水間鉄道に乗ったなら、行くべきは水間寺。

 

水間寺の創建は、人皇四十五代聖武天皇が四十二才のとき、ご病気にかかられ、なかなかご平癒になられなかったその時、夢のお告げがありました。
「この奈良の都より西南の方角にあたって観世音菩薩がご出現なされる。よってこの観世音の尊像を都にお供をしてご信仰申せ」とのこと。聖武天皇は、勅命をもってこの仏像を探すことを命ぜられました。

その当時、生き仏として庶民より最も信頼されていた行基菩薩にこの大切な仏像を探すことを依頼されました。 行基菩薩は、この仏様を求めて、この奈良の地を発たれ、西南方の地を歩かれ、そうして到達したのがこの水間の地でありました。

聖武天皇は、この仏様を現地にお祀りするようにとの勅命を下し、その命をもって水間に行かれた行基菩薩は、堂宇を建立し、厄除け観音として庶民にも信仰されるように努められました。

以上、水間寺HPより

 

聖武天皇の勅命により行基菩薩が水間寺を創建したのが、

天平16年(744年)という歴史あるお寺です。

行基菩薩が探し出した観音像をお祀りしたことから厄除け観音、

水間観音と呼ばれるようになったんですね。

 

今日は節分。

私も近くのお寺で厄除け護摩焚きをしていただきました。

 

 

 

 

さて、水間鉄道や水間寺について教えてくださったkapichanさんのブログを

リンクします!

東急百貨店のつり革がいいなあ。

 

 

 

水間観音駅から水間寺まで門前町を歩きましたが、立派な家が多くて驚きました。

旅館ぽい建物もありました。

 

水間観音駅前。

 

元旅館かな。

 

 

 

 

サイキ時計店の看板文字がいい感じ。

 

 

 

 

 

ここ!個人宅ですよ。四重入母屋破風。

四方出桁かしらん!

 

 

ちょっと雰囲気いい路地。

 

 

こちらは無住かな?

植栽といい粋です。

 

 

 

梅が咲きかけていました。

 

 

ここも個人宅よ~。出桁造りだわ。

 

 

 

 

 

 

 

扇の換気口!素敵。

 

 

 

水間寺に着きました。

 

 

参拝はあとにして。

 

 

 

 

ここも元旅館かな。

 

 

誰?爆  笑 大黒さんかな。

 

 

 

あれ、ここにも扇の換気口!

 

 

 

ちょっと路地を入ると。

 

 

お手洗い?の窓かな。小さいのに凝ってるなあ。

流水の文様もいいし、角柄になってますよ。

 

 

 

この坂になった路地も素敵でしょう。

 

 

水間寺にもどりまして。

本堂。

 

 

 

三重塔。

きれいなので新しいかと思いきや。

 

 

天保5年(1834年)の再建でした。

 

 

本堂には古そうな絵馬が飾られていて興味深かったのですが

かなり風化していて、ちょっと残念です。

かといって大事にしまい込まれても見られない。

自由に見たいけど保存も大事だし、ジレンマですね。

 

正面ではなく横のほうに気になる絵馬があったので、その一枚だけ撮影しました。

わかりますかね。

どうも忠臣蔵、「仮名手本忠臣蔵」の場面を描いているようです。

 

 

文化遺産オンラインに、「白山神社」の絵馬について書かれていました。

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/278540

 

忠臣蔵図絵馬 文化遺産オンライン

江戸末期/弘化3年(1846)

歌舞伎などで有名な『仮名手本忠臣蔵)』にある有名な赤穂浪士の討入り事件を11段に分けて描いた絵馬である。「勘平腹 切図」や「山崎街道の場図」ほか著名な場面を描き分けた絵 馬は尾花町の禅定神社をはじめ市内でも散見されるが、この ように1枚で表現した絵馬はこの神社にしかない。忠臣蔵が江 戸時代にどれほど人気を博していたのかを知ることのできる

 

こちら↑を見ると、忠臣蔵図絵馬と言うようですね。

「この ように1枚で表現した絵馬はこの神社(白山神社)にしかない」

とありますが、水間寺にありますよー!

白山神社は大阪市にあるようです。見に行こうかな。

 

 

もう一つ、気になったのが宝篋印塔です。

 

 

 

 

こんな浮き彫りがついた宝篋印塔は初めて見ました。

隔夜参りというのがあったんですね。

Wikipedia「隔夜寺」によると

隔夜堂は空也上人が開祖とされ、本堂内に木像が今も安置されている[2][4]長谷寺に隔夜参りした修行僧[注釈 2]たちは、この隔夜堂を宿坊としたといい、大正期までこの風習は続いていた[2][4]山辺の道に沿って長谷寺までの道中、散見される隔夜僧の名が刻まれた名号供養碑や石碑は、この風習の存在したことを裏付けている[2]

 

隔夜寺と長谷寺を一日毎に行き来してお参りしてたんですかね。

この修行僧を隔夜僧と呼ぶそうです。

 

いろいろ勉強させていただきました。

 

以上、水間寺とその界隈でした。