事故の記録をしています。

前回からの続きです。



まずは事故の翌日、救急外来へと行きました。

事故当日は気も動転しており、とにかく体をゆっくりと休めたい、何も考えず横になっていたかったので、病院受診は翌日へとずらし、夫に同行してもらいました。


休日、そして1月と言うこともあり、救急外来は人でごった返していました。

咳がひどい人、熱がありそうな人、椅子に座っていられず寝転んでいる人。いつもならそんな空間にいると自分まで病になりそうな気がして嫌になる所ですが、その時は全く何も感じず、もう自分のことでいっぱいいっぱいでした。

病院自体にあまり縁のない私なので、どのように振る舞えば良いのか、多少挙動不審だったかもしれませんが、普段周囲のいろいろが入ってくるタイプの私のセンサーは、完全にオフになっていて、周囲なんていてもいなくても何も関係ない状態でした。

 

待ち時間が長そうなことはわかっていたので、本を何冊か持っていていたのをとにかく集中して読みました。集中だけは保ちたかった。今思えば過緊張だったのかもしれません。スマホしか持っていなかった夫の方が暇さにしびれを切らし、いちど帰ろうかなぁと外に入れたり、また中に入ったり。


帰りたそうだけど、でも私の隣にいてくれようとしているのを感じて。本当にありがたかったです。

究極の心理状態で、冷静を保っているようにみせてはいても、やはり普通ではなく…。

ただそばにいてくれているということが、どんな力になるか。


病院では、何をどう説明するか、言葉での説明に疲れと限界を感じていたため、事故の写真を撮っていたのを見せながら感覚的に理解してもらう努力をしました。


この日は、問診の後に、血液検査やCT、エコー検査をして終わりました。

この日に検査予約を取る予定でしたが、明日改めて病院に行き、そこで検査予約を取るように指示があり、翌日も早朝から同じ病院に行きました。


てんかんと言うキーワードが出たこともあり、受診は脳神経内科でした。

私は過去に精神を病んだことがあり、神経内科や心療内科などの受診経験はありますが、どのような診察や検査になるのか、そして結果を妄想しては、とにかく緊張していました。


自分はてんかんかもしれないと思う日々は、

本当に私を狂わせました。

不思議だけど、いまにも発作が起こりそうな気がしてくるんです…

何か、身体の内側の微細な変化を感じては、発作が起こるんじゃないかと恐れることが増えました。


そして、それにはたと気づいては、

気持ちで病気になっている…

私が病気を作り出してる…

わからないから不安だけど、想像して恐れることはやめよう…

と、言い聞かせる日々でした。


PTSDというのかもしれない、という症状にも

1〜2ヶ月ほど悩まされました。(ここについては、病院では相談しませんでした。私にとっては、病院受診はてんかんか否かを判断してもらうためでしたから。)


車の運転をするのが怖くて、でも仕事には車で行く必要があったため、恐怖と隣り合わせでした。


自分はちゃんとブレーキを踏んで止まる行動をしているのに、そのまま突っ込む映像と衝撃が、記憶とともに戻ってきました。

体って不思議で、あの時と全く同じ衝撃がきて、ちゃんと感じるんです。実際の物理的な衝撃ではないのに、脳は衝撃を感じてる。その疲労は半端なかったです。


現実は違う。

そう言い聞かせながらも、その映像と衝撃を味わうしかなく、自分の内側で起きるその感覚と付き合いました。


大きくパニックになることなく、感じながらもそれを俯瞰して見続けられたのは、今までにしてきた、いろんなワークのおかげさま。

自分の様々な感情と向き合ってきた努力の結晶だったと思います。


【病は気から】

それを、ありありと感じた約1ヶ月でした。


私の母や、職場の上司が、「てんかんってことはないわ。」と言い切ってくれたこと。

身体の痛みとかはなかったんですが、とにかく「精神的にでも何かあればその都度何でも言うように。力になるから」と言ってくれたことに、大きく支えられました。


仕事していた方が、考えなくていいから気がまぎれるだろう。と言ってくれたり。

でもきつかったら遠慮なく休めばいいと。


優しさに何度も泣きました。




脳波の検査は、

何か、スクラブ入りのジェルのようなものを頭皮に塗って、たくさんの電極をつけて、ベットに横になってはじまりました。

とても眩しい光が、チカチカと、いろんな速さで点滅します。目をつぶっているのに、すごい明るさなので、瞼を通して刺激がきました。

点滅の速さがいろいろ変わるのですが、超高速での点滅は、苦しくなって、叫びたくなりました。


何とか最後まで耐えましたが、途中何度か発狂しそうになりました。


てんかんもちの伯母は、この脳波の検査を最後までできなかったそうです。

その気持ち、わかります。。。

てんかんの有無は、脳波の波形で判断するのでしようが、途中退室したくなって、とても内側がザワザワしたので、それが何か脳波に影響しただろうかと、そこを心配することになりました。

検査結果が出るまで、気が気ではなかった。


もう生きてるうちには、したくない検査です。



MRIは、また別日に検査しましたが、

私が以前、約20年前に受けた時には、音が大きくて、それこそ気が狂うんじゃないかと思うほどでしたが、今は変わっていて、耳栓をした上に、しっかりしたヘッドホンをさせてもらえて、音はとても小さく聞こえるだけだったので、あっという間に、快適なうちに終わりました。

拍子抜けするくらいでした。


閉所恐怖症の方は、MRIの機械の狭さや、頭や胸を固定されることで怖い思いをされるかもしれませんね…。


病院では、各分野の専門家の方々に大変お世話になりました。


コロナ以降、医療に対しての様々な想いもあったりして、スッキリしない感覚があったのですが、今回の事故では少しだけ見え方が変わりました。


専門分野を深めた働き方をされていることへの尊敬は、とても大きくなりました。

やはり、専門を一本にしぼって仕事をされていることには、羨ましいというか、自分にはそんなことができる気がしれないというか。自分ができないからこそ尊敬の想いが強くなりました。


それと同時に狭さもたくさん感じました。

切り取ったイチ分野のみで事象を判断して語る姿には、いろんな疑問を感じました。


される質問に対して、素直に私の事実を答えれば精神疾患と認められるんだろうな…と思うようなものもあり、憤りや違和感も感じながらも、面倒ごとはもうこれ以上増やさない方がいいと思って、回答しなかったものもあります。


(たとえば、私がリーディングなどする状況は、まわりとの境界線を曖昧にしたり、一般の人が感じない何かを感じていたりしますが、

そういうものを認める回答をすると、おかしな人で治療対象になるんだろうな…と思うような問診がありました…

こういうのって、現代人が忘れてるだけのように思うんですけどね…昔はあったでしょう、現代人が退化してるだけだと思うのに。

何が普通なんでしょう。時代によって変わる「普通」に、こちらが出し方を考えなくてはいけないなんて、本当に面倒くさい。)



最終的には、てんかんの可能性は極めて低いという結果となりました。

てんかんの初期症状として疑いがある場合に出る、何か特別な波形も全く見られなかったとのことでした。


が、絶対にてんかんではないと証明できるものではないとのことで。(そりゃそうですよね…)

事故時、意識消失していたのか、事故の衝撃による記憶障害なのかは分からないという結果となりました。


そして、そのまんまを診断書に書いてもらうことになりました。



警察の人からの電話で、

この、てんかんではないことの証明はできないという辺りをかなり厳密な、執拗な言葉で突いてこられたのが、個人的には一番感情を揺らされた怒りを覚えた出来事でした。


こちらが素直に、オープンに、真摯に、ありのままに進んでいるのに、それを逆手に取る感じといいますか、ゴールを勝手に設定されている感覚を感じてしまって…

言葉尻を取って小さな所で攻撃する、陰湿さを感じて、何とも腹が立ちました。

(私はこの「陰湿さ」にいつも反応します。大人だけではなく、子どもの陰湿さも怒りが沸騰するポイントです。)


実際に、こればかりは耐えられずに警察官の方に聞きました。

「ゴール地点、すでに決められてます?」と。

「いいえ」とは答えられましたが、先方の感情が揺れたように感じ取りました。イラつかれたとしても、口に出して少し修正してもらえたらとしたら良かったと思いました。

こっちの素直さ従順さをいいことに、わざわざ突き刺しにくるような陰湿さは許せません。


警察の立場的には、論理的に説明できる落とし所をいただきたい。ということだったのは分かっています。


ただ、警察といえども人間だし、

かつ"科学的に"証明できることのみ残していけるわけで。その中で論理的ではない見えない話をする人間は、時間の浪費をさせられているような感覚で、イラついただろうと思います。



とにかく、ワナワナするような、ザワザワするような、泣きたくなるようなことの連続だったので、夫や、保険会社の担当の方には大変お世話になりました。


自分の社会経験のなさを、最初から最後まで、ずっと感じていました…。

ほんとうに、世間知らずだったなーと。


今回のことを報告したある方には、「自分が世間知らずって知れて良かったじゃない!大した怪我もなく、いろんな体験ができてよかったよ。守られたね。世間知らずと知れたからこそ、『おかげさまです、みなさん教えてください、助けてください』って生きていられる方が、知ってるって威張るよりはだいぶいい気がするよー」と言われ、学びながら、おかげさまで生きていこうと強く思いました。



人は優しかったです。

実際にみなさん、ちゃんと助けてくださいました。

ありがたかったです。


この事故で、山ほどの経験をさせていただくことになりました。まだ書いていない経験も。苦笑


そして、自分の強さも弱さも、たくさんたくさん、一気に見せてもらいました。