今年は戦後80年。

 

NHKの朝ドラ「あんぱん」も戦時中の話でしたね。

やなせたかしさんも徴兵され、中国に赴き、

軍隊の厳しさ、友人の死や飢えに苦しんだ経験をされました。

 

私は少し前に知ったことですが、「禁演落語」、「国策落語」というものがありました。

 

 

戦争は人々から娯楽、笑いも奪ったんですね。

 

戦争はなくなったわけではなく、

今もなお世界では、戦争が起こっていて、

多くの命が失われているなんて。

 

私は、戦争のことを常に考えているわけではないし、

戦跡に詳しいわけでもないし、

特に平和のために何かしているとかはありません。

でも、少しでも戦争、世界平和について考える、

そんなお役に立てたら。

 

 

加西市にある鶉野飛行場跡に建つ「soraかさい」に行ってきました。(2024年3月)

 

 

 

鶉野⾶⾏場跡は、第⼆次世界⼤戦時、戦局が悪化しはじめた頃、

パイロットを養成するために設置された旧⽇本海軍の練習航空隊の飛行場跡です。

正式名称は「姫路海軍航空隊」

 

昭和18年3月に工事が着⼯され、同年10⽉に、姫路海軍航空隊が開隊されました。

ここでは、九七式艦上攻撃機を使用した実用訓練が行われていました。
また⾶⾏場の南西部には、昭和18年末頃に、

川⻄航空機姫路製作所鶉野⼯場が設けられ、

終戦までに、「紫電」「紫電改」など 500機余りの戦闘機が組み⽴てられ、

この飛行場で試験飛行が行われました。
昭和20年2月、姫路海軍航空隊においても、

神風特別攻撃隊「⽩鷺隊」が編成され、

鶉野飛行場から待機基地である大分県宇佐へ、

さらに出撃基地である鹿児島県串良へ飛び立ち、

沖縄での作戦で63名の尊い命が失われました。

  ※加西市HPより

 

 

滑走路跡なんですが、

ああああ、肝心の当時のコンクリート敷きのところを撮っていないえーん

 

 

 

soraかさいの展示。

「紫電改」実物大模型。

 

 

 

 

 

第二次世界大戦では航空機による戦いが重要視され、各国で次々に新型戦闘機が

開発されました。日本もこの流れを受けて、川西航空機が1942年(昭和17年)12月に

「紫電」を開発しました。当時、川西航空機の西宮の鳴尾本社工場だけでは海軍からの

増産命令に対応できず、姫路製作所を新たに設置し、そこで「紫電」の生産を開始しました。

しかし、姫路には飛行場がなかったため、加西に鶉野工場を建設し、

鶉野飛行場で試験飛行を行いました。

1943年(昭和18年)12月には、「紫電」の改良型である「紫電改」を開発。

鶉野工場では終戦までに「紫電」466機、「紫電改」46機を組み立てました。

(展示解説より)

 

戦闘機のことはまったく知らないので、

紫電改が紫電の改良型だということも知りませんでした。

 

 

銘板。

銘板の横の穴は、尾翼の浮き上がりを防止するために、

直径5センチ程度の鉄パイプを差し、

左右2こずつ合計4この石臼を重石としてぶらさげていました。

それでも浮き上がる場合は、水平尾翼の上に数人が乗ることもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

増槽タンク。

戦場までの燃料を積むためのタンクで、戦闘になれば捨ててしまう消耗品でした。

帰りの燃料はないってことやんね。

 

 

「九七式艦上攻撃機」 実物大模型。

白鷺隊(はくろたい)が乗った特攻機です。

白鷺は姫路城の別名白鷺城に因んだ名前です。

紫電や紫電改は一人乗りでしたが、

この九七式は二人乗りでした。(人形が見えますか)

後方の乗員は確か、ナビ役だったと思います。

九七式艦上攻撃機は

新進気鋭の技師たちが開発に臨んだそうです。

いろんな戦闘機があったんですね。

彗星、天山、赤とんぼという名前の戦闘機もありました。

 

 

垂直尾翼には部隊の番号が記されています。

 

 

資料の展示には、白鷺隊が鹿児島の串良基地に移動した時に書いたという、

28名の最後の言葉、遺文と名前を見ることができます。

それは、特攻出撃時には不要となってしまう落下傘に書かれていました。

内容は、日本のために勇敢に戦う、というものです。

それ以外書いちゃだめだったろうね。

中には

「敵機に体当たりするときは、お父さん、お母さんと叫びながら

飛び込みます」というのもあって。

 

とてもとても、つらいです。

 

 

飛行場跡跡付近には、防空壕跡や爆弾庫跡などの戦争遺跡が残っています。

 

これは巨大防空壕跡(自力発電所跡)。

小山のようにカムフラージュされていました。

古墳のように見えます。

 

 

 

 

 

地下に入ります。

 

 

中では、特攻隊「白鷺隊」の特攻隊員の遺書、手紙を読み上げる映像が上映されています。

(有料500円)

 

他の部屋は見られなかった。悲しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対空機銃座跡。

地下室があるそうです。

えー、入りたいな。

 

これは、対空機銃模型。

 

 

 

 

 

 

 

 

確かに、クランクになっています。

爆風を和らげるためなんですね。

 

 

素掘りの防空壕もあります。

通気性を考慮して、コの字型に掘られているそうです。

 

 

爆弾庫跡。

コンクリートの厚みは1mもあり、他のコンクリート製防空壕の2倍以上の厚みだそうです。

 

 

天井はアーチ状で、奥には換気口が設けられています。

 

 

ん?木?が使われてる?

 

 

姫路海軍航空隊、門柱。(レプリカ)

この道は北条鉄道法華口駅へと続いています。

法華口駅は、航空隊員や川西航空機職員の出入口であり、

軍事物資の搬入口でもありました。

「厳しい訓練に明け暮れる練習生の楽しみは、

日曜日に列車に乗って市街地の北条などに行き、

航空隊が斡旋してくれた下宿で過ごすひとときでした。

下宿先ではごちそうが用意されたり、

寝転んで雑誌を読んだり、家族と面会したりすることができました」

(戦争遺跡めぐりガイドマップより)

 

 

鶉野飛行場周辺は軍の施設だったため、空襲を受けました。

滑走路跡は国からの払い下げを受け、加西市の管理となっています。

今は、滑走路跡で気球のイベントが行われています。

 

 

 


 

富久錦さんで買ったお酒。

加西は山田錦の産地でもありますね!

ほとんど残ってない写真爆  笑

おいしゅうございました。

 

 

なんにもないなんて言ってしまいましたが、

いろいろあります!

自然豊かで素敵なところです。

加西に住む友人は四季折々の写真↓を見せてくれます。