 「人生生き方支援」です。