片付けをするには「体力・気力・判断力」が必須で、どれが欠けても片づけられないという話をしました。
そして、残念なことにこれらは、ある年齢を超えるとだんだんと低下してくるもの。
だから、かつて普通に片づけれていた高齢者が片づけられなくなる...というのは、当たり前と言えば当たり前。
「認知機能」が低下して「判断力」が低下してくると年齢に関係なく片づけられなくなるし、
ストレスでうつ病になりかけても「気力」が低下するから片づけられなくなる。
忙しい日々が続いて、疲れがたまっても「体力」が低下するから片付けられなくなる。
そう考えると、どんな人でも片づけられなくなる可能性があるわけです。
あなたも私も誰もかれも「歳をとる」というのは、自然の成り行きだから、年齢と共に片づけられなくなるのは仕方ない
…かと、思いきや、そうならない人もいるのです。
昭和10年生まれの両親を見ると、「MCI(軽度認知症、認知症初期)」の父親の部屋はすごいことになってきているけれど、そうでない母親はきちんと片づけられている。
父親に関しても「書類(紙類)」は、片づけられないけれど、その他のものは相変わらず几帳面に片づけられる。
毎日、身だしなみもきちんとしている。
でも、「名詞(モノの名前)」が出てこないので、話の筋がぼや~っとしている。
母親も「名詞(モノの名前)」が出てこない。けれど、言いたいことは、はっきり順序立てて言う。
私も最近「名詞(モノの名前)」がすぐに出てこない。けれど、言いたいことはまどろっこしくても言う。
父親と母親の会話は、長年連れ添ってきたので、ツーカーで通じる。
私も何とか「父親はこういうことを言いたいんだろうな」と、想像で補って、だいたいのところを理解して聴いている。
孫になると、「おじいちゃんは年寄りだから、仕方ない」と、何が言いたいんだかよくわからなくても、愛情で聞いている。
でも、他人となると、そうはいかない。
父親は変なところにツボがあるようで、笑うところではないところで笑う。
相手にも笑ってもらいたいようだけれど、他人は「怪訝そうな顔」で見ていることが多い。
そこ、別に面白いところじゃないし。
「何が言いたいんですか?」という、相手の表情を父親も読み取れるようで、とたんに「お母さん、変わってくれ」と母親を相手の前に押したり、私がいると「おまえ、変わってくれ」と、私を押し出す。
でも、思うのです。
誰でも歳をとるんだから、若者もこういうおじいちゃんに慣れた方がいいよ...と。
そして、思うのです。
歳をとって当たり前にできたことができなくなっている高齢者が一番困惑していると。
私は医者ではないので、認知症を治すことはできません。
そして、父親を変えることもできないけれど、父親が変わろう、変えようとしていることのサポートはできると思っています。
頭の中の霧をはらしてあげることはできなくても、霧の中でも機嫌よく生きて行くサポートはできると。
そして、父親を見て感じていること。
57歳で会社を退職して、一人、パソコンに向かう仕事を始めた父親。
毎日、毎日、ほぼ一日中、一人でパソコンに向かい、たまにゴルフをする程度の生活を30年続けたら、認知症になってきました。
車をぶつけることが多くなったことで、本人も気づいたよう。
これ、父親が特別なことじゃなくて、誰でもパソコンの画面だけ見つめる毎日だとこうなるんじゃないかしら?
自分も危ないと気づいて、最近、人がいる場所に出向くようにしています。
それでは、今日はこんなところで。
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