どうも、別格です。
当たり障りないことしか話せなくなったな、と思うことがあった。
日常会話だって、当たり障りないことを話しているのだけどナニカ違う気がする。
共通の趣味や友人のこと、近況報告などそれなりに会話は続くけど上澄みのような言葉たち。
出逢いたての恋人同士のような初々しい探り合いではなく、お互い踏み込んでほしくないことが嫌と言うほどわかった上での探り合い。
当たって、障って、わかることがあるのにそれができない。それをしない。
家族や友人、恋人同士など大切な人たちとの日常会話って【当たり障りないこと】ではなく【当たり前のこと】を話しているんだな。
ぶつかり稽古のように当たるのが日常。
放った言葉が的に当たると、わかってもらえたと感じられるのかもしれない。
当たり前の会話って愛おしく思ってないとできないんだな。
だから当たり障りない会話はさみしくなるのか。
当たり障りない会話が言葉の上澄みだとしたら、この寂しさは心に残る澱(おり)みたいなものか。
澱みにはまって動けなくなるくらいなら、当たって、障って、傷つくこともあるかもしれないけど、当たり前のことを当たり前に話せるひとたちとの愛おしい時間を少しでも増やしていきたいと思う。
当たっていこう。
大当たりでるかもよ。
ではまた。