22時―。文京区東京ドーム。
今日は、友香は目当ての抑え投手・下山―ショウちゃん―の登板がないままゲームセットを迎えた。ショウちゃんとの関係を誰にも言えない友香はただ1人、試合を終えたスタジアムでぼんやりとシートに座っている。
◇
下山投手には付き合って長い「立派な彼女」がいる。友香にとって、こっちは試合の応援とはわけが違って大変だった。いろんなことを1人でいろいろ考えて、乗り越えても乗り越えてもまた次の壁にぶつかるからだ。「ショウちゃん」からは
「トモと先に出会ってたら絶対トモと
付き合ってた。同じ関西出身やし、
落ち着くし。それは事実。」
と言われはするが「ショウちゃんに彼女がいる」というのが現状だ。相手は、5歳年上のテレビ局のアナウンサー。付き合って5年になる。プロ野球選手にはよくあるパターンだ。その状況について友香はいつも「出会った人がたまたまアナウンサーだっただけ」って言い訳をもらう。それに対しては「どうでもいいのに。だって最初からアナウンサーの人と付き合ってるって知ってて今の関係になったんだからそこに文句は言わない」と思うようにしているが、やっぱりネットで「2人の関係」を書いた情報を見ると楽しくない気分になることはやっぱりあった。「下山投手と女子アナ」については、良く書いた記事も悪く書いた記事もたくさんある。良く書いた記事は友香にはもちろん楽しくない。そして、悪く書いた記事はというと、最初は楽しく読んでいた。だが、今ではそっちも楽しくないと感じている。その原因については、友香自身理解していた。
それは、嫉妬でしかない。
悪く書いた文章でもそれは、ショウちゃんと彼女の関係が世の中に認知されているからこそ生まれる。逆に、当然だが「ショウちゃんと友香」のことはどこにも書かれてない。2人しか知らない、誰にも知られてはいけない関係だから仕方がない。だが、誰にも知られてないという事実に、友香は時折「てことはもしかしたら私の恋愛は世の中に存在してないってことなのかもしれない・・」と難しく考えすぎることまであった。「ショウちゃんとあの人の情報」をネットで見ると、落ち着かないから見なければいいのに…と思いながらつい検索しちゃう自分がいた。そうじゃなくてもテレビやネットで、ショウちゃんとあの人のことは不意に出てくる。ショウちゃんとの恋愛を通して友香は、
有名人との恋愛特有の大変さを体感していた。
一般の人相手の恋愛なら「会いたくない、声も聞きたくない」と縁を切ったらそれで終わりだが、有名人が相手だとテレビやネットやコンビニに並んでる雑誌の表紙、電車とかバスで隣に座った人の会話に勝手に引き合わされる。突然、知らなかった情報を目の前に突き付けられる時ほど苦しいことはなく…だから、突然引き合わされる前に自分自身で少しでも知っとこうと思って「下山翔太 村山睦佳」って検索するようになったのかもしれない。
◇
スタジアムでは清掃スタッフが客席のゴミを拾い始めていた。友香は「仕事の邪魔になるだろうから、そろそろ席を立たなくちゃ」とは思ったが、コップのビールはまだ半分くらい残っていた。「どうしようかな…」と思いつつ、念のためにラインを確認してみたが「ショウちゃん」からは、やっぱりまだ何のメッセージも届いていなかった。それどころか、試合前17時くらいに「今日も頑張ってね」って送ったラインもまだ既読になっていなかった。今日はショウちゃんが以前に「このキャラおもろいやろ?」と、友香に教えた「ブンキョウリュウ」っていう変な恐竜のキャラクターのスタンプを見つけたから、それもつけて送ったが…まだそれも見ていないようだ。オレンジ色の恐竜が「相手を喰っちまおうぜ!」ってセリフを炎のように口から吐き出しているスタンプを、友香はを応援のつもりで送っていたが、試合前には見てもらえていなかった。仕方なく
―まあショウちゃん、今日のゲームには
出なかったしまぁいいか。
と思いなおすことにする。大体、「ショウちゃん」はスマホを車に忘れたまま球場に入ることが少なくないことを友香は知っていた。多分今日もそうだっんだろうと自分自身に言い聞かせながら友香は「ブンキョウリュウ」のスタンプの中にに、今送るのにちょうどいいセリフのデザインはないかと探しながら席を立った。そして「待ち伏せしちゃうぜ!」っていうスタンプを見つけた時は、即座に「これいいかも」と思ったが、もしかしたら迷惑がられるかも…
と思い直してそのスタンプの送信を見送った。そして代わりに…いつも通りのメッセージを送る。
―お疲れ様。いつものファミレスに
入ってます。どこに行ったらいいか
言ってね。
その後、友香はスマホの着信を気にしながらスタジアム出口へと歩き始めた。歩きがら飲んじゃうことにしたビールは、ファミレスまでの徒歩10分の道のりの間に飲み終えるはずだ。
東京ドームを背にして神保町・皇居方面へとまっすぐ続く白山通り沿いには、チェーン店系の居酒屋やファミレスや飲食店が並ぶ。そのうちの2階に店舗を構えているファミレスが友香の行き付けだ。ショウちゃんが先発だった頃は、月に2回くらいしか来ていなかったが、抑え投手になった今年は来る回数も増えていた。店員も何となく彼女の顔を覚えたのか6月くらいからは「喫煙ですか?禁煙ですか?」と聞くこともなく喫煙席に通してくれるようになっていた。友香の個人的指定席は店内の一番奥。白山通りを行き交う車が見下ろせるように並ぶ6つのカウンター席の1席に今日も腰掛ける。ここでショウちゃんからのラインをぼんやりと待つのがいつものパターンだ。「友香の家集合」になるか、白山通りをずっとまっすぐ行った神保町での「待ち合わせ」かのどちらかだが、その決定権は友香にはない。いつもショウちゃんの判断で決まる。ちなみに「ショウちゃんの家」というパターンはない。彼女と住んでるらしいから当たり前の話だ。
友香の家か?神保町にあるタワーマンションの裏通り、外套も暗くて人気のない場所で拾ってもらうか?「今日はどっちかなー」と予想をしながらとりあえず「時間つぶしの品」を注文する。メニューはもう見ないでも全部頭に入っているし、この後ショウちゃんとご飯を食べるかもしれないことを考慮して「深煎りのコーヒー」だけを頼んでタバコを口にするのもいつものこと。このファミレスで吸うタバコについては、友香には自分だけのジンクスになっていることがある。タバコが2本目に入るくらいでショウちゃんからのラインが来る日は2人でご飯に行く。3本目に入るくらいで・・の日は友香の家に集合になる。「今日はどっちかなあ」と思いながら1本目を片手に、アプリのスロットゲームで時間を潰すことにする。友達5人とグループ組んでるアプリのスロットゲームで友香のコイン保有数は今、6人の中で1番だ。
何も頭を使わないでただアプリのスロットを回しながら友香は、ショウちゃんがある土曜の朝にボソッと口にした言葉を思いだした。
「こういう世界に生きてるから
俺の周りでは色々、色々ある。
だから色々、色々迷うけど…
金曜は少しだけ楽。
トモのおかげで安心する。
どこにも漏れない「弱さを出せる場所」を
見つけた奴は結果的に強いと思う。
正直、俺も助かってる」
友香の家で「朝ごはん」を食べながらボソッとこぼした言葉だ。その思い出した言葉をきっかけに、スロットには頭を使わないままショウちゃんとのことが頭の中を回り出す。ショウちゃんは「弱さを出せる場所」って言ってくれたけど、友香は「ショウちゃんの弱さ」を見たことがない気がする。
そもそも、友香自身自分の性格については「彼氏が安心するようなタイプの女性」じゃないと思ってる。高校時代、事務所にスカウトされてグラビアモデルをやっいてた時だって「顔が固い」「感情が伝わってこない」「見てる人がホッとできるような笑顔を意識しろよ」って注意されてばっかりだった。「そんな自分のどこに安心してくれるんだろう」という疑問はいつもどこかにある。そしてエッチだって別に上手くないと思っているし、金曜日に会った時も毎回するわけじゃないから「ショウちゃんだってそう思ってるかもしれない…」とは気にしている。それなのにショウちゃんは「弱音を吐ける場所」って思ってくれているのなら、分からないなりに金曜日だけはそういう存在でいようと思っているのが現状だ。
―金曜日の夜だけはショウちゃんの時間は
私との時間だから。
―金曜の夜、あの人は多分仕事してるから。
多分っていうか絶対。
スマホゲームのスロットを回しながら「ショウちゃん」のことを考えていたのに、だんだんとその「横の人」までが登場し始めた。
毎週土曜日、「あの人」は早朝から生放送で情報番組に出ている。だから夜中からテレビ局に入っているはずで、そのおかげで「ショウちゃんと2人で会えている」というのが友香の憶測だ。
◇
タバコが2本目に入った。でもショウちゃんからのラインはまだ来ない。「てことは、今日は家集合か。今から電車に乗るのはちょっとめんどくさいな・・・」と友香が考えていると、手元のスマホがピコン!と鳴った。
―あ。「7」が揃った。
アプリのスロットでスリーセブンが並んだ。大当たりだ。すぐにコインがどんどん出てくる。「やった」と思うと同時に、大当たりの情報はグループ組んでる友達に一斉に流れて、ほどなくみんなからお祝いのメッセージが入ってくる。ゲームを続けながら、友香はすぐに入ってくるメッセージにひとつひとつ返事する。
「トモすごい!また大当たりじゃん!
かわいい子は勝負運も強いんだね!
悔しいっ!」
「やった♪なんかついてるみたい♪」
「どうしてそんなに当たるの!
美人だしゲーム強いしウラヤマシス!
コツ教えて!」
「コツとかないよぉw」
「私、まだ撮影の仕事中・・・。
トモに負けたくないから、
仕事終わったら絶対に追いつくから!」
「仕事頑張って!応援してるよー」
グループの友達はみんな、合コンも女子会もよく行く一緒にやってるメンバーだ。グラビアを辞めて普通に派遣やっている友香以外は、まだグラビアで活動できてる子や、金持ちの人なんかと結婚しちゃった子ばっかり。
友香と比べて、みんないい所に住んでる。グラビアの子もそんなに売れてはいないが「毎月20万だしてくれてる人がいる」と言って、青山のきれいなマンションに住んでいる。自分で全部のお金を出して、1人暮らしをしているのは友香だけ。京王井の頭線・西永福駅近くにある家賃8万7000円の1K。。でも築が古いからちょっと広い。
友香自身、どこかみんなから見下されているのは分かっていた。「本当には私のことを、かわいいとかうらやましいとか思ってない。」と確信している。みんなには、私のことをそうやってほめる「余裕」があるだけだと思っているし、それは間違いない。友香はもう一般の派遣だから、高い服もバッグも買わないし必要ないしそもそも買えない。みんなの競争相手じゃないからこそ「ともちゃんかわいい」って言われるだけ。だから時々「もう会わないでもいいかな」って思う時もあるが、中学を卒業してすぐに滋賀から出て来た友香には、業界やってる彼女達以外の友達はあんまりいない。だから完全に会わなくなることは不安。それに、みんなといると普通だったら行けない店にも連れてってもらえるし、普通は飲めないお酒も飲めるし、その結果普通じゃない華やかな気持ちにもなれるという事実も捨て難かった。それは多分、地元にいた頃に友香が憧れていた東京の景色。20代が終わった今、正直言うと、そういう場所にあんまり興味もなくなって来てる部分もあるが、そこに行かなくなったら友香にとっての東京は「西永福の1Kの部屋と会社だけ」になってしまう。
時々「みんなにショウちゃんのこと言ったらどうなるかなぁ」と友香は考える。日本を代表するピッチャーが小さな西永福の1Kのアパートに来てるとか知ったらどうなるか―。
―みんな「すごい!」って言ってくれるかも。(続)