すいません。本文前にちょっと。

私のパソコンが壊れてしまいました泣き笑い

新しく買い替えることにしましたが、1か月待ちとなっております。

その間、旦那のパソコンをちょこちょこ借りるので、ブロ活に支障が出ます。

コメントのやり取りが滞りそうです。悲しいごめんなさい。

 

 

 

去年の2月にセロ美さんと行った京都御所です。

やっぱりまあ御所には行っておきますか、というような感じで行きました。

 

「現在の京都御所は、安政二年(一八五五)に造営されたものですが、その形式は寛政二年(一七九〇)に造営された寛政度内裏をほぼ踏襲しています。寛政度内裏では、平安時代以来の伝統儀式があるべき姿で行えるようにするため、その舞台となる主要な御殿が平安宮内裏の古制によって再興されました。」(京都御所HPより)

 

仙洞御所は、

「京都御苑内に位置し、京都御所の東南にある白い築地塀に囲まれた区域が、京都仙洞御所・京都大宮御所です。仙洞とは、俗界から離れた仙人の住む清らかな地を意味し、転じて上皇(皇位を退かれた天皇)の別称とされたもの」

(同上)

 

 

 

 

実際訪れた時は、地味というかあんまり見どころなく書くことがないねえ、とさえ思いましたが、

今ブログを書くにあたり、写真を見返し御所のHPを見たりしていると、じわじわと御所の良さを感じてきました。

ブルーノ・タウトが「泣きたくなるほど美しい」と桂離宮に美を見出したように、というのはおおげさですが、

最近日本建築の美しさが少しわかるようになってきたかも。

御所の美しさ素晴らしさは外観をさっと案内されただけでは十分理解できないでしょう。

建物の中に入って、建具、調度品、障壁画などをじっくり見ることでわかる気がします。

そこには、最高級の素材に一流の職人技、そして日本の伝統・格式の頂点があるからです。

 

HPには解説や写真も多数、VRもあるのでご興味あるかたは御覧ください。

(見る気が失せるぐらい大量にあるので※褒め言葉、私もチラチラ見ただけです)

その解説をカッコ付きで引用しながら、ざざっとですがご紹介します。

 

 

朔平門。

 
 

御所にはたくさん門があります。

これは身分によって入ることができる門が違うからです。

ということは、いろんな身分の人が御所に出入りできたということでもあります。

 

 

御車寄。安政2年(1855)。

「御車寄の使用は高官に限られており、乗り物を直接寄せることができる者はさらに限定されていました。」

 

大瓶束の彫刻や錺り金具に菊の花があしらわれています。

 

 

新御車寄。大正4年(1915)。

「新御車寄とは、大正4年(1915)の大正天皇の即位の礼に際して、馬車による行幸を迎えるために新設された玄関」

 

 

宜秋門。

 

 

 

 

承明門の向こうに見えるのは、紫宸殿。

 

 

 

 

 

紫宸殿。安政2年(1855)。木造檜皮葺平屋。

大きな建物ですが平屋です。錣屋根になっています。

右手に見えるのが、左近の桜です。右近の橘は養生中だったかな。

 

近くには行けないので見えにくいのですが、蔀戸が黒い漆塗の格子でできています。

御簾にしても素材は最高級品で一流の職人さんによって作られていると思われます。

まったく詳しくないのでわかりませんが、

房は絹で縁は西陣織の正絹金襴、なんていうものではないでしょうか。

ちなみに、畳の縁で繧繝縁というのが最も格式が高く、

天皇の他は三宮(皇后・皇太后・太皇太后)、上皇にしか使用が許されていませんでした。

 

 

「紫宸殿には、即位礼に用いられる天皇の特別な御座ぎょざである高御座たかみくら

及び皇后の御座である御帳台みちょうだいが設置されています」

これがまたすごいですよね。

高御座の中の御倚子の座面の畳の縁は繧繝縁です。

四角形の浜床(台みたいなやつ)の側面には格狭間の中に麒麟が描かれていますね。

 

 

清涼殿。安政2年(1855)。木造檜皮葺平屋。

紫宸殿や清涼殿と言えば、源氏物語によく出てきてましたよね。

おー!ここが清涼殿かあ!とちょっと感動。

こちらも大きな建物ですが平屋です。

紫宸殿と同じく、蔀戸は黒漆塗の格子戸。

御簾も美しい。

 

 

これはどこかわかりませんが、大臣宿所と札があります。

その上には六葉猪の目の釘隠し。中央には菊の花。

赤い色は朱漆だと思います。

 

 

 

欅橋。


獏かな。

 

 

 

 

 

 

 

 

庭も美しいのです。

あ、ここからは仙洞御所になるのかな。

南池。

 

 

 

土橋。

 

 

八ツ橋と藤棚。

 

 

洲浜。

洲浜の水際に石が敷き詰められています。

「石は小田原領内の吉浜村(現在の湯河原町)の海岸から,2千俵を運んだとのことです。

この石には一升石という呼び名がありますが,それは小田原藩がこの石と米一升を引き替えた

との伝承があることによるものです。」

 
 
醒花亭。文化5年(1808)。

「付書院の欄間らんまを松皮菱形の枠で斜めに二分し、その片側に配される違棚」がわかりますでしょうか。

 

 

又新亭。

「明治17年(1884)京都御苑の今出川御門内にあった近衛邸から移築された御茶室です。」

 

 

関守石。

 

 

四ツ目垣。

この竹、よく見ると節のところから、ぴっぴっと枝?が出ているんです。

わざと残しているんですね。

おもしろいですね!

 

他にもいろいろ建物もあるのですが紹介しきれませんので、このへんにて。

少しでも伝わったでしょうか。

 

 

蛤御門。

これが、蛤御門の変(禁門の変)があったところか!

 

 

その時の鉄砲の弾傷らしい。

 

 

おまけ。

御所内で見つけた鉄蓋。「宮」の字。