「23時 目黒区 マンション宅」

 

中学1年の息子・俊太が「エッチな動画」を見ていたことを不安に感じた典子は夫・貴士に相談をもちかけるが、貴士には全く響かない。それどころかニュースが報じている「バスジャック」の方が気になる様子で・・。

 

 

厳しい語り口で知られる女性キャスターが、手元に届けられたメモに目を落とし、情報を確認して語り始めた。

 

「今から1時間ほど前に、ツイッターのアカウントを取得。フォロワーが77万人を超えた際にすべてを語ると声明を出している19歳の少年と見られるバスジャック犯ですが、つい先ほど新たにツイートを発信しています。原文のまま読み上げます。

 『主張!現在、我がアカウントの

フォロワーが7万人となった!

全てを語るのは77万人を

突破した際ではあるが、

ここに情報の一部を開示する。

自分が求めるものは、我が無実!

身の潔白の証明である。

人質に危害を加えることは、

その範囲ではない。

己失って生きるより!

死すとも魂残してみせん!シャイス!』」

キャスターはアニメのセリフのようなそのツイートを、アニメのような抑揚は付けずに淡々と読み上げた。その後、高齢者に向けてなのか「ツイッター」の仕組みについて、解説者と共に説明を始めたが、貴士はとにかくキャスターの「シャイス」という言葉の言い方がツボだったらしい。笑いながら「シャイスって何?面白れぇ。なんかの呪文?ねぇ?」と典子に繰り返し聞くが、典子にも分かるわけがない。「さぁ」とだけ返してキッチンへと立ちあがった。

 

―もう、私も飲んじゃおう。

 

これ以上の相談をあきらめた典子は、何かつまみになりそうなモノはないかと冷蔵庫の中を探すことにした。それでも、やっぱり心配の種が頭の中で芽を出してくる。

 

―俊太、まだ中学1年生なのに・・・

あんなエッチなものを見て本当に

大丈夫かなぁ。

 

 心配事を肴に飲むビールは美味しくない。やっぱり飲むのを辞めようかなと思い直した矢先、美味しそうにビールを飲んでいた貴士がまた大きな声をかけてきた。

 

「典ちゃん!ちょっと!早く来て!

これ超面白いんですけど!」

 

 言われてリビングへ戻り、貴士が笑いながら指さしているテレビに目を向ける。キャスターがバスジャックについて報じていたのは同じだったが、さっきとは違って今度は有名タレントのフリップ写真を手にしながらニュースを伝えていた。

 

 「なお乗客32名の中には、タレントで俳優の小泉優さんもいる模様です。タレントで俳優の小泉優さん、北海道アサヒテレビのスタッフとともにバス車内にいるという情報が入ってきました」

 

小泉優。3年くらい前から急にドラマやバラエティ、CMで見るようになったタレントだ。芸能界にあまり詳しい方ではない典子も知っている。たしか高速バスを乗り継いで旅をする番組でよく見る気がする。もしかしたら今回も、そのロケのために乗ったバスでジャックに遭遇したのかのかもしれない。

 

―でも、どうして小泉優がこのバスに

乗ってるって分かったんだろう?

 

典子の疑問にキャスターがタイミングよく答える。

 

「こちらのフリップをご覧ください。

こちらはタレントで俳優の小泉優さんが

先ほど、ご自身のツイッターアカウントで

つぶやき、つまり言葉を発信されました。

小泉優さんの原文まま読み上げます。

 『僕は今、バスジャックされたバスの車内に

います。ジャックした彼の許可を得て

ツイートしています。

彼は30センチほどのナイフを

2本所持しています。

爆弾も持っていると言っています。

しかし彼は我々人質に危害は加えない。

とも繰り返し言っています。

僕達は無事です。また報告します。

シャイス!』

 

 再び登場した「シャイス」に爆笑している貴士とは対照的に、読み上げたキャスターは真顔で「シャイスとはなんでしょう?」と解説者に尋ねている。質問を振られた解説者は70歳くらいだろうか、白髪頭をゆっくり左右に振りながら「分かりませんねぇ」とうなるようにつぶやいたあと、「ただ小泉さんのツイートの場合は、犯人から強要されて付け加えただけではないでしょうか?」とつけくわえた。

 

―シャイス。なんだろう?

 

 典子にも当然見当がつかないでいると後ろから声がした。

「シャイスっさあ、俺聞いたことあるよ?」

見ると俊太がグラスを手に立っていた。

「あ、俊ちゃん。宿題終わったの?」

 典子が聞くと俊太はうなずきながら、グラスを口に運んだ。

「おう!俊太!飲むか!?」

 貴士がビールを掲げて誘ってみせるので、典子はとりあえず頭をはたいて止めた。そして俊太に聞き返す。

「俊ちゃん、シャイスって知ってるの?」

「なんかの声優のネット番組の

口癖みたいなやつであるよ?」

「そうなの?」

「うん。俺、あんまり興味ないからあんまり聞いてないけど、多分それと思う。クラスにすごい聞いてる奴がいて、時々ふざけて『シャイス!』って言ってるときあるよ?」

「そうなんだ」

「シャイスがどうかしたの?」

「バスジャックした犯人がツイッターで

呟いた言葉の中に『シャイス』って

いうのもあったんだって」

「ふーん。」

 そこまで話すと、俊太は部屋に戻ろうとした。が、貴士がデリカシー崩壊の言葉で引き留める。

「お前が興味あるのはエロ動画だもんな。

ウッアッハッハッ!」

「バカ!」

典子は慌てて貴士の頭を強くはたいた。貴士は痛がることもなく「エロ動画でシャイス」と言ってみたりして笑い続けている。

そして俊太は・・

「今ごめん」

弱い声で呟いた。何と返してあげたらいいか分からずに、典子は黙ってしまう。俊太が「もう見ないね」と言葉を続けたがやっぱり返す言葉が思いつかない。すると1人だけ悩んだ雰囲気ゼロの貴士が大きな声で空気を変えた。

「アホ!見ていいんだって。絶対。

問題ない問題ない。絶対。

エロ動画シャイス!

ウッアッハッハッ」

また、自分の言葉に大笑いしながら貴士は立ちあがり、缶ビールを俊太に向けた。

「ホイ!お前の男気にトリカン!」

さすがにバツが悪いのか、俊太はグラスを重ねない。代わりに「バカじぇねえの」と小さな声で言い返した。それにも貴士は「いいね!男は生意気くらいがちょうどいい」と笑顔だ。勝手に俊太のグラスにビールかんをコツンとぶつけて肩を強くポン!と叩いた。

 

「いいんだって。お前も中1だろ?

エロイこと考えるのが普通だって。絶対。

逆に考えてない方が俺も親として怖ぇえわ。てか俺なんか5年生の時から

見てたんですけど。ウッアッハッハッ!

林に入って、ビショビショのエロ本とか

見つけて持って帰ってたんですけど

ウッアッハッハッ。」

 

貴士は、誰も求めていない自らの話を喋り倒す。どこか俊太が気の毒なり、典子が「ショウちゃん、部屋に戻ったら?」と助け舟を出してあげたが貴士はその船を強引に引き止める。

 

「で、俊太お前、どんなエロいページ

見てんの?怒らないから言ってみ?

男の約束で誰にも言わないから言ってみ?

て、母ちゃんも聞いてるんですけど

ウッアッハッハッ!」

 

貴士の笑いは止まらない。むしろ更に大きくなっているその声に、俊太は少し安心したのか恥ずかしそうにしながらも、ようやく小さな笑みを浮かべた。そして貴士がもう一度乾杯を求める。

 

「ホイ!お前の男らしさに乾杯!ホイ!」

 

今度は俊太もなんとなくグラスを合わせた。貴士は機嫌を更に良くして「♪お前が二十歳になったら~酒場で2人、飲みたいものだ」と歌い始めた。

 

―乾杯なのかなぁ。

やっぱり違う気がするなぁ。

 

と典子は思ったが何も言わずに缶ビールと炭酸水のグラスが重なる音を聞いていた。黙っている母親の前で父子の会話が続く。

 

「でさ。俊太、1個だけ教えてくれよ」

「・・・何を?」

「お前、なんてページ見てんの?

面白そうだったら俺も見たいんですけど。

ウッハッハッハッ。

あーいいや、言うの恥ずかしかったら

これに打って?

母ちゃんには見せないで秘密にしとくから。

男と男の約束。」

「・・・」

貴士が笑いながら、自分のガラケーを強引に渡している。受け取らされた俊太は、困り顔だ。が、意を決したのか突然、ガラケーのボタンを押し始めた。そして、文字を入力したらしい画面を貴士に見せた後は、部屋へと戻っていった。と同時に貴士が叫ぶ。

「ウッソマジで!?マジかぁ!

超笑えるんですけどウッアッハッハッ!」

今日一番の大声だ。

「何!?何なの?」

ちょっと迷惑そうに典子が言うと、貴士は「男と男の約束」を颯爽と反故にして、俊太がガラケーに打った文字を見せようと差し出した。典子は「男と男の約束なんでしょう?見ないよ?」と顔をそむけたが貴士は気にしない。「男と男の約束ってのは、ちん毛が生えた者同士で成立すんだよ。あいつまだだろ?だから破っていいんだよ。ウッハッハッハッ」と勝手すぎる理屈を並べて笑いながらガラケーを典子に渡した。仕方なく典子が見た画面。そこにあった俊太の打った文字は・・

 

『魅惑の緊縛ワールド』

 

「俺と一緒じゃん!ウッアッハッハッ!!

てか俺、中1の時、SMまでは興味が

伸びてなかったよ!

あいつ、俺よりオトナなんですけど!

ウッアッハッハッ!乾杯!」

 

貴士が今日一番の声で高笑いを続ける。

 

「いや―参った!ウッアッハッハ!

ホイ乾杯!父を超えた息子に乾杯!」

 

上機嫌な貴士を見れば見るほど、典子の気分は逆に下降する。

 

―どうしてこの人はここまでのん気なんだ。

やっぱり脳に「悩み」を置くスペースがない。

 

「俊太。中1でSMシェイス!

ウッアッハッハッ!」

 

―悩みすぎてる私の脳みそが

かわいそうな気がする。

 

貴士は爆笑しながら典子に乾杯を重ねてくる。気づけば、典子の手元のビールは軽い。もう少しで空になりそうだ。

 

―今日は飲む!

 

典子は決意して冷蔵庫に向かった。

 

―次は500ミリリットルの缶を

開けてやる!