母が、昨日午後1時32分他界した・・・
私をここまでにしてくれた母が、私の前から姿を消した・・・永遠に・・
あれは、忘れもしない・・・8年前・・
仕事でドイツにいる私に、突然鳴った弟からの電話は、驚きに満ちた内容だった。
お袋が、マンションのバスルームで倒れているというものだった。
すぐに病院に搬送を指示し電話を切った。すぐにでも、日本に帰りたいと思った。
しかし、すでに、私は、日本から、展示会での商談指導のために、10社以上のクライアントを連れてきてしまっているのだ。彼らを、残して帰ることはできない。
振り返れば、13年前、私は、故郷会津で一人住まいをしてる母を東京に呼び寄せたのだ。
そして、慣れない東京での一人暮らしを強いてしまった・・
会津で亡き父の菩提を弔い続けていたかっただろうに・・・
だから、もっと私が、支えになってやるべきだったのだ。
人と交流がない寂しさや孤独感からか、気づいた時は、もう認知症が進んでいた。
しかし、私は、忙しさを理由に、その症状を見逃してしまった。
私は、それが、今でも後悔してもしきれないのだ。
薬局の長女として生まれた母は、父と二人三脚で商売の道を歩んできた。
人当たりのいい、商売向きの母だとずっと思っていた。
人間好きだと思っていた。
だけど、本来の母は、シャイで、もの静かで一人でいるのが好きだったのだ・・
それなのに、倒れてからは、もうマンションでの独り住まいは危険だと、自分に言い聞かせ施設に入れることを私は選んだ。
本来は、一緒に住んであげるのが一番いいと思いながら。
心が痛んだ・・
でも、その心を察してか、母はいつも、こういうのだ。
「私は、こんなところに住まわせてもらって幸せだよ。みんなと楽しくやれてるから」
私が、一緒に住めない事情を察しているかのように。
でも、それは、明らかに私を気遣った嘘なのだ。
施設の人から、聞いて私は、知っているのだ。
いつも、一人で部屋にこもっていることを。
そして、こう言うのだ。
「私は、自分に起こること、すべてを愛し受け入れるの。だから、おまえは、おまえ
で、おまえの人生を、一生懸命生きていくんだよ。私は、十分幸せよ。幸せすぎるくらいだよ・・だから大丈夫だから・・・」
「今を幸せに感じて一生懸命、ポジティブに生きる・・」
それを教えてくれたのは、母だ・・・
母は、入院中ずっと「私の人生は、最高に幸せだった・・・今も幸せ ほんとにありがとう」って言い続けた
そして最後の時が近づき、意識がなくなった母のほほをさわりながら、何度も何度もこう言った・・
「お袋・・・俺だ・・・お袋の息子の祐だ・・・わがっか!」
母は、目を見開き、こういってくれた
「わがる・・・・ゆうぼ・・・」って・・・
俺にできたのは、最後の瞬間に一緒にいれたことだけ・・・
今日だけは、泣いてもいいですか・・・
