―また出し抜かれた!

 

全力疾走で直線を駆けた馬達が、ゴール板を過ぎた者からようやくその脚を緩めて行く姿を文也は、ぼんやりとげんなりとうんざりとした表情で見送った。

 

 どう考えても俺の予想した馬が先頭で駆け抜けるパターンのレースだった。それなのにこの1年、一度も好走したことのない穴馬に出しぬかれた。まったく・・・。

 

―出しぬかれるのは仕事だけで十分だ!

 

大井競馬場第9レース「サラC2(九)」。

レースにこれといった名前もついていない、いわゆる「平場」のレース、その馬券予想の際に「頭の片隅のその奥の奥の裏側」ですら考えもしなかった「超人気薄の馬」が最後の最後に伸びてきた。この馬のこれまでの成績からすると、1年に1度あるかないかの激走だ。それもそのはず、レース後にデータを調べてみるとこの馬、まさに1年に1度の勢いで今日のレースを狙いこんでいたことがうかがい知れた。この週は、激走したこの馬の馬主の誕生日のある週だったのだ。

 

―そういうことか!

 

これで馬主の誕生日週はこの馬、4年連続で1着を獲得していることになる。これは偶然ではなく確実に「狙って」勝ちに来ていたってことだ。その情報に気づけば簡単に的中できたけども…もはや後の祭りだ。だが文也は思う。

 

「競馬に負ける奴は終わったレースのことを、その場であーだこーだと考える。」

 

あくまで持論だが、20年を超える競馬経験でいくつかの「競馬における持論」には辿り着いた。そのひとつがこれだ。競馬場にいて「勝負」している時は、常に「後悔先に立たず」。後悔はより後ろへほおり投げて前を!つまり次のレースを考えないことには勝てないのだ。ギャンブルは「自分のルール」と「欲望」との戦いだ。自ら発見したルールをどれだけ守り切れるかで、どれだけ勝てるか、そして負けないかが決まってくる。

 

 それにしても…やっぱり出し抜かれた気分はぬぐえない。9番人気で1着まで伸びてくるなんて‥。と驚きが消えない。競馬は出し抜いた馬が勝つのも醍醐味のひとつなスポーツだから仕方がない。でも、そういったレース展開になる時は「出し抜く馬券を持っている側」でありたいと思う。特に今回は、仕事で十分出し抜かれたことの「気晴らし」で1年以上ぶりに懐かしの大井競馬場に来ているのに、馬券まで「出しぬかれる側」にまわされるのはどうも気が晴れない。

 

地元にいる頃から競馬場にはなじみがあった。文也が想像する地元の「夏の景色」は競馬場だ。故郷函館は毎年夏に馬で盛り上がった。函館とはいえ、半袖でも大丈夫な「夏競馬」がやって来ると毎年、親父に連れられ路面電車に乗って競馬場へ通った。親父との「外出」の記憶はそればかり。1番の思い出は88年、中3の時か。結果的に親父と行った最後の函館競馬場のレースだ。「ダービー馬が函館で走る」と親父が興奮していたのを覚えている。シリウスシンボリ、メリーナイスと行ったその「栄光の名馬」を直に見て、彼らの放つ輝きには文也も見とれた。そして勝ったのは、サッカーボーイ。ぶっちぎりの勝利だった。その圧勝劇に、子どもながらに鳥肌が立ったのをしっかり覚えている。

 

文也が上京したのは、地元の大学を卒業した後だ。都内の会社に入社を決めた。函館を発つ前の日、親父に言われた言葉が印象的だった。

 

「世の中、信じていい男とだめな男がいる。

その見分け方を教えてやる。

 どんなに小さくてもいい。

自分で全部の責任背負って生きてる男は

信じて大丈夫だ。

でも、人に乗っかってるだけの男は

信じるな。疑わなくてもいいけど信じるな」

 

覚えてはいたが、それを胸には刻んでなかった。。と42歳にして初めて気づいた。騙されて初めてその意味を考えた。だが馬券と同じだ。後で気づいても遅い。

 

―沢渡は・・・信じるに値しない人間だった。

 

上京して務めたのは品川に本社を構えるコピー機器メーカーだった。通勤で苦労したくないと思い、会社に近い「立会川」に住まいを借りた。住んですぐに自転車を買い、近所を知ろうと走り回ってこの大井競馬場を見つけた。あの頃の品川駅は、まだ新幹線の停車駅はなかったが函館駅前より高いビルも多くて十分都会だった。品川プリンスホテル、ホテルパシフィック東京、山手線、改札をひっきりなしに出入りする人々。テレビで見ていただけの景色の中に自分がいることが信じられなかった。東京で生活を始められたことに現実感がなかった。それだけに「大都会・品川駅」からもほど近い都会の真ん中に「馴染みある景色・競馬場」があるなんて思いもしなかったし、見つけた時はどこかホッとしていた。東京に地元の景色を見つけて心慰めたかったのか、当時はマメに通ったものである。馬券勝負にムキになるわけでもなくて、ただこの場に来ることでどこか落ち着く自分がいた。とはいえ函館競馬と違って驚いたのは夜に、ライトアップされたコースを馬が走っていたことだ。ナイトレース―。たまに香ってくる海の気配の中、光り輝くコースを走る馬を眺めては「都会は何でもおシャレなんだって…」と田舎との違いを感じた。その輝きに、どんな平凡な馬も輝いて見えて眩しかった。

 

そんな大井競馬場へ今日は「憂さ」を晴らしにやってきた。が、今日は憂さ、晴らせるだろうか?と、最初に手を出したレースでミソを付けられたことで不安がよぎる。その不安を払しょくしたかった文也は、駆け抜けたコースをゆっくりと戻って来て、今ちょうど目の前に戻ってきた先ほどの「出しぬいた激走馬」に向かって思いきり叫んだ!(心の中で!)

 

―ダメなフリして最後に思いっきり

伸びてきやがって!騙されたよ!

人を騙すんじゃねえ!バカヤロー!

 

文也の持論だが、平日に競馬をしにやってくる人間は大体4つに分けられる。「ギャンブル依存症」「恋愛デート」「現実逃避」「憂さ晴らし」この4パターンが大半。上京当時の自分は「現実逃避を目的に通っていたパターンの人間」だったと思う。そして今日の文也は「憂さ晴らしでやってきたパターンの人間」だ。ギャンブル依存症や恋愛デートで来ているような奴とは「パーッとしたい!」という思いの強さが違う。騙されるのなんて仕事だけで十分だと改めてうんざりしつつ、次のレースの予想を始める。馬券の発売締め切りまで20分を切った。さっきあの馬に出し抜かれなかったら今頃、財布には諭吉が5人は増えていたはずだ。だが現実は漱石が5人消えてしまった。次のレースは外せない!そろそろ予想に集中しようと思いつつ新聞に目を落とすが「晴らしに来た憂さの原因」が頭にチラいてしまう。あいつ―俺が10年面倒を見てきたあいつ―には、人をはめて自分自身だけが生き残るような出し抜きかたをして悪気はないのか?あるのか?もしもあるのならまだ救いようがあるのだが、ないとしたらやりきれない。

 

「辞令 岡崎文也 

9月30日をもって現職の任を解き、

10月1日付で甲府支社への転籍を

命ずる。以上」

                           

文也の名前が記されたそのA4用紙が社内掲示板に貼られたのは2週間前のことだ。まったくもって寝耳に水を超えて熱湯をかけられたほどの事態だった。その前日に人事部長に呼び出され伝えられていたから、その当日はすでに知ってはいたが実際に貼りだされているのを見た時に「事実なんだ・・」とより実感した。行き先は山梨。顧客が10人を超えない程度の小さな支社。いわゆる左遷コース。自分がそこに「飛ばされる」理由にはまったくもって身に覚えがなかった。おかげで最初はショックを感じる余裕すらなかった。直属の部下の沢渡の方が「先輩だけを信じてついて来たのに残念です」と文也より先に涙を流してくれた姿を目の当たりにしてようやく、我が身にショックが届いたくらいだ。だが異動のショックは、その1週間後に喰らうことになったそれに比べれば大したものじゃなかったが…。

―沢渡の涙は芝居だった。

 

従業員が総勢で50人もいない小さな会社でも、どこぞの銀行のように「倍返しだ」と叫びたくなるような事態が起きるなんて…しかも我が身に…まったくもって…

 

―まったくもってだ!

 

「まぁ、気づかない方がバカって話?」

 

突然、会社での文也の身に起きた状況にまさに当てはまるような言葉が横から飛びこんできた。思わず視線を競馬新聞から声の方に移してしまう。見ると、全身をバミューダ柄の「動くだけでシャカシャカ鳴る服」でコーディネートした若者が競馬新聞を指でなぞりながら、彼女らしき女性に自慢気に語っている姿があった。バミューダ柄はシャカシャカ体を揺らしながら自慢げに続けている。

 

 「みゆき気づかなかった?今のレースはさぁ?どう考えてもさぁ?1着だった9番の馬が勝つレースだったじゃん?なんでか分かる?大井競馬場9レース?レースのスタート時間は19時?そしてレース名は「C2(九)組」?こんなに「9」が並んでるのに9番の馬、来ないわけないじゃん?それに9番人気でしょう?これって確実に暗示が出てるっしょ?マジ気づかない方がバカでしょ?」

 

やたら「?」と問いかけるようなトーンのしゃべり口調にイラついた。もしも俺がジョッキーなら、過剰に鞭をくれてやりたいとすら思ったが文也はジョッキーではない。ただのサラリーマンだ。来週には左遷が決まっているサラリーマンだ。残念にもこういう場合の相手への攻撃法を持ち合わせているわけがない。仕方なく、またひとつ思いだした自らの持論を思いきり吐き捨ててやることにした!(心の中で!)

 

―競馬はオカルトや語呂合わせで

決着しねえんだよ!決まったとしても

それはただの偶然なんだよ!

俺の持論だけどな!

 

文也の20年を超す競馬キャリアからたどり着いた観点からすると、バミューダ彼氏の予想根拠は何ともバカ甚だしいものでしかない、だが、バミューダ彼氏の横で、みゆきと呼ばれたピューマ柄の彼女は「すごーいすごーい!」を連発して素直に感心している。その光景を見て文也はさらっと言ってやった。

 

「予想を自慢する奴ってのは、続けては

勝てないんだよ。俺の持論だけどさ。」

 

もちろん心の声だから、もちろん聞こえるわけもない。だからバミューダ彼氏の自慢がどんどん続く。自然、文也もどんどん言い返す!(心の中で!)

 

 「競馬は一瞬のひらめきとセンスじゃね?」

 

 ―センスよりも積み重ねてきた経験と

知識だよ。俺の持論だけどさ。

 

「みゆきお前…今日から俺のこと

『馬券の天才』って呼んでもいいよ?」

 

―馬券に天才はいねえよ。いるのは秀才だ。

俺の持論だけどな!

 

「馬券は一切悩まないのが大事!

悩み過ぎるとダメなのよ?」

 

―馬券は悩み過ぎるとダメだが、

一切悩まないのが1番ダメなんだよ!

俺の持論だけどな!

 

「まぁ。とりあえず儲かった!

落ちてた15万円拾ったって感じ?」

 

―・・・。

 

バミューダ彼氏の自慢が、こちらには嫌味にしか聞こえないが、そういう話に限って、しっかりと耳に入ってくる。「いい加減辞めて欲しい」とは思うが、彼は文也に話しているわけじゃないから何も言えない。何とか気を紛らわせたいと思っていると、競馬場の外からけたたましい台数のパトカー音が聞こえてきた。何が起きたのか赤色灯が3,4,5,6,7とかなりの数連なって走っていくのが4コーナー奥の道路越しにチラッと見える。

 

―ちょうどいい、このバミューダ柄を

逮捕してくれ!ん?でも何の罪だ?

自慢罪?ふざけた予想罪?

なんだそれ・・・。

 

もはや嫉妬が訳の分からない思考を展開し始めたが、いつまでも嫉妬していても意味がない。気を取りなおして予想に戻ろうと、改めて「競馬新聞」に目を下ろす。次からはレースに名前もついた特別戦だ。第10レースは「七色櫻賞」。どうやらアニメのタイトルにちなんだ名前らしいが、レース名ばかりは予想には一切関係ない。当たり前だが馬はレース名を知らないからだ。しかし、隣のバミューダ彼氏によるとそうではないらしい。ピューマ柄彼女・みゆきの「次のレースはどの馬がいいの?」という質問に意気揚々とした「天才予想トーク」で答え始める。

 

「みゆき、また分かんないの?競馬は一瞬のひらめきとセンスっしょ?次のレースはね?チェリーウインズって馬しかないっしょ?だってサクラって名前のレースだよ?チェリーってホラ、絶対怪しいっしょ?」

「すごーい。絶対それじゃん。みゆき、チェリーウインズ1000円買う~」

 

聞き耳たてずとも聞こえてくる「たわごと」を意識してしまい、思わずオッズに目を落とすと12番人気の馬だ。さすがに無茶な予想だ!と思いつつも、なぜかその予想に心が揺らぎ

チェリーウインズの過去の成績をチェックする。同時に文也はまたひとつ持論を思いだした。

 

―人の予想を聞いて迷ってしまうような

レースは当たらない。

 

良くないパターンに陥り始めていると自覚した。何とか自分の予想に集中しようと意識して新聞を覗きこむ。だが、今度は「バミューダ&ピューマカップル」とは反対側からまた別の「気になる声」が耳に飛びこんできた。(続)