大阪府は貝塚市にやってきました。

 

今まで、泉大津、岸和田と大阪府の南側の都市の中心地付近を

歩きましたが、ひとも建物も素晴らしかった!

 

泉大津は、ノコギリ屋根の工場や浜街道が趣ありました。

岸和田は、近代建築もあれば看板建築、昭和な商店街あり、

古い町並みもあり、見どころいっぱいでした。

 

今回の貝塚市も、負けず劣らず魅力的で、街から離れがたい思いでした。

そして、たまたま、私としてはうれしい出会いがありました。

それは、後々ご報告いたしますニコニコ

 

貝塚市って、今までずっと、貝塚があったからやと思ってました。滝汗

元々、海塚、という字が使われてきたようで、貝塚が発見されたわけではないようです。

貝塚市海塚、という町名が今もあるのです。

 

 

 

さて、感田神社です。

このあたりは、願泉寺の寺内町で、環濠が作られていたようです。

感田神社の御祭神は、

天照大神、素盞鳴尊、菅原道真。貝塚寺内の産土神(うぶすながみ)。


創建年代は明らかではありませんが、海塚村(かいづかむら、現在の貝塚市海塚)の

牛頭天王社と堀村(同堀)の天神社から祭神を勧請(かんじょう)し、

陶器のほこらを造ったのが始まりだといわれています。

慶安元年(1648年)に本社などが再建され、

境内にあった神宮寺(じんぐうじ)である天台宗寺院「宗福寺」(そうふくじ)の住職が神事にあたるようになりました。

 

当初は「感田瓦明神」と称しましたが、

明和5年(1768年)に大明神の号を授けられ「感田瓦大明神」と公称するようになりました。

(貝塚市HPより)

 

神門

二重門です。

一層目には火灯窓があり、どなかた(道真公?)祀られています。

二層目の窓も格狭間風で、珍しいですね。

二重門て神社では珍しいのでは?

神宮寺があったからかなあ。

 

練塀(江戸時代)

 

これも、瓦再利用の何か。

 

感田神社の始まりが、陶器の祠?

感田瓦明神?

瓦も焼き物ですからね。

図書館で調べろよって笑い泣き

 

手水鉢 古いものが残っています。

萬治三年(1660) ほんと?ポーン

感田瓦大明神だ!

う~ん、わからん。

 

亀さんニコニコ

 

感帯橋 いい石橋ですね~

擬宝珠に蓮華文でしょうか。

 

もうひとつ橋が。

こちらは、貝塚町 消防団 となっています。

 

この橋がかかっている濠が、環濠の唯一の遺構だそうです。

陽石、ありましたよ!爆  笑

 

橋の上から。

この濠は両岸石垣が積まれていますが、石垣の積み方が異なります。

上の写真で見える石垣は、

谷積みという近代の積み方になっていて、

下の写真は、

布積みという方法で積まれており、江戸時代に造られたものと考えられています。

参集殿(さんしゅうでん)の建物の移転にともなって石垣が築かれたと考えられています。

 

この水鉢は、仲買出と彫られているようですが、

下の部分火灯窓などに見られる火炎の形になっていて、素敵です。

 

 

 

これも見たかった!

神馬舎 宝暦8年(1758年)

屋根が少しむくってますね。

菱格子がいい意匠です。

小さいけれど、なかなか素敵な建物です。

 

中には

わかりますか?滝汗

木造の神馬です。

神馬舎と同時期の宝暦8年(1758年)に製作されたそうです。

かわいい照れ、会いに来ましたよ。

 

最後は、南門。

高麗門ですね。

土塀も味わいあります。

 

またまた、ご祭神を載せない神社紹介でした。

ごめんなさい。笑い泣き