こちらの感想文??ですう(*ˊૢᵕˋૢ*)
受け入れたかどうかの部分、ほんとに、そうそう!となりました^^
と言いながら、以下発症直後から現在までの心境は、ほぼぐちです( ´艸`)笑
「1型糖尿病だってなんでもできる」
「1型糖尿病は近眼と同じよ^^ 近視をメガネやコンタクトで矯正するのと同じ、インスリンうてば今までどおりに生活できるから全然大丈夫!」
私が最初に入院した病院の看護師さんに言われた言葉です。とってもよくしてくださって、とっても大好きな看護師さん。
私は自分が好きな人の言葉はとても真剣に受け止める傾向があるので、この通りにしよう、なるべき、と強く思ってしまいました。
なので、180を超えてしまう自分や低血糖で動けなくなってしまう自分、おふろ入りたいと思ったりこの電車に乗りたくて走りたいと思った時に低血糖になりそうで自由にできない自分、甘いものなんて食べたくないのに補食しなくちゃいけない自分にもやもやいらいらし、これじゃ全然今までと同じ生活じゃないじゃない、もっとうまくいくようなるはず、出来るようになるはずと「今までと同じ生活」を求めすぎてた自分と実際の状況とのギャップに折り合いをつけられず、こんなはずじゃないと繰り返しくりかえし思い続けてました。くるしくてつらかったな~。
そしてうまくいかないと、かんたんに今までと同じ生活が出来るとか言わないでよ、そんな簡単じゃないのよ、コンタクトなんて年に1回度数が変わるかどうかくらいしか調整しないじゃない、全然違うわよ、結局他人事ね。なんてうらぶれてました。
2年くらいたった頃、発症前と全く同じ生活は私にはこれからも再現できないんだろうなと(特になにかあったとかではなくなんとなくふと)、「今までと同じ生活」じゃなくて「今までと同じような生活」が落としどころなんだろうなと自分で思えた頃(めんどくさくなった頃、あきらめた頃、血糖値見つめるのあきた頃)、ようやくやっとこもうだいたいでいいやと思いました。
とはいえ、良コントロールを見かけるとやっぱりもう少し頑張ってみようかしら!と思ったり今なおゆれる乙女心です。?
先日、この言葉は医療者が患者をなぐさめるために無責任に言っていた綺麗事な言葉ではなく、むかし1型糖尿病患者は長生きできない、就職、結婚出産も極めてむずかしいと言われていた頃?、患者側からそうじゃない!1型糖尿病でもインスリンをうってちゃんとコントロールしていればちゃんと生活できるし就職も結婚も出産もできるし、スポーツもなんでもできるんだ!という意思や決意のもと発生した言葉というのを目にして、はっとしました。
きっと先人のみなさんが、同じようにできるということを周りにその努力を示し続けて、それが伝わったからこそ今でも色んなところでこの言葉が使われているんでしょうね。
それが今では、1型でもほぼ同じ寿命でリリー賞は前ほど珍しいものではなく、結婚だってできるし、血糖コントロールをきちんとすれば出産もできる、普通でもむずかしいプロスポーツの世界にも1型糖尿病の選手はいるし、お医者さんだって弁護士さんにだってなれる。
健康番組でもいわゆる糖尿病は二型糖尿病として分けて放送されたりするし、ちょっと見ただけではボールペンか万年筆にみえるインスリンペン、リモコンでボーラスうてるインスリンポンプや、耳たぶで血を取らなくてもかざすだけで血糖値が見れる時代。
それらが当たり前な時に発症した贅沢な私には、その言葉は重荷であり、もやもやする言葉でした。
背景が違うと捉え方がこんなに違うものなんですね。何十年か前に発症した方には希望の言葉だったなんて思いもしませんでした。
長すぎるので続く(ぐちが)