コントロールを手放す記事を

先日書きました。


友人が、子育ての先輩として

自分もあったよ〜!

大丈夫よ、絶対大丈夫よ〜!!と

コメントしてくれて、

本当に勇気づけられました。



その舞台裏で、

コントロールを手放す出来事がもうひとつ。


違うもののコントロールが外れて

大きな出来事が起こりました。

なぜそうなったのかわからなくて、

理由や原因を探したくなる自分と、

事実だけを見つめて、そこに対応していく必要性とで、自分の何かが破壊されて再生されている気分です。




当たり前なんだけど、

コントロールは手放していいものと

手放してはいけないものがありますね。


すべて両面があるし、

あるからこそ正しく認識して言葉を発する必要があったり、


両面あるからこそ、それぞれの場所でそれぞれに合う対応ができること、それが大切だと痛感しています。両方を知っていれば、両方に対応できるはずですものね。



人とのコミュニケーションでも、

深い部分の核は、自分のユニークなものなので、

そこはあけ渡さない。死守する。


だけれど、一瞬一瞬で変化していく周囲のものたちに合わせられるのなら合わせればいい。


わざわざ軋轢を生むこともないし

わざわざ溝をうめるために、自分をあげたり下げたりすることもない。


ここにこだわる相手は、

本当にほんとうに一生大切にしたい、共に生きていきたい人たちだけでいい。



相手がどのような方か、

相手が何を求めているのか、

相手はどんな場所で生きているのか、

キャッチできるのなら

キャッチできる方が合わせて差し上げて

(自分の核は死守する!)


嘘はつかないけど

円滑に進むチョイス、それが一番いいんじゃないかと。



そんな経験をしています。



通したいものがめちゃくちゃあった私なのに、

そんなこと言えない現実にぶつかりました。


バランス崩していたんでしょうね…

おかげさまでいいバランスになったのかもしれません。



ふと、

自分のことしか考えてなかったのか…と


たまに、今までもふと思い出しては考えていた

私のエゴについて、

ここにきて肚の底から理解が進むという…


体験がないと自分のものにできない人間です…



節分立春を区切りにするとしたら

わたし、2024年までのこの数年間のデトックス、とことんやり切ったなと、本当に今そう思っています。




相手がなにを求めているのか


相手の世界観はどんなものなのか


相手はどんな想いでそれを口にしているのか



分からせてもらえたのだとしたら

苦しみも、痛みも、ありがとうございます、です。

言い聞かせてる。

気力だけで。




バランスをとること



言葉を正しく適切に発すること




いま改めて体験中です。




今はまだ記事にはできないのですが、

全てがよいところに収まった時には

何かしら書いてみるかもしれません。


暦通りにすすんでいる感じが、怖い…

2025はよき年になりますように




にゃんこ達には助けられてばかりです。


彼らのためにも整っていたい。

整うがキーワードなのかなー

数年前も整うを意識していたような…


終わりと始まり

やりきります!