目的地の平安神宮をあとにして、ぶらぶら歩きます。
歩いた順番は少し前後しますが、私が気になった建物をご紹介します。
旧新洞(しんとう)小学校。
Wikipediaによると、1869年(明治2年)に開校、平成25年 3月に閉校。
昭和6年6月に本館鉄筋2階建校舎完成。
3階階段室かな?の付け柱が印象的です。
学校らしいモダニズム建築ですね。
中に入ってよく見てみたいです。
アーチ窓に縦長の窓。2階の窓台も凝っています。
百葉箱の横には日時計があります。
旧銅駝(どうだ)小学校。
番組小学校の校名って由来がそれぞれあって、難しい名前が多いですよね。
「銅駝」(どうだ)も読めないね。
京都市のサイトには
「銅駝」という名前は、古代中国の都には銅の駱駝らくだ 像があり、その都にならって造られ た平安京でも、二条にじょう から中御門なかみかど あたりまでを「銅駝坊どうだぼう 」と称していたことから、明治8年 に府知事により小学校名が「銅駝」と名付けられたことに由来します。
Wikipediaによると、
銅陀小学校は明治2年(1869)上京第三十一番組小学校として設立。
この地に移転してきたのは明治36年(1902)。
1979年(昭和54年)閉校。
ここは元は舎密局があった場所なんですね。
これも京都の歴史の奥深さ、厚みを感じさせます。
ネット情報によると校舎は昭和13年築だそうです。
階段室になるのかな。
3✖12のマス目になった窓がすごくモダンです!
当時の京都市民が番組小学校にかけた思いが伝わるようです。
塀もかっこいいのよ。
出入り口周りは石造り、アールデコ。
アーチ窓の美しいこと。
聖護院のほうにやって来ました。
聖護院と言えば、八ッ橋。
聖護院八ッ橋総本店のHPには、
八ッ橋が誕生したのは、元禄二年(1689年)です。
江戸時代前期、箏の名手であり作曲家でもあった八橋検校は、
「六段の調べ」など数々の名作を生み出し、近世筝曲の開祖と称えられています。歿後、黒谷の金戒光明寺にある常光院(八はしでら)に葬られましたが、墓参に訪れる人は絶えることがありませんでした。
そのため検校没後四年後の元禄二年、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け、
黒谷参道にあたる聖護院の森の茶店にて、販売し始めました。 現在の当社本店の場所にあたります。
今まで知りませんでした。
私は生八ッ橋が好き。
道路の向こう側に見えたのが、「八ッ橋発祥の家」。
家?店じゃなくて?
こちらは次に出てくる、本家西尾さんの熊野店でした。
そのお隣には間口の狭い看板建築。
少し行くと、「本家 八ッ橋 西尾老舗」。
こちらも歴史は古いです。
お隣には立派なお屋敷があり。
西尾八ッ橋別邸だそうです。
そして、本家西尾さんの向かいには先ほどHPを参照させていただいた、
聖護院八ッ橋総本店があります。(写真はなし)
生八ッ橋、お土産に買えばよかった。
あー!かわいいバーバー!
下調べをしていなかったので、あとから調べてみると
京都大学医学部旧生理学教室研究室。
また来よう。
おー、いかにもモダニズム建築っぽいのが見えたと思ったら。
京都大学付属病院旧産科婦人科病棟。
ここも見てみたい。
もう一か所、行きたいところがありました。
京都府立医科大学旧付属図書館。
昭和4年(1929)竣工。設計は十河安雄。
京都モダン建築祭で内部を見られるようです。
大学のHPによると。
京都府立医科大学は1872(明治5)年に設立。
前身の京都療病院の設立は京都における本格的な近代病院の始まりでした。
3連の尖頭アーチ。というか尖頭アーチを多用していますね。
柱と柱の間の出隅みたいなのはいるんだろうか。
手間がかかっていますね。
これがないと平凡かもしれない。
ファサードに複雑な表情が出ますね。
ポーチのタイル。とテラゾーかな。
ポーチの天井。
ちょっと汚れていますが、シーリングメダリオンは細かい文様です。






























