いきなりですが、古墳の話です。
私は今まで古墳にまったく興味がなかったのですが、
先日、大学の先生のガイドで古墳を見に行ってきました。
これが、結構おもしろかったのです。
そして、いつも素敵な写真と熊本の素晴らしさを
伝えてくれる、ブロ友Mさんがこんな↓ブログを書かれていたので、
古墳のお話を書こうという次第です。
場所は大阪の柏原市。河内国分駅周辺です。
河内国ですね。
柏原市は日本で一番古墳が多い市だそうです!
現在確認されているだけでも、1400基あるそうです。![]()
小さいのも入れてね。
古墳に向かう道すがら、古民家チェック。
かなり立派です。
格子の下、腰壁が一枚板です。
これは↑違うけど、場所的に大和棟造りの家もありました。
まずは松岳山古墳へ。
小高い山?にあるので、登って行きます。
(手前は現役学生さん)
途中、先生が、「これ埴輪です」って。
え!!どれ?これ?
(青い丸のところ、細長いやつ)
円筒埴輪っちゅうやつです。
こんなん、言われないと踏んでるよ。
埴輪なので、石ではなく焼き物ということですね。
円筒埴輪ってこんなん。↓
柏原市歴史資料館の展示
こちらは楕円形。なんかかわいい。
同上。
前方後円墳を造っているところ。↓
筒みたいなのを運んだり置いてるでしょ。
ああして古墳の周りに並べていました。
埋もれてたやつもそのひとつです。
墳頂に着くと、でーん!と、石棺が!!![]()
ここは前方後円墳の丸い方。
石棺の後ろに石の板がありますね。
これ、石棺を挟んで向かい合う形で2枚あるんです。
もう一枚。↓
2枚とも小さな丸い穴が開いてるでしょ。
これ、何のための穴かまだわかっていないそうです。
古墳て天皇陵だと中へ入ることはおろか、近づけませんよね。
こういう首長の古墳だと触ることもできます!
古墳て天皇家だけじゃないのね![]()
この松岳山古墳は、4世紀中ごろだそうです。
3世紀後半から4世紀前半は小地域の首長が前方後円墳を造ることが
できたそうです。
4世紀末から5世紀は、世界遺産に登録された古市・中百舌鳥古墳群が
できたころです。
その後、587年の蘇我物部氏の戦争の決着により、
前方後円墳は廃止されました。
次は高井田山古墳へ。
墳丘の麓のほうの斜面に、いくつも横穴が掘られています!
中はこんな感じ。
Mさんのブログで、これと同じものが熊本の山鹿市にあるんですね!!
九州から西日本に伝わり、東日本へも広がったんですね!!
なんと、先生が一緒なので中に入らせていただけました!
入口に落書きのような蓮華文が線刻されています。
仏教との関わりが考えられるそうです。
中はドーム型です。
弾薬庫とか火薬庫にそっくり。
戦時中は軍事利用されたかも。
ノミのあと。
ここは、手斧のあとです。
すごいね!
6世紀のひとが掘った岩だよ!
この中には木棺が3基置かれていて、
奥に1基を入口から見て横にして、あとの2基は縦に並べられていたと
考えられるそうです。
これは九州のやり方だそう!!
この岩の掘り方や木棺の並べ方など、九州からやってきたひとに
教えてもらってたんじゃないかと。
埋葬者も九州のひとだったかも、というお話でした。
えー!Mさんも関西と関わりがあるんですよ、と
書かれていたけど、ほんまや!!
こんな壁画も残っています。
子供の落書きみたいに見えるけど。
これは、高井田山古墳の円墳です。
埋葬者は副葬品から夫婦だと考えられるそうです。
夫婦一緒に埋葬されるのは珍しいんだって。
日本ではなかったそう。
見学に来ていたお仲間たちで、
夫婦で同じ墓に入るのはいやかどうか、
という話になってしまいました![]()
古墳って見てもおもしろくないと思っていましたが、
今回の見学で、そういうことなんや、と
少しわかりました。
副葬品や埋葬の仕方で埋葬者が誰なのか、
どういう権力の移り変わりがあったのか。
憶測ではなく、発掘調査で出てきた遺跡、資料に基づいて
研究していくのが歴史、考古学という学問だと実感しました。
Mさんのおかげで九州と大阪とのつながりを感じることもできました!




















